第11話 目覚めときっとそう
side吉良聖夜
目を開けると少し眩しくて、目を瞬かせながらピントを合わせる。確か昼休みに粋先輩と鬼頭くんの前で倒れて……あれ、今、どこ?
「鬼頭くん?」
横になるボクの左側、中庭を挟んだ向かいにある体育館に遮られきらなかった夕陽が差し込んで逆光で少し見えにくいけど、鬼頭くんが眉を下げて目を潤ませていることは分かった。もしかして、と思って右に顔を向けてみると、そこにも大切な人たちがいた。
「粋先輩、星ちゃん、月ちゃん」
大切な人たちの顔を見てホッとしながら、さっき目が覚める前に聞こえた声を思い出す。自分ではコントロールできなかった状況の中でボクを安心させてくれた、導いてくれた声。頭の中にある結論が嘘であることを祈って奥歯を噛み締めた。
「吉良くん、随分魘されていたみたいだけど、気分はどう?」
3人の後ろからひょっこりと顔を出した丸山先生にボクの顔をジッと見つめられた。優しいけど妖しげで、高尚なオーラを纏った先生の前で嘘をつく気にはなれなかった。
「少しだけ気持ち悪いですけど、それは気持ちの問題なので体調は大丈夫だと思います」
全てを見透かしたような顔で頷いた丸山先生は星ちゃんと月ちゃんを避けてボクに近づいてくると、ボクの顔にペタペタと触れ始めた。擽ったくて目を閉じると、先生は艶やかにふふっと笑ってから手を離した。
「熱は無さそうだし、本当に気持ちの問題ね。けど、顔色は悪いから今日は安静にしていなさいよ? 濡れタオル用意してくるわね」
そう言って1度カーテンから出ていった丸山先生を見送っていると、左手に感じていた力が少しだけ強くなった。驚いて顔を向けると、鬼頭くんがまた甘い顔でボクを見つめていた。手を握っていない方の手がボクの頭に伸びてきて、そのまま割れ物にでも触れるかのような手つきで撫でられた。
「目が覚めて良かった」
まっすぐな目に囚われたまま動けないボクに向かって微笑む鬼頭くんの目尻は少し赤くて、かなり心配を掛けてしまったんだと分かる。ボクが倒れたことで授業どころじゃなくなっているのかもしれないと思うと申し訳なくなったところで、ふと気がつく。
「あれ、午後の授業は?」
ここからは時計が見えないし、ボクのスマホもどこに行ったか分からない。ボクのせいでみんなが授業に出ていないのでは、と考えて焦るボクの手を、粋先輩が掴んだ。手のひらに載せられた人肌に温まったシリコンの感触。先輩の手からはみ出して見えているライムグリーンのスマホケースは、見間違えるはずもなくボクのスマホだった。
「これは僕が預かっていたから返すね。それと、午後の授業はもう終わったよ。掃除も終わってる」
粋先輩が穏やかな宥めるような声でそう言って自分の腕に着けた腕時計を見せてくれた。確かにもう放課後で、いつもなら課題をやっている時間だ。
「タオル、温かくしといたわよ」
授業に出られなかったショックで落ち込むボクの気持ちに相反する明るい声と共にカーテンの中に入ってきた丸山先生は、ボクにホットタオルを手渡すとニヤリと笑った。
「身体を拭くの、誰かに手伝ってもらう?」
「いや、自分でやります」
「まぁまぁ。武蔵と北條くんに手伝ってもらったら? 1人だと何かと大変でしょ?」
星ちゃんと月ちゃんは同性じゃないから2人が困るだろうし、粋先輩と鬼頭くんだと意識してしまってボクも困る。そう思って断ったのに、企み顔の丸山先生は星ちゃんと月ちゃんの背中に手を回してカーテンの外に行ってしまった。
ドアもしっかり閉められると、向こうの音は微かにしか聞こえない。残されたボクたちはそれぞれ何とも言えない顔をしたまま見合わせた。誰からともなく苦笑いを浮かべたけど、どうすればいいんだろうか。
「手伝いたいけど、理性を保つ自信がありません」
「正直、僕も自信はないかな」
小さく手を挙げて申告した鬼頭くんに、粋先輩も頷いて曖昧に笑った。ボクはそんな2人を前にして、どんな顔をすれば良いのかも、何を言えばいいのかも分からなかった。
倒れて目が覚めるまでは2人に真剣にまっすぐ向き合おうと思っていたのに、今のボクはそうじゃない。自分の中で出た答えが不誠実すぎて、彼らに向き合う資格がないとすら思う。
「大丈夫ですよ、1人でもできますから」
ボクにできることは2人の前から消えることだけ。覚悟を決めて2人に笑いかけたのに、鬼頭くんはボクの手からタオルを少し強引に奪い取った。
「なんか、分かんねぇけど、こうするべきな気がするから」
「それは、勘かな?」
「はい、そんな気がするだけっす」
戸惑うことしかできないボクを無視して見つめ合う2人の間には、ボクが倒れる前にあった少しバチバチしていた空気はない。ボクが倒れている2時間ちょっとの間に何かあったのかもしれない。
「いや、あの……」
「よし、分かった。お互いにお互いのタガが外れそうになったら殴り飛ばしてでも止めよう」
「はい。聖夜も危ないと思ったら突き飛ばすなり、全力で叫んで向こうの3人を呼ぶなりして」
「いや、だからね?」
「はい、頑張ろうね」
ボクの反抗はなんの意味もなく、粋先輩に押し切られる形でワイシャツのボタンが1つずつ外され始めた。カーディガンは体育のあとに着なかった記憶があるけど、ブレザーはいつの間に脱がされていたんだろう。
「あの、ボクのブレザーは?」
「ああ、丸山先生が預かってくれてる」
「そっか。って、粋先輩、早いですね」
鬼頭くんと話している間に前についている6個全てのボタンが外され終わっていた。
「器用ですね」
「あー、まぁ、ね?」
単純に凄いと思うけど粋先輩は自身は気まずそうにするから首を傾げた。
「会長も見かけによらないってことっすね」
「うるさいよ」
鬼頭くんの煽るような口ぶりに、粋先輩はボクの手首のボタンを外しながら反論する。なんの話か分からないけど、ボクの後ろに立っているから顔は見えない鬼頭くんが声だけでも分かるくらい楽しそうなことは伝わった。また怒らせてしまうかもしれないから口にはしないけど、この2人はかなりいいコンビだと思う。ボクを間に挟むことで揉めてしまうなら、やっぱりボクは2人の前から消えた方がいい。
「聖夜くん? どうした?」
考え込んでいる間に話かけられていたらしい。とりあえず首を振るだけ振って誤魔化す。申し訳なさは感じるけど、今だけは2人との楽しい時間を大切にしたい。
「何かあったら言うんだよ?」
「はい」
甘くて優しい表情と声にときめきながらも苦しくなる。今ボクは、うまく笑えているのかな。
「じゃあ聖夜、万歳して」
「はい、ばんざーい」
「いや、子どもじゃないんですから」
2人の子どもをあやすような声に思わず吹き出す。しばらく笑ってから薄っすら目を開けたボクの前で粋先輩が不安そうに笑っていた。
「あの、粋先輩?」
「ふふ、ごめんごめん」
ボクの声にハッとしたようで、すぐに余裕のある笑みを浮かべた粋先輩の目をじっと見つめ続けると、先輩は観念したように両手を挙げた。
「ごめんね、うん、ちゃんと話そうか。でもそれは、着替えが終わってからね? ちょっと、目に毒かな」
また曖昧に笑う粋先輩はボクの後ろに視線を向けた。
「そうっすね。聖夜、後ろから見ててもかなりキツイからさ、早めに着替えよっか」
鬼頭くんはそう言うと、子どもの世話を慣れているような手早い手つきでボクの下に着ていた黒シャツを脱がせた。
「うわぁ、ヤバい」
目の前で目を覆っている粋先輩が心配になって顔を覗き込もうとしたところを後ろに腕を引かれた。鬼頭くんを見上げると、全く視線が合わないままホットタオルが身体に触れた。ちょうどいい温かさに落ち着くけど、それ以上に2人の様子がおかしいことが気になってそわそわしてくる。
「ねぇ、鬼頭くん」
「ちょっと、待って。お願い」
鬼頭くんに声を掛けても相変わらず天井を見上げたまま。身体を拭くスピードを上げながらも苦しそうな鬼頭くんの声に、何も言えなくなった。
「あと気持ち悪いところとか、ある?」
「あるけど、前だから自分で拭くよ」
「それは助かる」
鬼頭くんからタオルを受け取って身体の前をパパッと拭く。シャツを着ようと思ったけど、鬼頭くんが手に持ったまま。
「鬼頭くん、シャツ、もらっていい?」
「あ、おぅ」
一瞬目をボクの方に向けてシャツを渡してくれたと思ったら、逸らしていただけの目に手を当てて天を仰ぎだした。
「大丈夫?」
「……無駄なくらい元気なんすよ」
「はぁ」
やっぱりよく分からないと思ったけど、目の前で耳を赤くしながら頷いている粋先輩を見て合点がいった。
確かに元気なときほどいろいろなところに気が向くから、目の前で人に着替えられるのは恥ずかしいよな。
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