第6話 昨夜はお楽しみでしたね

 それからセシルと三人の幽霊は屋敷の廊下を走り回った。

 時折セシルが立ち止まって振り返り、飛んでくる皿やナイフをスイスイかわし――たまに避け損なって顔面に直撃しひっくり返ったりしたが――やがてまた走り出す。そんなことを延々繰り返した。

 そうしてひたすら走り続けていると、やがて元のエントランスへ辿り着いた。

 どうやらこの館、Oの字型の構造をしているらしい。

 走っている最中に窓から中庭らしきものが見えた。それ以外にもいくつか気になるものが目に入ったが、セシルはこの時は放っておいた。

 余計な事を考えるのは後回し。

 今はとにかく頭を空っぽにして遊んでいたかった。


 セシルたちはエントランスを通り抜けてまた廊下へ入り、ぐるぐると何週も走り続けた。

 そしてもう何度目になるかわからないエントランスへやって来たとき、誰ともなく走るのを止めた。

 そして四人で顔を合わせて一斉に笑い始めた。


「あー、楽しかった!」

「……うん」

「きゃっきゃっ」


 どうやら三人の幽霊は満足してくれたらしい。

 セシルも気分がスッキリしていた。

 これだけ思い切り走ったのは久々だった。

 やや埃っぽい床にペタンを腰を下ろし、肩を上下させて息を整える。

 どうやらこの人形の身体でも疲労は感じるものらしい。


「でもセシル、凄いね」


 ポールが興奮気味に言う。

 セシルは首を傾げた。


「何のことだ?」

「だって僕たちが投げた物ほとんど避けちゃったでしょ? あんな動き他の怪異にはできないよ。僕らだってあんなに綺麗には避けられないし」

「……うん。びっくりした」

「セシルすごい!」

「ああ、あれか……」


 セシルは曖昧に頷いた。

 飛んできたものを避ける技術。

 あれは浮浪児生活の中で身につけたものだ。

 身につけさせられた、といったほうが正しいかもしれない。

 貧民街では浮浪児だというだけで石などを投げてくるような連中が珍しくなかった。

 そういった類の人間から逃げているうちに自然とかわせるようになったのだ。

 こんな形で役に立つとは思ってもみなかったが。


「なんだったら次遊ぶときにコツを教えてやろうか?」


 セシルはニッと笑みを浮かべて言った。

 すると三人の幽霊は目を輝かせた。


「いいの!?」

「……教えて」

「おしえて! おしえて!」

「いやいや、次の時だよ、次の時。今日はもう疲れちまったから」


 思った以上の食いつきにセシルは慌てて両手を振ってなだめる。

 すぐさま第二ラウンド開始は流石にちょっと辛い。


「約束だよ!」

「ああ、わかった」


 セシルは頷いた。

 そんな他愛無い話をしているうちに呼吸も整い、頭も回るようになってきた。

 すると次第に周りの様子が気になってきた。


「……しかし、随分散らかしちゃったな。こりゃ片付けるの大変そうだ」


 セシルの視線の先――エントランスの壁には数えきれないほどの陶器やガラスの破片、それに曲がったナイフやフォークなどが散らばっていた。

 幽霊たちが投げた食器の成れの果てである。

 セシルが避けたものが壁や床に当たって割れたり曲がったりしてしまったのだ。

 しかもこれはエントランスだけでなく、走り回った廊下も満遍なく同じ状態。

 冷静になってみるとかなりの大参事である。

 ひょっとしてこの館の食器全部ダメにしちゃったんじゃないか? とセシルは不安になった。

 だが、それに対してポールはあっさりと言った。


「大丈夫だよ。おっちゃんに頼めば直してくれるから」

「おっちゃん?」


 セシルが怪訝な顔をすると、タガーとイストが代わりに答えた。


「……小さいおじさん。怖いけど何でも直してくる」

「私よりちっちゃいんだよ! でも声は大きいの!」

「その人もこの屋敷の怪異なのか?」

「うん!」


 壊れた食器を直す怪異。

 怪異というよりおとぎ話の小人みたいだな、とセシルは思った。

 昔、仲が良かった浮浪児がそんな童話を聞かせてくれたことがあった。

 靴職人の老人が眠っている間に靴の修理を手伝ってくれる小人の物語。

 自分にも寝ている間に食べ物を用意してくれる小人が欲しいな、なんてことを考えたのを覚えている。


「他にはどんな怪異がいるんだ?」

「おっちゃん以外の人? あとは紐のエロい姉ちゃんと地下のシワシワ爺ちゃんがいるよ」

「……あとはキッチンの謎肉マンと、バスルームの霧も?」

「あー! なんで全部言っちゃうの。私だって答えたかったのに!」


 三人の幽霊が何やら言い争いをし始めたが、セシルは気にせず考えを巡らせた。


 人形のセシル。

 ポルターガイスト三兄弟。

 小さな男。

 紐の女。

 地下の老人。

 キッチンの謎肉。

 バスルームの霧。


 確かあの魔女――マリアンデールはこの館には七つの怪異がいると言っていた。

 謎肉というのが何のことかよくわからないが、どうやら怪異はこれで全部らしい。


 というか……怪異というのは人間を襲う奴ばかりだと思っていたのだが、『ちっちゃいおっちゃん』とやらの事を聞く限りではそれ以外の役割を持った奴もいるらしい。

 他にもそういう怪異はいるのだろうか。

 そういえばマリアンデールは、『あなたたちの役割はこの館と各自の存在を維持すること』とも言っていた。

 あれはどういう意味なんだろう。

 改めて考えてみると色々と疑問が湧いてくる。


「なあ――」


 セシルは三人の幽霊にさらに質問しようとした。

 だが、セシルが声を掛ける前に、三人の幽霊は揃って大きなあくびをした。


「ふわぁ……。あれ、もうこんな時間か。そろそろ寝なきゃ」

「……眠い」

「セシル、おやすみなさい……」

「へ?」


 ポカンとするセシルを残し、三人の幽霊は目をこすりながらフヨフヨと飛んで行ってしまった。

 あの方向は三人と最初に遭遇したダイニングだろうか。


「時間って何のことだ?」


 エントランスの柱に掛けられた大きな時計に目をやると短針が七時を指していた。

 そして窓の外が微妙に明るくなっているのに気付いた。

 この館、森の中にあるため常に薄暗い。

 だから少々わかり辛いのだが、どうやらもう朝日が昇っているらしい。


 ということはオレたち、一晩中走り回ってたのか……。


 そう自覚した途端、セシルの口からもあくびが漏れた。

 同時に眠気が押し寄せてくる。

 そういえば動いたら寝ないといけないんだっけ。

 魔力の補充がどうとか言われた気がする。


 セシルはのっそりと起き上がると、さらに出てくるあくびを噛み殺しながらトボトボ歩き出した。

 眠るのはいいが、どこで寝るとかは決まっているんだろうか。

 オレとしてはその辺の廊下の隅でも構わないんだが……。

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかセシルはある部屋の前に立っていた。

 執務室。セシルが置いてあった部屋だ。


「……ここがオレの部屋って事なのかな」


 何故身体が勝手にここへ辿り着いたのか不思議に思わなくもなかったが、眠いので深くは考えず、セシルは背伸びをしてドアを開けて中に入った。

 執務室の外にはあまり木が生えていないらしく窓から日の光が差し込んでいた。そのため室内はエントランスや廊下よりも明るかった。

 ただ、その影響で埃や汚れがやたら目に付いた。

 執務机やテーブルの上には埃が積もって層になっているし、カーテンや壁紙、絨毯などは変色したり剥がれたり破れたりと無残な状態だった。天井は蜘蛛の巣だらけだし、何より空気が淀んでいてカビ臭い。

 人形が座っていたソファに腰を下ろすと煙みたいな埃が舞い上がる。

 セシルは思わず顔をしかめた。


「これからここで暮らすのなら、まずは掃除しないとな」


 浮浪児だった頃は寝床の周りはできる限り綺麗にするようにしていた。

 別に潔癖症とか綺麗好きというわけではない。汚れたままにしていて病気になる子供を何人も見ていたから、そうするのが癖のようになっていたのだ。


 それに、そうでなくてもここは自分の部屋。

 生まれて初めての自分だけのスペースなのだ。

 であれば、できる限り快適な環境を作り上げたい。


 掃除をするとなると、まずは掃除用具がどこにあるか探さないと。

 それに、張替え用の布や紙も確保したい。

 そういえばゴミはどこに捨てればいいんだろう。

 この館の外には出られないんだよな……。


 セシルはうつらうつらしながらそんなことを考えていたが、やがて瞳を閉じ、コテンと横になった。

 そしてそのまま小さな寝息を立て始めた。



 ※ ※ ※



「――まったく、あのガキ共またこんなに散らかしおって。自分らで片付けろといつも言っとるというのに……」


 そんな声が耳に届き、セシルはふと目を覚ました。

 目をこすりながら起き上がると窓からオレンジ色の光が差している。

 どうやら夕方らしい。随分長い間寝ていたようだ。


 そして、セシルを起こした原因の声は部屋の外から聞こえていた。

 ブツブツと文句を呟いている甲高い声と、ガシャガシャという固い破片がぶつかり合うような音。

 すぐ外の廊下に誰かがいるらしい。


 誰だろう。

 セシルはソファから降りると静かに扉を開け、外の様子をこっそり窺おうとした。


「ん? なんじゃ、セシルか」


 扉を開けた途端、当の声の主と目が合った。

 そこには小さなおっさんがいた。


 小人、というほうが正しいだろうか。

 その姿はまさに、セシルが靴の妖精の童話を聞いたときに想像した通りの小人だった。


 身長は十センチくらい。硬そうな革の前掛けを着た不機嫌そうな顔の男だった。

 頭のてっぺんが禿げ上がっているが、そのかわりに(?)顔の鼻から下はもじゃもじゃの髭に覆われている。

 筋肉質な寸胴体型で、首や手足は太い。

 そして手にはほうきとちり取りを持ち、床に散らばった食器の破片を集めていた。


 ……ちっちゃいおっちゃんって、本当に小さいおっさんのことだったのか。

 セシルは物珍しげに男を見つめた。

 すると男はセシルをジロリと見返して言った。


「なんじゃさっきからじろじろと。何か用でもあるのか、セシル」

「あ、いや……」

「ひょっとして暇なのか? だったらちょっと手伝え。あのガキ共が散らかしたのをさっさと片付けにゃならんのでな」


 小人はそう言ってセシルに手招きした。

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