第2章:呪いの館の住人たち

第5話 ポルターガイスト三兄弟

 気付いた時には既に、人形の少女は無数に飛び交う食器類にすっかり取り囲まれていた。

 先程追い立てられた時とほとんど同じ状況である。


 ただ、決定的に違う点が三つあった。


 一つ目は、少年が人形の少女に変わっていたこと。

 二つ目は少年自身が人形という怪異に変わってしまったせいなのか、それとも単に二度目で慣れたからなのかはわからないが、この異様な光景を目の当たりにしても特に恐怖を感じなくなっていたこと。


 そして三つ目は――これも恐らく怪異の仲間入りをした影響なのだろう。

 この怪奇現象を引き起こしている張本人たちの姿が見えるようになっていたことだった。


「あれ、誰かと思ったらセシルか。久し振りに見た」

「……これは新しいセシル?」

「わーい、セシルだ」


 飛び回る食器類に混じり、小さな人影が三つほど宙に浮かんでいた。

 どれも白く半透明な人影で顔ははっきりはわからない。

 初めて見るが幽霊というやつだろうか。


「お前らは何者なんだ?」


 人形の少女は尋ねた。

 すると三人は順番に言う。


「僕らはポルターガイストだよ」

「……侵入者を脅かして追い出すのが仕事」

「そんなことより遊ぼ、遊ぼ」


 人形の少女はポルターガイストというのが何なのかわからなかったが、多分幽霊の一種なんだろうと勝手に解釈した。

 しかし……。

 人形の少女は腕組みをして三人の幽霊を眺めた。

 正直なところ、拍子抜けしていた。

 怪異というからどれほど冷酷な連中なのかと思っていたが、言動からするとただの無邪気な子供のようだ。

 思い返してみれば、さっき追い回された時も致命傷になりそうな攻撃はほとんど無く、意図的に走り回されているような感じだった。

 きっとこの三人にとってはただ遊んでいるだけのつもりだったのだろう。

 こっちは死ぬほど怖かったが。


「セシル、どうかしたの?」

「……今度のセシルも何か変」

「ねえ、遊ぼうセシル」


 人形の少女がすぐに反応しなかったためか、三人の幽霊は不思議そうに近寄ってきた。

 半透明だが実体はちゃんとあるらしく、風船のようにモコモコしていて一度にまとわりつかれると少々鬱陶しい。


「ああもう、わかったからちょっと離れろ。それに、オレの名前はセシルじゃなくて――」


 人形の少女は自分の名前を口にしようとした。

 しかし、またしてもその言葉だけ声に出せなかった。

 さっき名前を言えなかったのはマリアンデールに何かされたせいかと思っていたが、どうやらこの身体自体に掛けられた制限のようなものらしい。

 人形の少女が不自然に言葉を切ったため三人の幽霊は少し驚いた様子で離れた。

 どうやら人形の少女が怒ったと思ったようだ。


「大丈夫?」

「……セシル、怒った?」

「遊ばないの……?」


「……いや、悪い。何でもないよ。この身体まだちょっと慣れてなくてさ」


 人形の少女は安心させるように笑いかけた。

 そして、とりあえず今後はセシルと名乗ることに決めた。

 恐らくこの身体とは長い付き合いになるのだ。意地を張っても仕方がない。

 セシルと名乗れというなら名乗ってやろう。

 本来の名前は自分が覚えていればいいのだから。


「それで、お前らの名前を聞いてもいいかな」


 セシルが尋ねると三人は顔を見合わせ、それから嬉しそうに言った。


「僕の名前はポールだよ」

「……タガー」

「わたしイスト!」


 ポール、タガー、イストのポルターガイスト三兄弟。

 覚え易くてありがたいが適当すぎないか……? とセシルは思った。

 マリアンデールが名付けたのだろうか。

 セシルは少し気になったが、当の三人は特段気にはしていないらしい。


「名前を聞いてくれたセシルなんて初めてだ」

「……今回のセシル、好き」

「きゃっきゃっ」


 名前を尋ねただけなのに随分とはしゃいでいる。

 それを見てセシルはふとある事を思い出した。



 この館へ来る前、セシルは貧民街で暮らしていた。

 暮らしていたと言っても決まった住処などはなく、食べ物も自分で確保しなければならない。

 常に空腹で歩き回り、飢えや病気で倒れたらそれで終わり、という綱渡りのような生活だった。


 貧民街にはセシル以外にも同じような境遇の浮浪児が沢山いた。

 彼らとは寝床や食糧を巡って争ったり、自分たち浮浪児を狙う奴隷商や変質者たちがやって来た時には協力して撃退したりとその時々によって敵になったり味方になったりした。

 お互い退屈な時には普通に遊んだりもした。

 そして彼らは名前を呼ぶととても嬉んだ。


 彼らのほとんどは物心ついた時には既に浮浪児で、親の顔も知らず自分の本当の名前も知らない。

 だからその名は自分で考えたものか、誰か他の浮浪児に付けてもらったものだった。セシルの本来の名前も、セシルが小さい頃に面倒を見てくれていた年上の浮浪児から与えられたものだった。


 名前は浮浪児たちにとってとても大切なものだった。

 どうしてここにいるのかわからない、不安定な自分の存在を強固にしてくれる唯一の心の支えになっていたからだ。


 名前を聞かれただけではしゃぐ幽霊たちを見て、そういえばもうあの貧民街の連中には会えないんだな……とセシルは思った。

 誰にも告げずにあの街を出てきたから自分がここにいることを知る者は誰もいない。

 昨日まで元気にしていた浮浪児が次の日からぱったり見かけなくなる、なんてことはあの街では日常茶飯事だ。いちいち気にかけていたら心が持たない。

 自分のことなど数日もしないうちに誰の記憶からも消えてしまうのだろう。


 正直なところあの貧民街での暮らしには碌な思い出はない。帰りたいとも思わない。

 それでもセシルは今更になって一抹の寂しさを覚えた。



「……セシル、どうしたの?」


 考えていたことが顔に出てしまったのか、タガーが近寄ってきて心配そうに言った。

 セシルはやや目を丸くしたあと、ふっと笑って首を振った。


「いや、なんでもないよ」


 今の状況はセシル自身が決めて行動した結果だ。

 後悔しても仕方ない。

 それよりもこれからのことを考えよう。


「さて、それじゃお互いに名前もわかったし、とりあえず遊ぶか!」


 セシルは張り切って言った。

 本当はこの館のことについて尋ねたかったが、さっきからずっと遊ぼう遊ぼうと言われているのだ。

 まずはこの三人の欲求を満たしてやってからのほうが話もしやすくなるだろう。

 それにセシル自身、今は体を思い切り動かしたい気分だった。

 セシルの提案に対し三人の幽霊はわっと歓声を上げた。


「本当にいいの? やった!」

「……セシルと遊ぶの、久々」

「わぁい!」


「ただ、遊ぶにしても何で遊ぶんだ?」


 セシルはふと思って言った。

 まだ屋内を全部見て回ったわけではないが、この館は広い割に質素というか殺風景な印象だった。

 ここ、遊具とかあるのか?

 しかしそんな心配は杞憂だった。


「何で遊ぶかって、そんなの決まってるよ!」

「……うん」

「鬼ごっこ!」


 三人の幽霊はそう言うなり天井近くまで飛び上がった。

 同時に周囲をふよふよ漂っていた食器類がピタリと止まり、セシルに狙いを定める。

 和やかだった雰囲気が一瞬で殺気に似た空気に変わった。


「おい、ちょっと待て。お前ら全員鬼でオレ一人が逃げるのか」


 セシルは思わず後ずさりした。

 さっき追い立てられた時と完全に同じ構図である。

 やはりこの三人にとってあれは遊びのつもりだったらしい。

 そして恐らくこの気配からすると、向こうは今回は手加減する気はなさそうだ。


「……参ったな、こりゃ」


 セシルは思わず呟いたが、それとは裏腹に挑戦的な笑みを浮かべていた。

 丁度いい、と思った。

 この人形の身体でどれだけ動けるか、試してみようじゃないか。


 不意に一枚の皿がセシルの顔めがけて飛んだ。

 セシルは僅かな動作でそれをひらりとかわす。

 標的を逃した皿は止まり切れず壁に当たり、派手に割れる音がエントランスに響き渡った。


 それを開始の合図としてセシルは跳ねるように駆け出した。

 三人の幽霊も笑い声を上げながら後を追いかけた。

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