第3話 魔女の宣告
「だ、誰だあんたは」
「私はマリアンデール。この館の管理を任されている者よ」
女――マリアンデールはそう答えながら少年に近付く。
少年は思わず後ずさりした。
浮浪児として生き抜いてきた勘がこの女は危険だと警告を発していた。
しかしマリアンデールは少年の警戒心など意に介さずそのまま距離を詰めてくると、軽く屈んで少年をじろじろと無遠慮に眺めた。
興味を持っている、というより値踏みするような眼差しだった。
「……へえ。今度のセシルはなかなか賢そうね」
「セシル……?」
「あなたの名前よ。たった今からあなたの名前はセシルになるの」
マリアンデールは意味の分からないことを言った。
少年はたじろぎながらも反論した。
「一体何を言っているんだ? オレはそんな名前じゃない。オレの名前は……」
少年は自分の名を口にしようとした。
しかしどうしたことか、それ以上は声が続かなかった。
何度名乗ろうとしてもパクパクと口が動くだけで音が付いて来ない。
自分の名前だけが声に出せないのだ。
思わず狼狽える少年に対しマリアンデールは肩をすくめた。
「悪いんだけど私も忙しいの。あなたの意見なんて聞いてないし、あなたが今まで何者だったのかも興味が無い。あなたはもうセシルとして生きるしかないのよ」
そう言いながら手にした杖を軽く振る。
すると壁に掛けられていた姿鏡がふわりと飛んできて少年の正面で静止した。
「………!」
鏡を見た少年は大きく目を見開いた。
そこに映っていたのは少年ではなく、人形だった。
色褪せた赤いドレスを着た翠の瞳の少女の人形。
あの執務室で見た人形が、恐怖に怯えた表情で鏡を見つめていた。
それが今の少年の姿であることはもはや疑いようがなかった。
認めたくなかっただけで少年自身薄々気付いてはいたのだ。
執務室で目を覚ましたとき、自分の姿が何か別の物に変えられてしまったことに。
「オレの身体……どうしてこんなことになってるんだ」
少年――少女の人形は鏡を見つめたまま呟いた。
それに対してマリアンデールは淡々と事実を告げる。
「『魂の交換』と言うのだけど、セシルの持つ呪いの一つでね。この子は時々こういうことが起きるのよ。セシルに近付いた人間の魂とセシルの中に閉じ込められた魂が入れ替わってしまうの。思い当たる節があるんじゃない?」
少女の人形は執務室での出来事を思い返していた。
あの時の自分は何かに操られたように人形を抱え、そして気を失った。
どう考えてもあれが原因だろう。
少女の人形は焦燥感に駆られて言った。
「どうやったら戻れるんだ。早く戻してくれ」
「生憎だけど無理よ。あなたはもう元の身体には戻れないわ」
「え……?」
「だって、あなたの身体は前のセシルが持って行ってしまったでしょう。あの様子ではあいつは二度とこの館には戻らない。そしてセシルになったあなたは結界によって館の外へは出られない。元の身体を取り戻す機会はもう無いわ」
「そ、そんな……どうにかならないのか?」
少女の人形の顔が絶望に歪む。
しかしマリアンデールは冷ややかに言った。
「そんな顔をしてももう遅いわよ。あなただってこの館の噂を知った上でここへやって来たんでしょう? かわいそうだけど、そんな人に手を貸す義理は私には無いもの」
「………」
少女の人形は無言でうつむいた。
その通りなので言い返せない。
マリアンデールの言う通り何かしらの危険があることは承知の上で忍び込んだのだ。
もちろんこんな事になるとは思ってもみなかったのだが……。
少女の人形が何も言わないのでマリアンデールは話を続けた。
「自分の立場は大体理解してくれたみたいね。そんな訳だから、今からあなたの名前はセシル。今後はこの館の怪異の一つとしてこの館のために働くのよ」
マリアンデールがそう言うと少女の人形は顔を上げた。
「……それは一体いつまでやればいいんだ?」
「期限なんて無いわ。――あなたは永遠に人形としてこの館をさまよい続けるの」
「永遠に……?」
少女の人形が息を飲む。
「もちろんこれが永遠になるかどうかはあなた次第よ。運が良ければあなたがされたように他の誰かの身体を奪ってこの館から出ることもできるかもしれないわね」
マリアンデールはそう付け加えた。
ただ、実のところこんな言葉は気休めでしかなかった。
何しろセシルの『魂の交換』の呪いは滅多に起こらない。数十年に一度あるかないかである。
そしてその発動条件はマリアンデール自身も知らない。
これまでセシルに変えられた人間たちは皆この館から必死に脱出しようとしたが、長い年月を経るうちに神経をすり減らし、最後は例外なく狂った。
やがて『魂の交換』によって他人の肉体を奪い館から出て行ったが、精神に異常をきたした上に身体は本来の自分とは別のもの。また数十年という月日が流れたことで時代も移り変わっている。
恐らくまともに生きて行くことなどできなかっただろう。
セシルになった時点でその人間は終わりなのだ。
今回のセシルの瞳に生気が戻ってくるのをマリアンデールは見て取った。
マリアンデールがこれまで何度も見た光景である。
「……本当にいいのか?」
少女の人形がぽつりと声を漏らす。
「ええ。人間に戻れたらそれであなたの役目は終わり。自由になれるわ」
マリアンデールは優しい笑みを浮かべながら頷いた。
そもそも近寄らせないための警告として噂を流しているのにそれを無視して侵入し、こちらの手間ばかり増やす迷惑な人間共だ。
同情の余地など無い。
せいぜい微かな希望にすがりながらこちらの役に立ってもらおう。
マリアンデールは笑顔とは裏腹にそんな事を考えていた。
だが、今回のセシルはこれまでとは反応が違っていた。
「いや、そうじゃない。人間への戻り方とかそういうのはどうでもいいんだ」
「へ?」
「本当にこんな豪邸でずっと寝泊まりしていいのか!?」
少女の人形は目を輝かせながらそう言った。
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