第5話 多勢に無勢
「カレルくん、明日は訓練飛行だ」
もう陽が昇るというころ、66部隊の1日は終わる。窓の外では朝日の予兆が遠くの空を紫に染めていた。
「ハルケくんが教官になる」
ハルケ。隊長が言っていた名前だ。
「彼はエースパイロットだ。とても良い勉強になると思うよ。適切な準備を」
それにイエッサーと答えると、カレルは自室へ向かった。
個人の部屋が並ぶ廊下は静まりかえって、どこか余所余所しい雰囲気をしている。どの部屋の扉も「開けるな」と言っているようだった。
そもそも、軍隊で部屋が一人にひとつというのも、贅沢すぎる話だ。
この部隊は何から何までおかしい。
締め切ったカーテンの部屋で、カレルはふと目を覚ました。
まぶしい光が壁とカーテンの隙間を照らしている。まだ昼だ。
どうにも二度寝ができず、床を這い出て上着を羽織り、散歩することにした。
窓がない廊下は薄暗かったが、どこかから回折した陽光が入りこんでいる。夜明け前は重々しく威圧を放っていたドアたちは存在感を無くし、ただ壁のように佇んでいた。
カレルはドアたちを無視して……外に吸い出されるように、廊下を進んでいった。
***
亡びの園と呼ばれるここにきて 見渡したまえ
ほのめき明るむはるかな岸の微笑みが
清らかな雲の思いもうけぬ青らみが
池を照らし 目もあやな径を照らしているさまを
***
「きみは誰?」
カレルは駐機場に出ていた。
雲ひとつない青空の下、黒い鶫が一機、佇んでいる。
その傍にきらめく銀の髪の青年がひとり。その異質な光景に思わず問いかけたのだった。
「ぼく?ぼくは……」
青年は言い淀んで、考えるようなそぶりをした後に小さく微笑んだ。
「リヒ。この空を飛ぶ運命の者だよ」
「運命?」
「そう。ここに来たのは運命なんだ」
リヒはカレルをじっと見つめていた。
「こないだ飛んでただろ、きみ。まだまだだね。これを自分の体にしないとだめなんだ」
きっとヴォルに“撃墜”された時の事だ。他に見ている者が居たとは。カレルはその事にも、駄目出しをされた事にも静かに驚いた。
「これは、自分の神経を……魂を求めているんだよ。本来、身体だけの空っぽの器なんだから」
リヒはカレルから目を離し、鶫を撫ぜて言った。
「でも、間違いが起きた。神様が手を滑らせたんだ」
何を言っているんだ。カレルはそう思って顔を引き攣らせる。
「きみ、寝なくて良いの?今日は訓練でしょ」
リヒの腕がカレルの顔に伸びて、頬に触れる。
その瞬間、カレルはベッドの上で目を醒ました。
今のは、夢?
「お前が新入りか。カレルと言ったな」
その晩のブリーフィングで、茶色い髪の大柄な男が立っていた。
これが隊長と司令の言っていたエース・パイロットか、とカレルは目を大きくして彼を見やった。
「はい、よろしくお願いします」
「俺はハルケ。ヴォルとの訓練のことは聞いている。まずここの
ハルケはしっかりとした声で語りかけた。カレルはこの部隊に来て初めてまともなパイロットにありついたと思った。まともなパイロットなど普通の部隊でもなかなか居ないものだが、特にここ66部隊では絶望的だったから。
「はい……よろしくお願いします!」
返す声も、ここへ来てから最も元気なものを差し出していた。
******
カレルとハルケのドロッセルは夜空に舞い上がっていた。
「カレル、聞こえるか? 幽霊部隊のドロッセルは強化型のプロペラだ。それを回すためにエンジンに改良が加えられている。やや排気量が多いんだ」
ハルケは無線越しに指南をする。
「それを、ノーマルのドロッセルに乗っていたやつが扱おうとするとパワー不足になるか、振り落とされる。それがこの間のお前だ」
なにも、カレルも反省をしなかったわけではない。というより隊長たちにみっちり詰められたのだ。あの後。
なんとかこの黒い
「それではついてこい」
ぐるりと、90°以上のロールでハルケ機は下へ向かう。金属の腹を月下に晒しながら高度を下げた。
カレルも同じように追った。背面飛行を数秒続け、ひとつ下の高度で元に戻す。ロール。
「上昇するぞ」
なんて単純な上昇。直線のまま上がっていく……と思いきや、ピッチを急激にアップさせて垂直に天を目指す。
エンジンが息継ぎをした。混合気にうまく着火できてない。
「エンジンが咳してます」
「さっきの宙返りのせいだ。うちのドロッセルは無理やりエンジンを改造したから、エンジン由来の不調が多い。いまのもよくあるぞ」
ゲホゴホと、数回で咳はおさまった。またあの不気味な遠吠えが始まり、月をつんざく。
そうしてカレルはハルケに着いて初等訓練を終えた。
本来、学生上がりが隊に配属されて初めて行うようなことを、もうすでに飛行士の任についていたカレルにやったのだ。すこしからかいの意義もあっただろうが、カレルは真剣に“修了”した。
「こんな初歩的すぎることで悪かったな。お前の操縦、見る限りはもっと高度な訓練をやったほうが良いぞ」
「ハルケさん、ありがとうございます」
******
ルートがドロッセルから降りると、広間に部隊のみなが集まっていた。
「見てたよ、カレル」
ルートが柔らかに言った。
「いい勉強になったな?」
ヴォルが少しイタズラっぽく言う。
「本当、そうだよ」
カレルは苦笑いで答えた。
「フン、まだルーキーだからな」
「早く実験体にしたいなあ〜」
隊長と“ドク”が談笑している。
「ハルケ、新入りはどうだ」
皆に囲まれたハルケは顔に冷や汗を流し始めた。目もどこか1点を見つめている。
「あ……っそ、うだな……新入、り……」
明らかに体が震え始めており、カレルは呆然としてそれを見つめていた。
「ハルケさんはね、無敵のエースだったんだけど。敵が戦法を変えて沢山の敵機に囲まれるやり方で撃墜されちゃったんだ。それからたくさんのものに囲まれるのが苦手みたい」
「お、俺は」
「おいヴォル、ハルケを長椅子に置いとけ」
「アイサー」
「ヴォル…お前も俺を撃つのか?」
「撃つわけないだろ旦那!」
そうやって部屋の隅に置かれたハルケはある程度調子を取り戻して、訓練について説明し、酔い潰れたヴォルを引き摺りながら帰って行った。
******
ハルケ……その名を調べると、書籍に写真があった。昼間戦闘機“トルゴス”に乗っていた。かなり高いクラスの高性能機だ。カレルはさすがエースだな、と思って次のページを捲る。
大きな写真だった。
地に落ちたあとのハルケのトルゴス。
翼に穴が空き、ねじれて千切れていた。
白銀の桁を青空に晒し、周りの敵機にもその内側の構造をぶちまけた所を見せながら、彼は墜ちていったのだった。
あの頼り甲斐のある男が、自らの身体とせよとされている機体を、その臓腑や肉や腱を白日の元、無数の敵に晒しあげて墜ちたのだ。
そのとき、どんな心をしていたのだろう。そして、ぼくらはどんな心で居ればいい?
そんなことを考えているうちに朝日の芳香が漂ってくる。カーテンの裏に忍び寄るかすかな陽光が、お前たちの時間は終わりだと告げて、カレルは眠りに堕ちたのだった。
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