第6話 結び目は無く
「おーい、新入り」
カレルを呼び止めたのは“ドク”だった。
「ちょっと手伝ってほしいんだが」
「はい。えーと……ドクさん」
カレルはそう呼ぶと彼は笑った。
「ああ、その名前で良いさ。本当のあだ名は違うがね、みんなそれで呼ぶからね。隊長もそうだ」
「ただ、その呼び方はなんだか可笑しいな。ドクで良い。着いてきてくれ」
そのまま格納庫に連れて行かれたカレルは、ドクに小さいパイプの付いた筒のような物体を見せられた。
「これが俺が開発した超過給機だ。単純に言えばエンジンの性能が上がる」
カレルは隊長の言っていたことを思い出した。今は9割方びっくり研究者だとか言っていたな。悪い予感が足を生やして脳の上を歩きはじめた。
「すみません、急ぎで出さないといけない書類が」
「行こう」
ドクはカレルの肩を外しそうな勢いで腕を掴み、自らのドロッセルへと引きずって行った。
******
ドクのドロッセルは複座型だった。
夜間戦闘機の発展途上では複座型が多く、その時に大量生産されたものらしかった。今ではレーダーや無線の技術が発達して、主流は単座機となっている。
「こういう時のためにお古を取っておいた。きみが前だ。発進の準備をしておけ。俺はこいつを取り付けるよ」
もう逃げられないと悟ったカレルは素直に操縦席に潜り込む。
前後の席が繋がった機体。訓練生時代を思い出す。下手な操縦をすると、後ろから教官に頭を叩かれるのだった。頭のいい奴らは縛帯を即座に外して前に避けるそうだ。
そんなことを思い出しているうちにドクが後席に乗り込んだ。
「きみ、訓練はこいつの複座だったか?なら覚えているはずだな。単座より速いからな。速いっていうのはタイミングやレートじゃなくて速度自体の話で──」
カレルはここでも教官のことを思い出していた。だいたい話が長いが何を言っているのかはよく分からない。真剣に聞きすぎると精神によくないというのが定説だったので、5割ほど聞き流すのが訓練生たちのメソッドだった。
「──そういうことだ。わかったか?」
「はい。始動準備オーケーです」
ドロッセルに火が入った。
「アイドルのパラメータはおおむね良し。許容範囲内だ。スロットル上げていいぞ」
カレルがレバーを押すとエンジンは唸り、空気の流れを感じさせた。内部で小さな爆発が起こっているとは思えないほど統率のとれた動きでプロペラを回している。
「フライトアイドルです。タキシングしますよ」
「うん。まあいい!」
まあいい、とはどういう意味での良いなのか。カレルには分からなかったがとりあえず滑走路に出ることにした。今日は出撃は無いので誰かとぶつかることも無い。
古そうな個体だが動翼の動きは良い。カレルは暗い滑走路の先を見据えてスロットルを開いた。
プロペラの先端が空気を切り裂く音。エンジンの振動、全てが合わさって、独特の声が響く。空気が後方に押しやられて機体が動いて、それで、その声は突如として途切れた。
エンジンが息をしていない。
川で溺れる老人のように喉を詰まらせている。
「ドク!?」
カレルは思わずこの原因であろう装置を作った本人の名を呼ぶ。
「吸気量のミスマッチだな」
極めて冷静かつ、どこか喜びを感じる声色が後ろから飛んでくる。エンジンの音がしないので、ドクの声は直接空気を伝わってカレルの耳元まで届いた。
結局、ドクの複座のドロッセルは片脚を折って滑走路内に着地した。
司令に叩き起こされた整備士たちが機体を牽引しようと奮闘している。
こそこそと話をしていたうちのひとりが意を決してカレルに話しかけた。
「あの、何でこんなことになったんですか?」
「僕もよく分かりません」
その後ろで別の整備士がカウルをあけ、例の装置を見てなんだこれは、これは複座だから付いているのか、こんなもんはついていなかっただの、この機体フレームがゆがんでるだの、若いのもっと勉強しろだの議論が交わされている。
カレルの目の前の整備士の目が据わった。
「ドク。ぜんぜん──よくない」
「ぜんぜんではないよ」
ドクはパラメータをメモした紙を太ももから剥がして見入っていた。
「良い数値がとれた。帰るぞ!」
カレルは置いて行かれかけて、なんとかドクに着いていった。背中に整備士の好奇の目線を受けながら。
「きみたちは何をやっているのかな」
穏やかな顔しか見たことのなかった司令が、いや穏やかだが、その向こうに鬼を幻視するような雰囲気で尋ねた。
ドクとカレルは司令室の重厚な机の前に立たされている。
「神父!良いデータが取れたよ。これを付ければ高高度での爆撃機の迎撃に役立つはずだ」
「それに使う戦闘機が一機減ってしまったのはまずい事だよね」
「あれくらい整備士が直してくれる」
「何回も言ってるけど改造は禁止だよ」
司令は大きなおおきなため息をついて、カレルを見た。
「カレルくんも、許可なく飛行に付き合わないように」
カレルは今にも吐きそうな声でか細く はい、と答えた。
******
「ニコくん、あの機体を1週間のうちに直せるかな」
「ぎりぎり可能です」
整備班のキャップを被った青年は、先ほどまで二人のパイロットが立たされていた場所でそう答えた。
「もとから歪んでいる部分はリギングの数値を勘弁して貰えれば」
「それでいい。これまでもそれで飛んだから」
「了解」
ニコと呼ばれた男は短く返し、続けて尋ねた。
「……あのパイロットは何なのですか。今まで僕らは、彼らに会うことはなかった」
司令は表情を変えずに口を開く。
「彼は僕と同じで特別なんだ。遠い親戚でね」
ニコは眉間に皺を寄せる。
「彼の左目を開けさせないこと。まだ治療が済んでいないからね」
「……了解」
ニコは踵を返して出ていった。作業に取り掛かるつもりなのだ。きっと賑やかな格納庫で、例の装置に苦心することになるだろう。
******
ノワ司令はドクが何を予見しているのかを何となく察していた。ドクと呼ばれている男は、過去には優秀な開発者だった。それの残渣がまだ残っている。どこに?あの複座のドロッセルにか。
「ネハシュ、あなたの機体は取っておいて正解だったのか?」
どこか遠い国の響きを感じさせるその名前は、間違いなくあの白い髪の男のものだった。
司令が呟いたのと同じころ、遠く北東の街には敵機が襲来し、炎上していた。
四発の大型爆撃機と、護衛の小さな細身の戦闘機。それらは、自らが投下した熱気にあてられてゆらめき、翼を翻しては橙色に光って、夜のなにもない空に輝いていた。
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