第10話
10
勢いに任せてというにも脈絡のない言葉に言った僕が驚いてしまった。
聞かされた院長は額に手を当てたまま天井を仰ぎ、涙も引っ込んでしまった無口ちゃんはポカン顔で僕を見上げている。
どうしてこうなった?
いや、僕が変な事を口走ったせいだけどさ。
結婚って、なんでさ?
いくら子供が思い付きでしゃべるからっておかしいでしょ?
僕、そんなに結婚願望強くないからね?
そもそもロリコンじゃない!
こんな小さな子供は庇護対象であって、恋愛対象じゃない!
光源氏計画? 言いがかりはやめてください! 磨けば光るとか考えていたのが今になって不穏で仕方ないなあっ!?
無言の時間がしばらく続いた。
これじゃ誰が無口ちゃんかわからないなあ。
ちょっとそんな現実逃避をしていると、最初に口を開いたのは院長だ。
「……カイト。お前は少し休んだ方がいい」
「やめて!? 変に優しくしないで!?」
ダメだ。
院長が目を合わせてくれない。
なんとか前言を撤回させてもらわないと、僕の評価が『ちょっと変』から『かなりやばい』になってしまう!
「院長!」
「……こうしておけばよかった」
院長の指先が赤く光ったと思ったら、すぐに文字が空に刻まれる。
「【獣】?」
「駆けろ、【獣】」
宙に浮いた【獣】の刻印に向かって、院長が一歩踏み込んだ。
そのお腹の辺りに刻印が触れて、スッと音もなく体の中に染み込んで――風が吹き抜けた。
「は?」
目は離していない。
瞬きだってしていなかった。
なのに、パラパラ漫画の間のページを飛ばしたみたいに、院長の姿がなくなっていた。
残っているのは物置小屋の床に刻まれた足形の凹みだけ。
「……え? はあっ!?」
慌てて小屋を見回すと、僕のすぐ後ろにいた無口ちゃんがいなくなっているのに気付いて、遅れていなくなった二人が小屋の奥にいる事に気付く。
無口ちゃんを小脇に抱えて、ちょうどこっちを振り返るところだった。
見えなかった。
見えなかったけど、この状況。
院長が一瞬で移動して、無口ちゃんと僕を引き離した?
「……カイトはここで大人しくしていろ」
院長のお腹には【獣】の刻印が輝いている。
まずい。
このままだと僕は反応もできないまま無口ちゃんが連れていかれてしまう。
しかも、院長は聞く耳を捨てていて、口八丁でどうにかできる様子もない。
本気の本気で引き離す気だ。
「院長! 僕も出ていくって言ったでしょ!」
「……そうだな。お前も一緒に連れていくか」
ですよね!
子供二人ぐらい平気で担げるよね!
こうなったら衛兵の詰所で騒いでやるぐらいしかないか?
院長と孤児院に迷惑をかけないで、無口ちゃんを保護できる方法を必死に考えるけど、四歳児だと難問過ぎる。
今になって自分の状況がわかったのか、無口ちゃんが手足をバタバタさせるけどビクともしない。
眉間に深いしわを刻んだ院長は、あれで心底困っている。
「……まったく。こんな小さな子に――っ!!」
腕の中の無口ちゃんを見下ろしたところで、院長が見た事もない表情になった。
あれは驚きと、焦りと――もしかして、恐怖?
再び風が吹いた。
動揺しているせいなのか、今度は見えた。
院長は放り出す一歩前の勢いで無口ちゃんを置き去りに、僕の首根っこをひっつむと物置小屋から飛び出す。
バタンっと叩きつけるように扉を閉じる様子は変質者から逃げるようだ。
「防げ、【盾】!」
しかも、素早く左の五指で同時に五つの刻印を描き出し、宙を滑らす。
それぞれが物置小屋の四方と上空に配置され、赤い魔法の壁が生み出された。
今のって刻印魔法の五個同時発動!? す、すごっ!
って、子供相手にこんな高等技術を使うのってどうなの?
「カイト! ああっ! だから、結婚なんて言ったのね! なんてこと……なんてことに! ごめんね。カイト、ごめんね。私がちゃんと教えていなかったらから、あんなことを言うようになって!」
これは、驚いた。
院長が本当の口調に戻っている。
いつも話す前に妙な間があるのは、こっちの言葉遣いが出ないように意識しているせいなのだ。
それが、繕えないぐらいの動揺。
真っ青な顔で僕をすがるように抱きしめている。
その動揺があまりに激しくて、僕の方はなんだか落ち着……かない!
結婚する宣言の相手があんまりにボロボロの子供でショックを受けちゃったとか?
自分の子供と同然に育てる僕が、いたいけな幼女を自分のものだと言い張り、結婚するとか言い出したんだから、その衝撃はいかに。
「院長、待って! 結婚ってなんか出てきちゃっただけだから! 僕が言いたいのはそういう事じゃなくてね!?」
「なんで、どうして、カイトがこんなことに!? 衛兵を呼んで……」
「ダメ。彼らじゃ解決できない! なら、やっぱりアドルを頼るしかないの? でも、あいつが帰ってくるなんていつになるか……」
考えこんでしまった。
どうやら衛兵は呼ばないようだけど、それも大事にしたくないからじゃなくて頼りにならないからというのが、もう。
アドル父さんに相談って、家族会議かあ。
子供の失言なんて笑い飛ばしてくれるだろうけど、メチャクチャからかってきそうで憂鬱だ。
ともかく、無口ちゃんを魔法で隔離というのはやり過ぎだろう。
どうせ引き離すなら僕を閉じ込めてほしい。
あんな華奢で弱っている子を物置小屋に一人ぼっちなんてかわいそうだ
「ねえ、院長。落ち着いて。あの子、悪い子じゃないよ? 出してあげて」
「そうね。きっと、そうよね」
やっと声が届いて、僕を抱きしめる力が緩んだけど、見上げた顔はまだまだ落ち着いていない。
僕はもがいて抜け出した腕を伸ばして、院長のほっぺを挟む。
「ほら。小屋に入るなら僕が入るよ。だから……」
「やっぱり。そうなのね……」
弱々しく頷く院長。
いつもの厳しい雰囲気と真逆で困る。
「カイト。正直に教えて。あの子に触れたり、した?」
「え、うん。洗ってあげた」
落ち着きかけた院長が息を飲んだ。
それからおそるおそる問いかけてくる。
「まさか、あの子の胸まで触って、ないわよね?」
嫌な質問が来たなあ。
胸って言っても幼女のそれなんて性差はないから。
むしろ、無口ちゃんは栄養が足りてなくて痛々しいぐらい。
それを見てやらしい気持ちになるかって? ならないならない。なるわけがない。
微塵も劣情を抱かないのは女の子のプライドを傷つけるのではとか忖度せず、僕は胸を張って言える。
ちっともやらしい気持ちはない、と。
でも、心の底から本気の本気で百パーセントやましい気持ちはなかったけど、触れたかどうかで言えば。
「触ったよ」
指でつついたのと、無口ちゃんに押しつけられたのとで二回。
院長の顔色が白を通り越して、青くなってしまった。
今にも倒れてしまいそうで、慌てて抱きつく。
四歳児の僕じゃなんの支えにもならないだろうけど、院長の責任感を刺激したのか倒れるのだけは避けられた。
「なんて、なんて、こと……」
大粒の涙が頭に落ちてくる。
院長、マジ泣きしてる!?
待って待ってマジ待って!?
エロガキとか思われたの!? 四歳児だよ!? 性の区別もつかない年齢じゃん! 院長、それはいくらなんでも過敏すぎるってば!?
結局、この後はもう会話にならず、夜になっても帰ってこない僕らを探しに来たアドル父さんがやってくるまで院長は立ち上がれなかった。
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