第8話

 8


 目指したのは裏庭。

 そっと建物影から覗くと、院長はいない。よし。

 天気のいい日は洗濯物や毛布が干されていて、今日も毛布が並んでいた。

 大柄な院長の背に合わせて張られたロープの位置は高かったけど、ひらひらと揺れる毛布を引っ張れば落ちてくる。

 ついでに近くの数枚が地面に落ちてしまった。院長、ごめんなさい!


 風に飛ばされたんだと自分に言い聞かせて、拝借した毛布を持って小屋に戻る。

 無口ちゃんがいなくなっているかもしれないと思ったけど、よかった。

 出ていった時と全く同じ場所、同じ姿勢で立ち尽くしている。


「ほら、これ使って」

「………」


 こんな時まで無反応。

 ちょっと強引に頭から毛布をかぶせて、前で合わせる。

 って、くっさい!

 この子、くっさい!

 濡れたまま一週間ぐらい放置した雑巾みたいな臭いがする!


「?」

「はははっ! なんでもない! なんでもないよー」


 けど、我慢して誤魔化す!

 子供の時の事って意外に大人になっても覚えているもんだ。

 無口ちゃんのトラウマになったら取り返しがつかない。

 笑顔の仮面をかぶってやり過ごした。


「そしたら、服を脱いで」


 くさいとは言わないけど、このままにもできない。

 洗濯して、乾かすとして、体を洗うための水と布がいるな。あと着替えも用意しないとダメか――って。


「って、あー、一人で脱げない?」

「?」

「……手伝うよ」


 孤児院にいれば小さい子供の相手なんて慣れたもの。

 そういう僕もまだ四歳児だけど、できる事は自分でやるし、上の子が下の子の面倒を見るのは当たり前な環境なんだ。

 着替えの手伝いなんて日常茶飯事。

 まして前世を思い出したんだから照れも躊躇もない。


「――!? ――!! ――っ!!」

「そーれー」


 服を一気に持ち上げる。

 無口ちゃんが無言のまま抵抗する雰囲気もあったけど、問答無用で断行。

 躊躇すると手間が余計にかかるんだよなあ。


「うわあ」


 ワンピースを脱がせるとパンツ一丁。

 抵抗がささやかなのは好都合と下も脱がせて素っ裸にさせる。

 やっぱり女の子か、という意味とは別の意味で目のやり場に困った。


 骨と皮。

 そんな言葉が思い浮かぶ。

 子供らしいぷにぷにした丸みがまるでない。

 手足は擦り傷だらけで、痛々しく赤くなっている。


 すっぽんぽんになった無口ちゃんは呆然とした様子で僕を見つめている。


 まだ迷いがあったけどそんなのは吹っ飛んだ。

 こんなの見ちゃったら放り出せないって。


「毛布被って……ここ! ここに座ってて!」


 強い勢いで言ったのがよかったのか、ちっちゃく頷いて座りこむ無口ちゃん。

 僕は物置から桶を一つ抱えて、再び小屋を飛び出す。

 近くの川に行って水を汲み、ダッシュで戻って、孤児院に忍び込んでタオルをまとめてゲットし、自分用の服を抱える。

 途中で落ちた毛布をしょんぼりと拾っている院長を見かけたりもしたけど、心の中で土下座してやり過ごしつつ小一時間かけて用意を終える。


「お待たせ」

「………」


 戻ってきたら、無口ちゃんは出た時と全く同じポーズだった。

 言葉通り一歩も動いていないんじゃないか?

 院の子なんて十分だってジッとしてられないのに、子供っぽくない子供だ。


 寝ては、いないな。毛布の隙間から目があった。

 なかなかなつかない小動物を相手しているみたいな気分になってくる。


「まずは体を洗おう。出てきて」


 出てこない。

 うーむ。言って聞かせていては進みそうにない。

 抵抗とも呼べない力で毛布を掴むのを引っぺがして、肩を押さえつけて濡れタオルで無口ちゃんを拭いていく。

 なかなか絵的に酷い光景だけど、誰が見ているわけでもないから気にしない。


 うわぁ、うわぁ、うわぁぁぁ。

 濡れタオルがすぐに汚れてしまう。

 たくさん持ってきて良かった。

 いっそのこと川に飛び込ませた方が早かったんだろうけど、連れ出して誰かに目撃されるのはリスクだったし、行水するには季節が早すぎるから仕方ない。


 タオルを五枚使ったところでやっと元の肌の色が見えた。

 放浪生活で荒れてはいるけど、綺麗な白い肌だ。

 ぼさぼさの黒い髪も手入れすれば艶が出れば目を引きそう。

 まさに磨けば光るタイプか。

 最後の一枚で水気を拭いてあげればひと段落。


「これは美人になるんだろうなあ。将来有望だね」

「………」


 今のはオヤジっぽいか?

 言葉には気をつけないとな。

 無口ちゃんは魔力以外には相変わらず反応なし、と。

 慣れてきたから気にしない。

 沈黙に耐えられないから独り言のつもりで話し続ける。


「女の子なんだから、もっと綺麗にしないとねー」

「………」

「その前に食べ物か。僕の分を分けてあげるかー」

「………」

「あ、これもケガ……じゃない。あざ?」


 赤い線のようなものが二本、胸元でクロスしている。

 前世のアルファベットの『X』みたいな形だ。


「これって……」

「―――っ!」


 あざを指で触れた途端に突き飛ばされた。

 今までの無口ちゃんらしからぬ激しい反応に驚いて、そのまま尻もちをつく。

 見上げた無口ちゃんはジッと僕を見下ろしている。

 わお。温度のない視線がとってもクールですね。

 特殊な趣味を持っている人は悦んでしまうかもしれないけど、僕にそんな性癖はないから戸惑うばかり。


「ええっと、ごめんね? 嫌だったのかな。うん。それは謝るよ。でも」


 僕は四歳児だけど、前世の記憶をそこはかとなく持っている転生者。

 子供がいけない事をしたら、叱る義務がある。


「ダメだよ。人を押したら危ない」

「……?」

「え? みたいな顔してもダメだから。ほら、ちゃんと謝る。僕も謝ったでしょ?」

「………」

「こーら。知らんぷりしないの。はい。ご・め・ん・な・さ・い」


 黙っちゃった。

 聞いてはいるみたいだから無視はされてないよな。

 素直になれない、か。

 これぐらいの子供なら仕方ない、けど。


 起き上がって、無口ちゃんと目を正面から合わせて、話しかける。


「ねえ。いけない事をしたら、謝るんだよ」

「………」

「謝るって難しい? そうだね。僕もそういう時あるからわかる。けど、いけない事をしたのもわかっているでしょ? 胸が嫌な感じしないかな? ずっとそのままなのは良くないよね? だから、君のためにも謝って」


 ここでポカン顔ってどうしてさ。

 え、僕がうざい? しつこい?

 ……いや、そうだったとしてもここは心を鬼にして叱ってあげないと、この子のためにならない。


 でも、これ以上の言葉は出てこない。

 言うべきことはもう言ってるし、拒絶されたらちょっと心にクるからね。


 ジッと見つめながら待ち続ける事、数分。


 無口ちゃんが僕の手を取った。

 ゆっくりと胸に抱きしめて、僕を見つめなおす。

 例のあざの辺りに押しつけてきて、何がしたいの?

 僕が大人だったら事案を誘発しようとしているのか疑うところだけど、子供相手じゃ違うはず。

 小悪魔じゃないよね?


「……? なに?」


 謝っているわけじゃないよな?

 心細いとか?

 謝る相手に頼るのはちょっと変だけど、今は言わんでおこう。


「へいき?」


 ある、うん、に続いて三つ目の単語、頂きましたー!


 内心で喜びつつ、ここらが妥協点かとも考える。

 僕の身を案じてくれた辺り、悪い事をしてどうにかしようという気持ちはあるみたいだしね。

 その気持ちの伝え方を学ぶのはこれからでいい。


「うん。平気だよ。次からは気をつけてね?」

「……うん。うん。うん!」


 うえええええええええっ!

 なんか、急に泣き出しちゃったんだけど!?

 子供が泣くのなんて慣れているけど、ここまで脈絡がないとびっくりするから!


 どうしようか。

 まずは泣き止んでもらわないと。

 手を伸ばしかけて、迂闊に触れるのも躊躇われて中途半端な体勢で内心大混乱していた時だった。


 バシン! と大きな音を立てて小屋の戸が開いた。


「……ここに入ってはいけないと言っているだろう。出てきなさ――」


 静かな声で誰何しながら入ってきた院長の声が詰まった。

 無言の目がスッと細くなる。


 物置小屋に、泣きじゃくる全裸の少女と、その胸元に手を伸ばしている(ように見える)少年。


「……何をしている?」

「……何をしているんだろうね?」


 この時ほど、今が子供で良かったと思う事はなかったです。はい。

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