彼女と嘘 6
リッカちゃんが里を出ることになったのは、二週間後だった。
撃退された魔獣の群れが再び襲いに来るのは、少なくとも数日から数週間を開けてからだ。群れの規模が大きいほどその期間は長い。回復するためにはそれだけの時間が必要だからだろう。
今回の群れの規模は近年例にないほどだということで、そのくらいは大丈夫だろうという話になったのだ。
卒業もまだのこどもを犠牲にすることになったとしても、この里を危険にさらすことはできない。たくさんの書籍は、厄災の後に引き継ぐべきものだからだ。
そう言われれば、納得はできなくても理解はできた。理解できなければ図書番なんて憧れてはいけないのだろう。
リッカちゃんはそれまでの落ち込みようが嘘みたいに明るく振舞った。
「ニナ、先に外で待ってるからね。」
その健気な様子を見て、誰もが彼女を心配した。
もうすぐ卒業とはいえ、未成年の女の子。普通は卒業後もしばらくは里で修業をするし、外に出るにはまだまだ学ぶべきこともある。それなのに不安な顔ひとつ見せないで、心配をかけまいということなんだろう、と。
――
それは、私が里を出る前々日のことだった。
私は里長の前に呼び出されていた。赤と黒のストライプの長衣に、鼻を隠すほど深く被った筒状の帽子のせいで、こちらからは目も見えない。体型の完全に隠れる服を身に着けているが、たまに袖から覗く腕は異様に細い。
いつも思うけれど彼はとても不気味だ。口が動いているのはわかるので、しゃべっているのは彼自身だろう。しかし、抑揚のない声は何を考えているか悟らせない。
「リッカ、来なさい。」
おそらく里長は、単純な魔法の力だけならば私よりは弱いだろう。しかし、勝負にはそれ以外の部分が大きく左右する。彼は油断ならない使い手だ。こうしていてもビシバシ強者の気配がするので、逆らうのは得策ではない。
ただひたすら猫をかぶって、これまで通り、おとなしくしていればいい。
今日の呼び出しでは、今後の役に立つありがたいお言葉と餞別をひとりひとりいただくのだ。要は、お小言とご褒美の時間である。
しおらしくしていないと後々面倒なことになるので、あくまでも表情は取り繕う。気を抜くとニヤニヤが止まらなくなってしまうから、それは慎重に。
予想通りのお小言は、聞いていても実につまらない。
ひとつ、里に戻れば魔獣を連れてくることになるから戻らぬように。持ち込みたいもの、持ち出したいものは、ほかの都市で出会う図書番に頼みなさい。
ふたつ、外の都市に行っても、長期間は滞在してはならない。大都市を放棄させるような被害を出すことはないよう、重々気を付けて行動しなさい。
みっつ、厄災とは何かを忘れてはならない。おのれの力を過信せぬよう、他者への思いやりと配慮を忘れずに過ごしなさい。
要は、とにかく魔獣は連れてくるな、魔獣をほかの都市に連れて行くな、ということに尽きる。
厄災とは何かを忘れるな、とは、確かにその通りで、この時代の魔獣は倒せば倒すだけ増える。魔獣とは女神の力の代償であり、人の摂理の外にあるものだからだ。倒し切って終わるならば厄災と呼ばれたりしない。
「みんなに迷惑をかけないように過ごすことをお約束します。まだ未熟ですが、私にも、図書番の荷袋は与えられますか?」
それが黙って従っていた理由だ。
「いいだろう。君は、以前から図書番を志望していたし、書籍の収集はするのだろうから。」
「ありがとうございます。」
書籍の扱いや戸籍など、面倒な約束事や手続きを終えた頃、里長に似た格好のこどもが箱を持ってきた。
彼は次代の里長の修業中なのだろう、箱を渡した後も、部屋の隅にじっと控えて様子をうかがっている。
「荷袋に登録をしなさい。」
箱の中には地味な色の布袋が入っている。持ち上げると血管のような赤い線が手と袋に浮かび、ひとつに交わって消えた。
里長が受け継いだ魔法で作る素晴らしい荷袋は、里の血筋でなければ扱えないけれど、入れた荷物の重量をほとんどなくしてしまえるものだ。
重い本を持って移動するには必須だが、里の人間ではなくても喉から手が出るほど欲しいだろう。しかも、荷袋と一緒に継承する『パッケージ』という魔法を併用することで、見た目の五倍ほど収納できる。荷袋は背負える最大サイズの背嚢と同じくらいだけれど、非力な女子供でも大判の図鑑を百冊同時に運べるようになるのだ。
「継承をする。手を出しなさい。」
里長の手に触れると、何も言われていないのに『パッケージ』の使い方がわかった。血の魔法の継承は触れて行うものというけれど、実際に行うことはほとんどない。
初めての感覚に驚いていると、立ち去るように促された。
「そのほかの物資は、家に届けてある。荷袋に詰めていきなさい。」
彼は立ち上がることなく、これまで何度も繰り返したであろう言葉を感情も乗せずに淡々と宣う。
部屋を出るときにもう一度振り返ってみたけれど、彼は最後まで素顔を見せなかった。
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