彼女と図書番の里 3

翌日の放課後、ニナは話をしたいと先生にお願いしに行った。

ふたりきりの教室で、先生は頬に手を当てて困った顔でつぶやく。

「内緒にしていたわけじゃないのですよ。」

きっと話の内容など察していたのだろう。

「図書番とは、そうした過去もこの先に伝えて遺すもの。だけど、みんながみんな、すべてを知る必要はないのです。

世界中全部の知識を手に入れるなんて、それこそ女神さまだってできませんからね。

力もない私たちにできるのは、集めることと遺すことだけ。知ることはそれぞれが興味のあることだけでいいですし、重要なことは図書番として外に出る前に受け継ぐことになるでしょう。」

「力も、ない?」

「たくさん本を読んでたくさん言葉は知ったみたいだけど、まだ戦えると思っているの?」

厄災の時代ならば、十二歳にもなって自分の力量もわからないようじゃ生きていかれないわね、と眉尻を下げて先生はため息をつく。

「私はどちらの時代も知っているけれど、戦えるとは思っていないわ。」

「え、先生が?」

先生はこの里でも五指に入るほど強いと言われていた。なんたって、二種類の強力な攻撃魔法が使えるのだ。火の魔法も水の魔法も生活にも役に立つし、鳥の魔物の翼を焼いたり、動く植物を燃やしたり、地を這う小さな魔獣ならば押し流すことだってできる。実際、里に魔物が来るならば、先生が追い払いに行っている。

それなのに戦えないとはどういうことなのか。やっていることと反対だ。ニナにはどうしてそんなことを言うのかわからなかった。


彼女は、倒せたら苦労はしないんだけど、そんなに簡単なものじゃないのよね、と肩をすくめて見せる。

「追い払うことと倒すことは違うことだもの。あんなのは戦えているなんて思っていないのよ。

食べても割に合わない強い相手だと思わせられたら帰ってもらえるかもしれないでしょう?」

勝てもしない相手に時間稼ぎしているだけだという。しかし憧れの魔女のそんな弱音は簡単に納得できるものではない。

「そんなことない、先生はとっても強いのに。」

「たしかに、里の人たちの中では強く見えるかもしれないけれど、戦い方を知っているわけではないし、ひとりでは大したことは本当にできないのよ。

だから英雄や聖女だって、恐ろしい獣を全滅させるよりも、女神の糧となることを選んだのでしょう。」

これは最終学年用の教科書だけれど、と言いながら、先生は一冊の本を手に取る。

「何十人もの人が集まって、やっと一匹を倒すのが精いっぱい。追い払うより倒す方がずっと難しい。そんなものがたくさんいる時代だから厄災の時代と呼ばれるし、都市を、集落を放棄して、人が生き延びるのもそのせい。

例えば私みたいなのひとりで倒せるのなら、大きな都市が街ごと捨ててみんな逃げるなんてしなくていいはずでしょう?」

厄災の時代はそれが当たり前に起こる。図書番の里ではそのようなことがないのでみんな忘れているけれど、と続け、地図のページを開いた。

十か所の大都市が記されたシンプルな地図だ。

「これらが人間の拠点。厄災が終わると、これらの都市を復旧するの。

そして厄災の時代に捨てて逃げ延びる。もちろん抵抗できそうならば頑張って守るけれど、そんなことができることは多くない。」

苦いものでも飲むような目で第二、と書かれたところを押さえる。

「この大都市は、もう今回の厄災で捨てられた場所。私がここで先生になるより前、図書番として知識を運んだ場所ね。」

繁栄の時代の礎となるよう、里で守られたたくさんの書籍を都市へと運び、写しを取られた書籍を再び必要な時代が来るまで里に戻す。それが繁栄の時代の図書番の仕事。彼女もまたその仕事をするために、第二大都市に何度も向かった。

「ここには私が持って行った本で、加工食品を作る工場を建てたのよ。私が生きている間に、またその工場が動くのを見ることはないでしょうけれど。」

前の復興を手伝った彼女は、すでに五十を超えている。この恐ろしい時代が終わるまで、あと四十年近くはかかるのだ。まだこどものニナだって、決して若くはないだろう。

それに、この時代が終わって女神が目覚めるということは。

「悪い言い方をするなら、英雄や聖女は生贄のようなものだもの。」


興味があるのなら明日もいらっしゃい、と先生が言ったのは、もう夕方になっていたからだった。

慌てて家に帰ったが、ついたら周囲はすっかり真っ暗で、こっぴどく両親から叱られたのは言うまでもなかった。

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