第1話 出会い
「もう! お兄様の馬鹿!」
ジーナはぶつくさ言いながら迷路のような城を歩く。彼女は小さな身体に似つかわしくない剣を抱えてゼェゼェと息を切らしていた。
「大事な剣を忘れたから届けてくれって……騎士団で隊長にまで上り詰めたくせにうっかり者! 早く……早く届けて帰りたいぃ……!!!」
重い剣を投げ捨てたくなる衝動を抱えながら、兄の愛剣を放り出す気にはなれないジーナは、うらめしそうに剣を抱えて騎士団の詰所を目指す。既に迷っているが、誰も居ないので道を聞く事も出来ない。
『ん……? 本の匂いがするわ?』
生粋の本好きであるジーナは、本の気配を察知すると今までとは打って変わって足速に歩き出した。
『ななな……何よこれ! 天井まで本があるわ! なんて素敵な場所なの?! 図書館?! 図書館よね?! 城の図書館は誰でも出入り可能だったわよね? 入っても……良いわよね? ああ、なんて素敵な香り! ここは天国かしら!』
大事な本を傷つけるわけにいかない。兄の愛剣よりも本が大事なジーナは、剣を放り出したい衝動を抑え扉の外にそっと剣を置いて本棚に向かおうとした。ところが、ジーナが駆け出そうとすると何かに靴が当たりジーナの身体は宙に浮かび上がる。
「きゃっ……!」
転ぶ。そう思い身を固くしたのにいつまで経ってもジーナは痛みを感じなかった。
「……危ないよ」
ぶっきらぼうな声がして、ジーナは柔らかい手で支えられた。転びそうになったところを助けられたと分かったジーナは、すかさず頭を下げる。
「失礼致しました! お助け頂きありがとうございます!」
「……大丈夫?」
「はい! 申し訳ありませんでした。わたくしは、ジーナ・オブ・ケニオンと申します。兄の忘れ物を届けに来たのですが、図書館の見事な本棚に見惚れてしまって我を忘れてしまいましたの」
「……僕はケネス・ジェームス・ファラー。ここは僕の私室。図書館じゃない。本当は入ったら駄目なんだよ」
『ケネス……城に私室って……第二王子殿下?! ああ! わたくしの馬鹿! 剣を持って王子の私室に侵入するなんて、暗殺を疑われてもおかしくないわ! どうしましょう……とにかく、謝罪をしないと。せめて家族は罰せられないようにお願いしましょう。わたくしの命を差し出せば家族は許して頂けるかしら』
「も、申し訳ありません!!! あまりに見事な蔵書で……図書館なのかと思ってしまいました。ケネス殿下の私室とは知らず、大変失礼致しました。あの、失礼をした身で恐縮なのですが、どうか家には咎が無いようにお願い出来ませんでしょうか。わたくしは、どのような罰でもお受けしますので」
王子の私室に無断で入ってしまったジーナは、正しく自分の立場を理解していた。なんとか、父や兄、妹が罰を受けないようにしたい。その一心で震えながらケネスに頭を下げる。
「……扉を開けていた僕にも非があるから、罰なんて与えない。だから気にしないで。大体、僕が訴えたって誰も聞いてくれないよ。ジーナって言ったよね? 君はフィリップの妹?」
「はい。本日は兄に届け物がありまして……その、本当にお許し頂けるのですか?」
「図書館と間違えただけなんでしょう? 剣だってちゃんと置いてある。僕に危害を加える気がない事くらい分かるよ。けど、今後は気をつけてね」
「ありがとうございます……!」
自分は死ぬ。そう思っていたジーナは、感激のあまり声が震えた。聡いケネスはジーナの僅かな変化に気が付き、ジーナを気遣った。
「大丈夫?」
「殿下のご慈悲に感謝致しますわ。わたくし、もう死ぬのだと……」
「死ぬ?! なんで?!」
「だって……ケネス殿下は王子様です。王子の部屋に無断侵入した上に、凶器まで持っていたとあっては……」
「そんな事で処刑したりしないから! それに僕は第二王子! 王太子じゃない。間違えて部屋に入った令嬢を処刑したいなんて言っても、誰も対処しないよ」
「どなただろうと、王族の方への無礼は処罰されると聞きました」
「そりゃ、悪気があればそうなるよ。でも君は悪気なんてないでしょう」
「ですが、わたくし本に夢中で……殿下を……踏みましたわよね?」
「……うん。びっくりしたよ」
「本当に申し訳ありませんっ!」
「許すからもう謝らないで。それより本が好きなの?」
「はい! 大好きですわ!」
本の話題を振られたジーナは、嬉しそうに微笑んだ。
「……なら、またおいでよ」
真っ赤な顔でジーナを誘うケネスだが、ジーナは近眼でケネスの顔色まで見えていない。ただ、ケネスの声が優しそうだと思っただけだった。
「え……?!」
「……フィリップへの届け物が済んだらここにおいで。読ませてあげる」
『こんなに赤い顔で誘っても駄目だよね。僕は兄上やライアンみたいに見た目は良くないし、この子だってどうせ……』
「本当ですか?!」
どうせ断られる。そう思っていたケネスは、グイグイと顔を近づけて来るジーナに面食らう。
「……本当。けど、君こそ良いの? 僕なんかの誘いに乗って、誤解されたら困るでしょ?」
「誤解とはなんでしょうか?」
「僕みたいに不細工な王子の部屋に誘われたなんて噂が立ったら婚期を逃すよ?!」
ジーナは、じっとケネスの顔を見つめると満面の笑みで言い放った。
「ご心配なく。扉は開けておいて頂けるのでしょう? うちは兄がおりますし、妹も殿方に人気です。わたくしが結婚しなくても問題ありませんわ。それに、元々わたくしは社交界が苦手です。あんな真偽の分からない噂話をする時間より、本を読む方が良いですわ」
『あんなに無礼な事をしたのに、わたくしを気遣って下さるなんてなんてお優しい方なんでしょう。扉さえ開けておいてもらえればおかしな事にはならないし、元々結婚なんてしたくない。けど、どうしてケネス殿下とわたくしが噂になるなんてお考えなのかしら。お兄様の事を知っているなら、うちが貧乏伯爵家だとご存知よね? わたくしじゃ王子のお相手に相応しくないわ。そんな噂なんて、立たないと思うけど……』
「扉はそりゃ開けるよ。けど、そうじゃなくて! 僕は不細工だろ?!」
『不細工?! なぜ容姿の話が出てくるの?!』
「殿下、大変失礼なのですがわたくしは近眼でして……」
「僕の顔、よく見えてないの?」
「申し訳ありません。輪郭は分かるのですが……」
『あああ……! どうしましょう! せっかくお許し頂いたのに、お声が不機嫌そうだわ! 初対面の殿方のお誘いに乗るなんて、はしたないと思われたのかしら。けど……本を読んで良いって仰ったのは殿下なのに……! まさか、社交辞令?! お断りするのが正解だったの?!』
混乱しているジーナをじっと眺めたケネスは、自分の顔が見えればこの子も意見を変えるだろうと自虐的な笑みを浮かべながらジーナに命じた。
「ふぅん、なら僕に近づいて顔をちゃんと見てよ」
「承知しました」
王子の命令に逆らう選択肢なんてない。そう叩き込まれているジーナは、躊躇いなくケネスに顔を近づけていく。
2人の顔の距離は数センチにまで近づいた。
ケネスは、いつジーナが不快な顔になるか待っていた。だが、ジーナは一切嫌がるそぶりを見せず素直にケネスに顔を近づけていく。
いたたまれなくなったケネスは、自らジーナから離れ叫んだ。
「さすがに僕の顔、見えてるよね?!」
「はい、ケネス殿下の綺麗な瞳が見えましたわ」
「他になんか感想ないわけ? 僕の顔で悪いところを言ってよ。命令ね」
「すこし……その、少しだけお肌が荒れておられますね」
「もっと何かあるでしょ?! 気持ち悪いとか、不細工だとか!」
ケネスの叫びに、ジーナはムッとした声で答える。確かに自分は近眼だが、あれだけ近くで見れば分かる。ケネスのどこが不細工かジーナには分からなかった。
「ケネス殿下は不細工ではありませんわ。どなたがそのような失礼な事を言うのですか。そもそも、人の見た目を馬鹿にするなんて教養がなっておりませんわ」
「……いっぱい言われるよ。貴族の子ども達からも馬鹿にされる。兄や弟は見事な金髪で見た目も整っているのに、僕だけ髪の色が違うし、ぽっちゃりしてるし、目も小さいし、鼻だって……」
「失礼極まりありませんわね。そんな美意識が破綻されている方のお言葉を聞く必要はありませんわ。お耳が汚れます」
「……ジーナは、僕の顔が不快ではないの?」
「あまりきちんと見えておらず申し訳ないのですが……不快とは思いません」
「ふうん、なら後でこの部屋に戻っておいでよ。フィリップの居場所、分かる?」
「……それが、その……」
「迷ったんだね?」
「はい……」
「僕と歩くのが嫌じゃないなら、案内してあげるよ」
「本当ですか?! 何から何までお世話になって申し訳ありません!」
『この子は、僕と歩くのも嫌じゃないのか……』
深々と頭を下げるジーナを見つめていると、ケネスの胸に暖かいものが流れ込んできた。
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