第2話 ケネスの事情

ジーナは、兄の執務室に剣を届ける事が出来た。案内してくれたケネスは、既に部屋に戻っている。


道を覚えているかジーナに確認して、わざわざ地図まで渡したケネスは、ジーナにまた会いたいと思っていた。けど、彼女が兄と話してやっぱり自分の事が嫌だと思ったら逃げられるようにしないといけないとも思っていた。ケネスは先に部屋に戻ると告げて去り、ジーナはケネスに深く頭を下げて礼を言い、兄の執務室をノックした。


「お兄様、忘れ物を持って来たわ」


「おお、ありがとうジーナ。でもどうして? 迷わなかったか?」


ジーナの兄のフィリップは、騎士団の隊長になったばかり。引き締まった身体の美丈夫だ。


「コレ、送ってきたでしょ。なんでわたくしを名指しするのよ! 迷ったけど、ケネス殿下が助けて下さったの」


ジーナが兄から届いた急ぎの手紙を渡すと、フィリップは顔を顰めた。


「え……?!」


「本に釣られて、危うく王子の部屋に無断侵入した罪で裁かれるところだったわ。だけどケネス殿下はお優しいのね。許して下さった上に、お部屋に招待して下さったの!」


「はぁ?! 部屋に招待って……意味分かってるのか?!」


「普通なら殿方から部屋に招待されるなんて邪な事でもされるんじゃないかって心配するとこだけど、大丈夫よ。本を読まないかって言われただけ。それに、きちんと扉も開けて下さるそうよ」


「……そうか。なら良い。確かにケネス殿下はお優しい方だから、無体な事などなさらないだろう。けど、噂になるかもしれないぞ。ジーナがケネス殿下に見初められたとな」


「うちみたいな貧乏伯爵家じゃ王子のお相手には不足でしょ。そんな噂話にならないわよ。せいぜい、話し相手だとか、悪い噂なら……夜のお相手とか? ま、今は昼だし扉も開いてるならその心配はないわよね」


「ビクター殿下やライアン殿下ならそうだろうけど、ケネス殿下なら間違いなく噂になるぞ」


「そうなの? なんでよ?」


「ケネス殿下は見た目が、その、少し華やかではないから……」


「殿下もそんな事を仰っていたわね。まさか、お兄様もそんな失礼な事を言っているの?」


ジーナは、心底不快だと顔に出ていた。普段は貴族らしく感情を表に出さないジーナだが、兄の前では本来の自分を曝け出していた。ジーナの口ぶりから、ケネスを慕っている事がありありと分かる。


「そんな訳ないだろ」


「そうよね。お兄様の美意識が破綻してなくて良かったわ」


「相変わらず辛辣だな。……まさか、そのセリフを殿下に言ってないよな?」


ジーナは、静かに兄から目を逸らす。焦ったフィリップが声を荒げて妹に詰め寄った。


「言ったな! 言ったんだな?!」


「言ったわよ! 人の見た目を馬鹿にするなんて教養がなってない。そもそも殿下は不細工じゃない。そんな美意識の破綻した人の話を聞く必要はない。耳が汚れるって言ったわ!」


「ジーナ! 頼むからその毒舌をなんとかしろ!!! 今の発言だって、遠回しに高位貴族を貶してる事になるんだぞ! うちは貧乏伯爵家なんだ! 目をつけられたらどうする!」


「なんでよ! 殿下の方が立場が上でしょう?!」


「……そうなんだけどな……城ではちょっと事情が違うんだ……」


フィリップは溜息を吐きながらジーナに説明を始めた。


「ケネス殿下は、髪の色が違うだろう?」


「ああ、そういえばそうね。でも、確か3代前の国王陛下がケネス殿下のような茶色の髪だったわよね。普通にあり得るじゃない」


「そう思わない貴族も多いんだよ! ビクター……殿下やライアン殿下は、見事な金髪で見目麗しいから余計目立つんだろうな。使用人達もケネス殿下を馬鹿にした態度を取るんだ。俺も最初は驚いたけど、それが当たり前になってしまっていてケネス殿下なら多少馬鹿にしても良いと思ってる貴族も多いんだ。だからケネス殿下は女性に人気がない。夜会でも誰とも踊らないし、誰も声をかけないらしい。俺達は警備だから黙っているしかないんだけど、イライラした事はよくある。幼い頃からお辛い思いをなさっていたんだろうな。使用人もあまり信用なさっておられないらしくて、ひとりで部屋に引き篭もる事が多いし、少しぽっちゃりなさっていて自信なさげな態度なのも女性から人気がない理由のようだ」


「……え? あんなに素敵な方なのに? 王子を馬鹿にする方が馬鹿なのではなくて? それとも無能なのかしら? あ、身の程知らずなのね!」


「やめろ! 気持ちは分かるけど、そんな奴らばっかりじゃねぇよ!! 王太子殿下だってケネス殿下を可愛がってるんだからさ! 頼むから城で余計な事を言うなよ! ただでさえ俺が隊長になって睨まれてるんだから!」


「お兄様は実力で隊長になったでしょう。それに、平民の隊長さんだっていらっしゃるじゃない」


「そうなんだけど……俺の前の隊長が、アレだったからさ……」


「ああ、コネで隊長になって調子に乗ってメイドを誘って振られたからって酔って暴れてクビだっけ? 彼を隊長にした人も騎士団から追い出されたんですってね。せっかく大役を仰せつかったのに、勿体無いわよねぇ。最初はコネでも、実力を認めさせれば良かったのに」


「そんな殊勝な考えのヤツがコネで隊長になるかよ」


「言われてみればそうね。お兄様みたいに実績を積めば良かったのに」


「俺は確かに実績が認められて隊長になったけど、一応貴族だろ? コネじゃねぇかって声もあるんだ。分かってくれてる奴も多いんだけど、俺は隊長になったばかりだからさ……」


「お兄様なら、そのうち皆様分かって下さるわよ。でも、そんな状況で剣を忘れるのはどうかと思うわ」


「すまん。本当に反省してる」


「まぁいいわ。じゃあ、わたくしは行くわね。あまり殿下をお待たせするのは良くないし」


「ジーナ、あまり長居するなよ。本に夢中で、殿下の話を聞かないなんて失礼な事もするなよ!」


「しないわよ。わたくしだって立場を弁えてるわ。せっかくお許し頂いたのに、処罰されたりしたら困るじゃない。わたくし、本気で死んだと思ったわ」


「何やったんだよ!」


「お兄様の剣を持って殿下の部屋に侵入しようとしたのよ。わたくしの命くらい差し出さないとお家が取り潰しになるじゃない。だから覚悟してたんだけど、本が傷つくのが嫌で剣を置いていたから危害を加える気はなかっただろうと仰って、お許し頂けたの。わたくし、殿下がいらっしゃる事に気が付かなくて……殿下を踏んでしまったのに……本当にケネス殿下はお優しいお方ね」


「はぁぁ?! 何やってんだよ! 俺もケネス殿下と話す。確かにケネス殿下の部屋は本だらけだからジーナが我を忘れるのも分かるけど、気をつけてくれよ。城の図書館は、入り口に必ず司書が居るから、司書が居ない部屋は図書館じゃない。覚えておいてくれ。事前に教えなかった俺のせいでもあるな……はぁ……すまん」


「ごめんなさい。お兄様。もし処罰されるとしても、どうにかわたくしだけにして貰えるようお願いするわ。それにしても、ケネス殿下のお部屋は素敵だったわ。本の良い匂いがしたの……」


ジーナは、ケネスの本棚を思い出してうっとりと微笑む。


「頼むから我を忘れるなよ!」


フィリップの叫び声が執務室に響き渡った。

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