第六話 台湾出兵始末
小田原兵学校一期生が漕艇訓練に明け暮れていた頃。
朝野は台湾征伐に湧いていた。
琉球宮古島の漁民が遭難した先の台湾で虐殺された事件を契機に世論が盛り上がり、九州道政府が先行して出兵準備を進め、それに慌てて中央政府が合流して共同で台湾に出兵したのだ。
中央政府は、清国との漁民・領民保護交渉をしている最中の九州道での挙兵に虚を突かれた格好となる。
共同出兵という形を取ったものの、実態はすでに進発していた九州道軍の侵攻船団に、たまたま活動中であった「孟春艦」「雲揚艦」の二隻を急行させて合流して体裁をととのえたにすぎない。
九州道政府のみの判断で(清国政府は「化外の地」と称してはいたが属領には違いない)台湾侵攻を許せば、中央政府の正当性が揺らぐ。
倒幕雄藩連合の中でも強力だった西国諸藩の連合体として地歩を固めつつあった九州道政府は反政府勢力の急先鋒でもあったから、この侵攻の真意を別に見る向きもあった。
漁民の保護ではなく、中央政府に打撃を与えるための確信犯としての侵攻であったとの見方だ。
武力行使とその後の外交の展開で中央政府ではなく九州道政府がその主導権を握れば権力の奪還ができる、その好機と見たに違いない――。
九州道政府の首班を務める男のことをよく知るものほど、その見方に賛同していた。
けっきょくこの時の九州道政府による独断専行は未遂に終わり、台湾での短期間の戦闘の終了のあとの外交交渉も中央政府が担うこととなったのだが、清国にも、諸外国にも武力発動・軍隊の侵攻が予告も周知もされない奇襲となったために大日本帝国はおおいにその面目を失することとなった。
中でも叱責の急先鋒となったのがアメリカだった。
先に漁民虐殺事件について九州道政府要人に懲罰的侵攻を唆していたのがアメリカ駐日公使だったことを知っている中央政府の政治家官僚は、あらためてアメリカへの反感と嫌悪を深くする。台湾出兵後の処理で清国・イギリス・フランスの非難を一身に浴びることとなった佐幕列藩同盟出身の外交担当者はとくに、黒船来寇以来の因果もありアメリカに対して憎悪にも近い感情を刻むこととなった。
台湾への軍の出動そのものは大過なく終わった(ようにその時は思われていた)が、外交上の問題だけではなく内政上の課題も浮上していた。
東西戦争後の混乱の後、日本海軍に主要な軍艦をすべて集約していたからもはや内乱の危機は起こるまい、と誰もが信じていたが
「中央政府に直接に刃を向けなくても、やり方次第でその体制を揺るがしうる」
ということをまざまざと見せつけられたからだ。
そもそもの話。
この当時の日本海軍は列強のそれに比較すればはるかに弱体ではあったが、東アジアという領域に関してのみ言えば、超巨大戦力といって過言ではない圧倒的な存在であった。
列強海軍にしたところでアジアに駐留している艦隊だけを見れば、現在の日本海軍に匹敵するものはない。質の面においても「ユーライアラス」「ストーンウォール」を叩きのめした「天陽丸」が健在である。
本国艦隊から一段落ちる艦艇を持ち込んでいるのが大半の列強海軍のアジア駐留艦隊が、(馬関戦争のときのように)数カ国で連合艦隊を組むのならともかく、単独では対抗不能な有力な海軍と言えた。
アジア諸国……と言っても明白に独立を維持しているのは清国ぐらいのものだが……に至っては蒸気船じたいが両手の指に収まるほどの数しかない。
しかもその性能ときたら小田原兵学校の所有船である「千代田艦」よりも低速のものしかない。
「千代田艦」の同型艦である「第三千代田」を旗艦として、高速帆走スループを五隻も揃えた九州道海軍は、日本海軍から見ればいつでも撃退できる弱体な戦力でも、清国、しかも化外の地とされた台湾から見れば明らかに強力な艦隊、過剰な戦力であった。
中央に反抗するには足りない戦力という視点でしか見られてこなかった地方道政府海軍の保有する艦隊が、対外侵攻においては極めて有力な戦力であるということに気づいた中央政府の対応は早かった。
日本海軍主力を結集した中艦隊を各道に派遣し、各道政府海軍の所有を許されていた小型の蒸気船をすべて日本海軍に接収することにしたのである。
倒幕雄藩連合の本拠地である九州道ほかの西国道政府はもちろん、佐幕列藩同盟の本拠地である東北道以下の東国道政府からの反発も予想されていた。
地方道政府の自治の象徴としての兵備の削減を迫るわけだから、生半な覚悟ではできない。万が一の交戦を想定したうえで、速やかに各道の海軍を制圧するために周到な準備が必要だった。
そうした周到な準備の一環として、小田原兵学校にも白羽の矢が立てられた。
「今次の出動は我が海軍の総力をあげた出動である」
出撃にあたって装いを一新した「千代田艦」の艦長に就任した柳川教官――柳川艦長の訓辞を一期生全員が神妙な面持ちで聞いていた。
練習船として一切の武装を下ろしていた「千代田艦」は現役時のように武装を施された結果、それを操作するための要員を充当するのに一期生が動員されたのである。
全力の出撃であるために、海軍の現役艦すべてが定数を充足させるためにあちこちから人員をかき集めた結果、「千代田艦」に回せる人員がどこを絞ってもでてこない。
そのために臨時に兵学校の学生であるところの一期生を用いることとなった。
「本分であるところの教育がこのような形で中断されたこと、まことに申し訳ない」
と、柳川艦長は頭を下げるが、一期生の多くは興奮を抑えきれないでいた。
大砲の訓練はひと通りやっていたものの、艦砲の射撃訓練は今回の出動ではじめて。
それになにより、七月の漕艇競争の選から漏れた者たちにとっては初の小田原を離れた遠征である。実戦の可能性があると教官たちからさんざん脅されていたものの、若者らしい楽天さと能天気さでその恐怖に怯えるということもない。
もっともいくらか不安を抱いていたとしても、それを表に出すことがこの集団においてどれほど自分の評判を損ねるのか、みなが理解している。そこにはあえて触れないことでやり過ごしていた。
けっきょくのところ、「千代田艦」はこの年の出動で戦闘を経験することはなかった。中艦隊による接収が遅れる地方に対して、示威行為のために派遣されるのが「千代田艦」ほかの単独行動する艦艇の任務であったから、はなから自らを上回る戦備を整えている地方へは派遣されない。なので交戦に発展する可能性は最初から低かった。
「千代田艦」は単艦で圧力をかけることができるていどの戦力しか保有していない地方へと出撃し、何事もなく任務を完了した。
その道政府海軍は、保有を認可された「千代田艦」の同型艦を持て余し、すでになかば放棄していた。その情報を握っていたからこその「千代田艦」の派遣であった。
到着してみれば道政府海軍は残った帆走スループを完全に整備した上で日本海軍に引き渡す準備を完了しており、中艦隊の派遣を待たずに接収が完了することとなった。
他の地方道海軍でもほぼ同様の展開だったらしい、とは鷲尾の噂だ。
噂にすぎないが、柳川艦長を始めとした艦首脳部の様子を見てもたしからしい、と山田は感じていた。
何事もなく無事に終わった「千代田艦」での航海だったが、三週間あまりの艦上生活で山田は、来年の分科の時には海軍に行こう、と決心している。
砲の操作の他、時間を見ては臨時に開催された技術実習と座学で興味が湧いてきたためだった。そうした決意をするのは山田にかぎった話ではなく、小田原に戻る頃には海軍に向かうもの、陸軍に向かうものの大ざっぱな集団分けのようなものが出来上がりつつあった。
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