第一話

「ぜんたい、遅すぎるのではないか」

 角張った顔の青年は煙管で窓枠をコンコンと叩きながら言った。

 六尺半纏に長股引の、坊主頭でなければ江戸の中間かと見紛うばかりの格好で頭陀袋をまるで座布団のように尻に敷いている。

 見るものが見れば目を剥くような無作法だったが、青年の隣、やや年かさの男は気にする素振りも見せずに応えた。


「ここで間違いはないですがね」

 丸い頬に細い眉、絵に描いたような貴族ヅラの彼はしかし、近頃はそれなりに見かけるようになった洋装に身を固めている。

 角張って目玉のギョロリとした青年とは対称的に、風呂敷包みを抱えてその側に立っていた。


「しかしよ、こんなボロ屋が船着き場とはいささか信じられん。

 げんに誰も居らぬではないか」

「客が我々しか居ないからでしょう」

「それにしたってしかし山田よ」

「焦るもんでもありませんよ、海野くん、ほら」


 山田と呼ばれた年かさの男は、どうやら老けているだけで海野と同年らしかった。彼は懐から時計を取り出し、角張った顔の青年、海野にその盤面を見せる。ここについて6度目のやりとりであった。


 たしかに約束の時間にはまだ少し早い。


 そうは言ったってよ…海野はあらためて室内を見回す。

 雨戸のなくなった障子の抜けた吹きさらしの窓に、玄関の戸板は影も形もなくどことも行方知れず。そこかしこの壁は剥がれ、ボロ屋というほかない。

 山田が言うには、東西戦争の折には、桑名藩兵の拠る吉津屋見附の前哨陣地・沿岸警備所として用いられた建物というが、海野にとってはわずか一〇年足らずでここまで荒廃するものかと呆れるしかなかった。

 「どこも銭がありませんしね」と山田は肩を竦める。建物が残ってるだけマシでしょう。壁も戸板もどうやら焚付の薪に持っていかれたようですし。


「そうじゃねえんだよなぁ。山田よ、もうちょっとこう慨嘆とかはないんか。

 俺たちの晴れの門出なんだぞ」

「それならば出立の時に盛大に祝ってもらったではありませんか」

「だからだよ!

 あんだけ派手に見送り受けて、たどり着いてみればコレってのはあんまりじゃねえか?」

「まだたどり着いてないじゃないですか」

「分かってねぇなぁ。 栄えある士官学校一期生だぞ、オレたちゃ?

 言っちゃなんだがオレはかなり真面目にやってきたからな?」

「それは知ってます」

「毎度首席のお前に言われるとなんか腹立つが、まあそうだ。

 ……で、そんなオレたちに対する扱いがこれってのはどうなんだって話なんだよ」

 出迎えもねえ!

 小田原くんだりまで出張ってみればこんなボロ屋に待たされる!

 この先どうなるんだよいったい!

 

 最後の叫びに「まだ小田原にはついてませんよ」と茶々を入れながら、山田は薄く笑った。

「そうだけどよ、この調子じゃ期待できねえってことよ。

 だいたいおかしいと思わんのか」

「むしろ私は海野くんの方が分かりませんね。

 これから本邦を背負って立とうというのに、どうしたってこんな些末なことで一喜一憂するのです」

「まったく、ほんとお前はいつも沈着冷静だよな。動じることがないっつか、つまらんというか―――」


 海野が愚痴りかけていたのを遮るように、鋭い汽笛が鳴った。

 窓の外を見やれば船体を黒く染め上げて真っ白な帆を張った汽船が見えた。

 マストに翩翻とひるがえる日章旗に目を細め、海野は呟いた。


「ああいうフネに乗りたかったんだよな、正直」

「これから乗ればいいじゃないですか」

 

 海野の細めた目よりも細い山田の目が柔和な曲線を描く。

 からかわれているのか、と訝しんだ海野が向き直ろうとする前に、派手な水音が窓外から響いてきた。

 沖の黒船が錨を投げ入れた音だと気づいた海野は、深く息をついて大声を上げそうになるのを抑えて山田を睨みつけた。


「知ってたのかよ」

「聞かれませんでしたから」


 やっぱお前って嫌なヤツだよな。そう呟く海野に、山田は笑みを大きくして、さあ、行きましょうか、と声をかけた。



  *



 明治四年に開校するはずだった小田原兵学寮だったが、設置発表後の各組織・各軍の駆け引きのために開校が遅れていた。

 開校を前提にすでに業務を停止していた海軍系の防府海軍伝習所・石川島海軍操練所、陸軍系の京都の兵学寮・越中島の銃隊調練所の教官・生徒は、臨時に築地芸州下屋敷の跡地に集められ、そこで適宜の残課程の教育を施されることとなった。

 いずれの教育組織も最大でも生徒が一〇数人と小規模だったから可能な措置だったが、それでも手狭で生徒の受け入れが早晩難しくなることは自明であった。事実、この年の築地陸海軍兵学所の入校者のうち、海軍士官候補はわずかに二名であり、陸軍士官候補と合わせても一〇人にも満たない。

 新生日本の軍隊の規模が小さいとはいえ、それでも築地陸海軍兵学所はあまりにも規模が小さすぎる。小田原兵学寮の開校は喫緊の課題だった。


 にもかかわらず話がなかなか動かなかったのは、地方自治政府の再編の混乱に巻き込まれたのが大きい。

 小田原兵学寮の構想時点ではまだ幕藩体制の残滓が残っており、藩主・家臣団といった地方行政機関は知藩事とそれに属する諸機関という形に置き換えられてはいたが中身は旧来そのままであったから、大雑把に藩の規模の大小に合わせて、大藩は五名・中藩は四名・小藩は三名、といった具合に生徒の募集枠を設定していた。

 しかし、地方自治体制の再編が急展開し、東西戦争の戦功の考慮・そもそもの徳川幕府時代から各藩が抱える財政赤字の解消、といった目的での藩同士の合併が促進され、またたく間に構想だけが進んでいた「道」体制がほぼ確立することになる。

 東西戦争で頭角を現してきた中央政府の中堅幹部の下剋上に対する、佐幕・倒幕旧勢力側の対抗措置であった。

 中央政府が「天皇の意向」を旗印に組織化が進むのであれば、旧勢力としても従来の緩やかな連合という形ではなく、自派を糾合して強固な体制を確立しなければならない。雄藩の首脳層はそう考えた結果、自国周囲の諸藩を吸収合併して巨大な政体、「道政府」を確立しその主導権を自身が握ることで中央政府へ対抗することになったのである。

 この地方自治の再編と、それに伴う徴募枠の見直しなどの手間があって小田原兵学寮の開設は遅れたのだった。

 そうした再編が落ち着いた明治六年には開校できるかと思われたのもつかの間。

 同年に中央政府・地方道政府の二重の財政危機という困難に直面してまたしても開校は先延ばしにされたのだが、軍人養成機関の逼迫にもはや猶予はない。

 ほかの多くの公共事業・組織の新設が先送りにされる中で明治七年、小田原士官学校(小田原兵学寮から改称)はようやく開校される運びとなった。

 地方自治が再編された結果、士族階層・新設の平民階層を分けた徴募枠の設定は撤廃されて、各道にはただその規模に応じた志願者数の枠だけが割り振られた。

 山田も、海野も、そうして新たに割り振られた徴募枠の中のひとりであった。

 山田は士族の家系であり、海野は平民の出身である。



  *



 出自の差が問われない、それが明治七年の日本の軍人教育であったが、では生徒にはなにが問われるのか。

 山田も、海野も、みずからがなにを問われるのかをまだ知らない。

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