第二話

 山田と海野を含めて、小田原兵学校の一期生は三〇名であった。遅れて入校予定のものがあと数人居るとの噂はあったが、これが当時の小田原兵学校の生徒の全てであった。

 旧来の築地陸海軍兵学所は新規入校は停止していたが、残る生徒の課程は小田原へは移転せずに卒業まで築地で教育することとなっていた。ほんらいであればそうした生徒たちも小田原へ移すべきとの議論もあったが、どの期も一〇人足らずで小田原新入組よりも規模が小さいので授業の勝手が違ってくるという反論もあり、並行で運営することとなった。

 そういう建前であったが。

 実際にはより深刻な問題があったということを山田ら一期生は知ることになる。


 

 入校式に参列した教官連に、ひときわ目立つ者がいた。顔面をパンパンに腫らしたおそらくは最年少と思われる教官がふたり、教官列の末席に並んでいる。

 居並ぶ教官連に混じる西洋人と思しき者より、ずっと生徒の注目を集めていた。

 式典の最中はさすがにどの生徒も脇見をすることなく正面を向いていたが、講堂への入退場時の行進の際には皆が視線を向けていた。

 やや小柄な方は腫れてほとんど開いていない目でそうした生徒を睨みつけ、それよりはまだ怪我の浅いように見える大柄な方は鼻を鳴らして行列に足を踏み出しかける。


「森田ァ!! 何ぶしとるか!」


 今どき珍しい髷を結った五〇絡みの男が、講堂中に響くほどの大声で怒鳴った。洋式の軍服に身を包んでいるのは異様であったが、立ち姿の見事さから周囲に馴染んでいて新入生らはまったく気づいていなかった男だった。

 棒を飲んだように直立不動の体制に戻る森田と呼ばれた教官を見て、歩みが止まっていた新入生らも慌てて行進を再開する。

 先導する柳川教官はそうした新入生の失態を一瞥してすぐに前を向き直る。その僅かな動きだけで生徒たちに緊張が走り、今までよりも慎重に、足並みをそろえて講堂を出る。

 物事には動じないほうだと自負していた山田だったが、柳川以下の教官連の圧力の強さには戸惑いを隠せない。平静を装って宿所までの行進を続けながらも、周囲の動揺も伝わってくる。


(一人ならいざしらず)

 一挙手一投足の威圧感が尋常でない人物だらけのこの学校はいったい何なのだ。

 目立たなかった教官連もあえて気配を押さえていただけでそのまとう圧力は隠しきれていないことを山田は感じていた。同期もそのへんに気付いている者も多いようだった。


 かわら版や世評で名だたる勇士や大物ネームドは、ここには一人もいない。

 慶応動乱から戊辰戦争(東西戦争)にかけて名の知れた・名を上げた壮士は一人もいない。そうした今を燦めく英雄連はいずれも中央政府にあって活躍している(築地の兵学所でも、東西戦争で幕府軍の元指揮官として山田も名を知っている者が教鞭をとっていた)。


 無名の壮士から教官を選抜していると思われるここ小田原兵学校ですらこのような有様なら、中央で維新を背負っている大物らネームドはいったいどれほどの化け物なのか?

 

 新入生は山田一人のみならず、少なからぬ人数がこの先に怖気を振るった。

 ……彼らがそれが誤解であることに気がつくのは、少し先のことである。


 

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