第106話 Deepest Bluest

「油断は禁物じゃねぇんだよ、帰るぞ! 仕事ごときで危険に身をさらす必要はない」


 まさに、正論。

 すでに一回死にかけているし、ただちに帰宅せねばならない!


「てやんでぇ、べらぼうめっ! 漁師が、人喰い鮫にビビッて逃げろってかッ!?」

「巨大人喰い鮫は漁船を襲いまくってて、もう何十人も喰い殺されているッス!」


「言い忘れとったが、今回の仕事は『人助け』やっ! 仕事を放り出して帰るなんて許しまへんでっ!」


 こ……このクソガキャ~!


「メイ! 大事なことは先に言え! なんでお前はいつも仕事の内容を教えずに、無理矢理厄介ごとに俺を放り込むんだああああああああああああああああああーっ!?」

「仕事内容ゆったら、フールは絶対に逃げるやんけっ!」


「当たり前だろうがッ! 無礼で不愉快なパンドラ人どもなど、鮫に喰い殺されてしまえばいいのだッ!」


 ぬぅわ~んで、隠居生活してんのに恐怖体験および厄介事に巻き込まれなければならんのじゃッ!


「反社会的危険人物め、メイ殿に文句を言うなっ! フールの日頃の行いが悪いから隠し事をされるのだぞっ!」


 けっ! ちょっと前まで、捨てられた野良犬みてーだったくせに、今やすっかりメイに懐いて忠犬気取りかよ。


「俺たちのお仕事は、ただの漁でも魚釣りでもねぇ、人喰い鮫――しかも、巨大人喰い鮫退治だってよ! こいつは、『勇者様の出番』だなッ!」

「私に押し付けるなっ! お前も仕事をするのだっ!」


 他者を救うつもりがない……?

 所詮は、勇者になり切れなかったまがい物よ。


「勇者様は、働く気も人助けをするつもりもない、と……おい、メイ。海に入って餌になれよ」

「なんでやねんっ!?」


 メイが生意気に歯向かってくる。


「俺に仕事をさせたいんだろ? その気にさせてみろよ」

「アルのおいたん! フールが、自分を餌にして鮫を捕まえるってゆーとるでっ!」


 ぬぅわ~んて! 生意気な小娘なのだっ!


「フールさんを餌にするなんて、ダメッスよ!」

「マーガレットちゃん……! 俺のために、凶暴なロリエルフに立ち向かってくれるのっ!?」


 メイの親族とは思えないマトモっぷりに感動してしまう。

 結局、信じられるのは、マーガレットちゃんだけってワケ!


「あいつを釣るための『餌』は用意してあるッス!」

「その『餌』って何?」


 マーガレットちゃんが、人一人が収まるぐらいのデカい樽を持ってきた。


 蓋との隙間から、赤黒い血みたいなものが結構多めに漏れている……。


 なんか血と臓物の腐ったようない~やな悪臭が、鼻に入ってきやがったぞ。

 どう見ても、どう嗅いでも、嫌な予感しかしねぇッ!


「これッス! これが、人喰い鮫をおびき寄せる餌ッス!」


 マーガレットちゃんが、ヤバさ満点の樽の蓋を開ける。


「樽のなかから……血まみれの動物の死体が現れたァーッ!?」

「餌の羊ッス! 生皮を剥いて血と臓物をまぶしてあるッス!」


「ぼえェェェーッ! なんて強烈な臭いだ! 海の中まで、臭いそうだぜッ!」

「あたりきよ! 血と臓物を発酵させた汁に漬け込んで臭いを増させているんでぃ!」


 また臓物か……パンドラ人は、臓物が好きすぎだろッ!

 やはり、凶悪な蛮族だけあって、こういった荒事に手慣れている……。


「この柄杓で『汁』を海にぶちまけて、鮫を呼び寄せるッス!」


 マーガレットちゃんがそう言うなり、何を思ったかアンジェの馬鹿が柄杓で桶のなかの臭い汁をすくった。


「どりゃあああーっ! この前の仕返しなのだあああああああああああああっ!」


 そして、こともあろうに俺にぶっかけてきやがったァーッ!?


「やめろ、馬鹿たれッ! 臭っせぇ汁をッ! ぶっかけるんじゃねェーッ!」

「わははは! いい気味なのだ、たまには真面目に仕事をしろっ!」


 こ、このクソガキャ~……!

 マジでぶっ殺したい……ッ!


「ちょっ、アンジェさん! なにやってるんスかッ!? フールさんに汁をぶっかけたら、鮫がフールさんに襲いかかっちゃうじゃないッスかッ!」


 優しい! まっさきに、あたいを心配してくれたっ!

 マーガレットちゃん、ほんとすき!


「問題ないのだ。これで、『フールが生き餌になった』だろう? こいつが鮫を釣り上げたら、私が鮫を殴り飛ばしてやるのだっ! 拳でっ!」


 馬鹿アンジェが自信満々の顔で、たわけたことを抜かす。


 次の瞬間ッ!


「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアクッ!」


 血の臭いに釣られたのか、海から飛び出してきた!


 鮫がッ! 人喰い鮫がッ!


「俺に襲いかかってきやがったァァァーッ!」


「フール! 鮫を殴れっ!」


「お前が殴るんじゃなかったのかよッ!?」

「言ってる場合かーっ!」


 どこまでもふざけやがってェ~ッ!


「死ねェェェッ! 鮫えええええええええええええええええええええええええッ!」


 襲いかかってきた鮫の鼻っ柱に、全力で拳を叩き込むッ!


「シャークッ!?」


 俺にぶっ飛ばされた鮫が大きく吹っ飛んで、海のなかに戻されるッ!


「マーガレットちゃん、鮫は鼻が急所だっけ?」


 盛大に水しぶきが上がり、くっさい臓物汁まみれになった体に降り注ぐ。


「そ……そうッス……!」


 結局のところ……。

 恨みがましく愚痴ったりしてても、仕事は終わらねぇ。


「鮫の鼻っ柱を殴ってやったぜ。拳でッ!」


 仕事なんてもんは、さっさと取り掛かり、とっとと終わらせるに限る。


「これにて、『お仕事終了』ってな」


 俺にぶっ飛ばされた鮫が白い腹を見せて、ぷかりと海面に浮かぶ。


「ひ、人喰い鮫を殴り飛ばしやがった……! どうなってるんでぃっ!?」


 偉大なる魔王様が、鮫畜生ごときに喰い殺されるわけないだろうが。


「どうもこうも、見ろ! この俺が我が身を犠牲にして、哀れなお前らを『人喰い鮫の血に飢えた牙から守ってやった』ぞッ! 血にまみれたこの俺に跪いて感謝しろ!」


 恩知らずな馬鹿どもは、言葉にしないと何もわからないからな……。

 言うべきことは、野暮でも言っておかねばならん。


「きょ、巨大鮫を素手でしばき倒しよったっ!? 相変わらず、無茶苦茶やで……っ!」

「やはり、腐っても魔王……っ! 無職とは思えん凶暴さなのだっ!」


「うるせぇ! てめーら、第一声は『フール君、ありがとう! だいすき!』だろうがッ!」


 なんて無礼な小娘どもなんだッ!


「すごいッス! フールさん! こんな強い人、初めて見たッス!」


 まともなのはマーガレットちゃんだけ、と。


「マーガレットちゃん。この俺はね……君のためなら、こわーい人喰い鮫にだって拳一つで挑み……そして、勝つ男なんだぜ」


「素敵ッス!」

「知ってる」


 これにて、本日のお仕事終了。


 仕事終わりというのは、なんと素晴らしい開放感なのだろう!

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