第105話 ディープブルー!

「見て見て、フール! お魚ちゃん、釣れたでっ!」


 小魚を釣り上げてはしゃぐメイが、じゃれついてくる。


 普段はスナック経営者としてやり手ババアみたいに振舞っているが、今日は珍しく子供らしい無邪気さを発揮していた。

 やはり、普段は大人ぶってはいても、本質的にはまだ子供ということなのだろう。


「見ろ、私も釣れたのだっ!」

「ウミガメじゃねぇかッ! 魚を釣れッ!」


 アンジェの馬鹿は、なぜか亀を釣り上げていた。

 こいつは、いついかなる時も馬鹿だ。


「うるさいぞ! お前はさっきから、ぼーっとしているだけで何もしていないではないかっ!」


 アンジェめ、生意気なやつだ。


「声がデケェんだよ。ちっとは慎みを覚えろ」


 とりあえず、竿を振る。


「フール! サボらんと、仕事せえよっ!」

「釣りは、『待つのが仕事』だ。竿に引きがあるま――」


 話している途中で、思いっきり強い引きがきたッ!


「来たァッ!?」


 えっ!? 早くなーい!?


「それはともかく! すごい引きだッ! これは、大物かもしれんッ!」

「まさか! 『巨大人喰い鮫』かいなっ!?」

「わからんが、とんでもない力だ……ッ!」


 かなり強く竿を引いても、びくともしないッ!

 むしろ、逆に引っ張られるッ!


「フールさん、手伝うッス!」


 やだっ、太い腕と厚い胸板っ!?

 マーガレットちゃん、なんて心強いんだ!


「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」」


 俺たちは、力を合わせて思いっきり竿を持ち上げたッ!


「いててて! 釣り上げたのは、おいらでぃ!」


 アルアルのおっさんが釣れた。


 針はなぜか知らんが、アルアルのおっさんのふんどしの――よりにもよって股間の部分に引っかかっていた。


「……まともな釣りがしたい」


 というか、もう帰りたい。

 長時間船に揺られて、船酔いしてきたし……。


「おいらを釣り上げるったぁ、どーいうつもりでぃっ!?」

「おっさん、なぜ頬を赤らめる?」


 などとやっていると、突然――


 ドンッ!


 と足元を突き上げられたような衝撃を感じた!


「岩礁かなにかに、ぶつかったのか?」

「マズいッ! オメーら、姿勢を低くして何かに捕まれぃッ!」


 アルアルのおっさんが血相変えて叫ぶなり、再び船体が大きく突き上げられたッ!


「うわあああーっ! 出たっ、鮫が出おったでーっ!」


 衝撃で甲板を転がったメイが、目を見開いて海を指さす。

 指の先に視線をやると……。


「マジじゃねぇか……ッ!」


 海面から突き出ている鮫の背びれが見えた。


「なんか、やたらとデカくねぇか……?」


 やたらとデカい背びれの大きさから推測するに……。

 海のなかにいる本体は、『この船と同じぐらい』あるんじゃねぇのか……!?


「フール、ぼーっとするな! ぶつかってくるぞっ!」


 アンジェが声を発すると同時に、鮫が船の横っ腹に体当たりしてきたッ!

 激しく船体が揺れた衝撃で、海水を頭から被っちまう!


「出だしから最悪――うわっ!」 


 体当たりの揺り戻しの衝撃で、足元がぐわんと大きく揺れた。


「右にいるぞっ!」


 アンジェが言うなり、左から衝撃がくる!


「左じゃねぇかっ! テメーは、左右もわからねぇのかッ!?」

「ちゃう! 鮫が左右から揺さぶりかけとるんやーっ!」


 恐怖の声で叫ぶメイが、左右に激しく揺さぶられる船体に必死にしがみつく。


「おいおい、鮫の野郎……船をひっくり返す気じゃねぇのかッ!?」


 クソ! 船を揺らされまくったせいで、甲板が海水でびしょ濡れだ。

 うっかりすると、足を――


「滑らせたあああああああああああああああああああああああああああああーッ!」


 勢いよく滑ったせいで、船から海に投げ出されたッ!

 ヤベェッ! 激しく波打つ大海原に頭から飛び込むッ!


「だから、仕事なんてしたくないんだああああああああああああああああああッ!」


 巨大な人喰い鮫が、大きな大きな口を開けて俺を待つ!


「シャークッ!」

「うぜェッ! なんだ、その鳴き声ッ!?」


 刃よりも鋭い歯を見せつけてくる人喰い鮫が、俺の肉体を引き裂かんと荒れ狂う!


「「フーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーールっ!」」


 魔王様は、鮫に喰われて死んだ。



 完!



「危ないッス!」


 と思ったが、マーガレットちゃんが船から飛び出し、間一髪のところで助けてくれたッ!


「フールさん、大丈夫ッスか!?」


 手すりに片足を引っ掛けただけの不安定にもほどがある態勢にも関わらず、マーガレットちゃんは俺を軽々と引き上げてくれる。


「だ、大丈夫……助けてくれて、ありがとう」


 勇気と筋肉のあるこの娘がいなければ、普通に死ぬところだった……!


「お礼なんていらないッスよ。人を助けるのなんて当たり前なんスから!」

「やだ、人間の鑑っ! すきっ!」


 海の乙女の優しさとたくましさに触れた俺は、思いがけずときめいてしまった。


「なにをやっているのだ?」

「アンジェちゃん、見てわからないのかい? 恋に落ちかけているのだよ」


 殺戮と破壊と食事にしか興味のない異常者には、突然の恋に揺れる心の機微などというものはわからんのだろう。


「フール、お前のことではない。鮫のことだ」


「船を転覆させるつもりだろ? そうだよね、マーガレットちゃん?」

「そうッス!」


 息ぴったし。

 もはや、俺とマーガレットちゃんは、『圧倒的仲良し』と言っても過言ではない。


「アルのおいたん! あの鮫が、例の『巨大人喰い鮫』なんかっ!?」

「そうでぃっ! あいつは、人はもちろん、海鳥からクジラ、さらにはクラーケンまで! 『喰えるもんならなんにでも喰いつく』悪食の化け物でぃっ!」


「今みたいに船に体当たりして転覆させたり、船底を突いて穴を開けたり、いきなり甲板に飛びついてきたり! あらゆる手段で海に落とそうとするのが、あいつの手口ッス!」

「海に落とされたら、絶対にあいつには勝てん! 生きたまま喰われるだけでいっ!」


 などと、アルアル親子が鮫の情報を教えてくれるなり、急に鮫が体当たりをやめた。


 そして、異様な沈黙と静寂が海に満ちる――。


「……静かになった? 鮫の背びれも見えないくなったのだ」

「もしかして……諦めていなくなったんか?」

「マーガレットちゃん、俺たちは素人だ。状況を説明してくれ!」


 不安になったら、マーガレットちゃんに助けを求めておけば間違いない。


「最初の攻撃が失敗したから、船の下で旋回しつつ様子を見てるッス」

「やつは、鮫のくせに狡賢い! 緩急をつけて攻めてくるぞ、油断は禁物でぃっ!」


 人喰い鮫の恐ろしさを知る漁師親子に緊張が走る。


「むぅ……っ! 槍ぐらい持ってくるべきだったのだ……!」

「え、やだ……むっちゃこわいんやけど……」


 メイとアンジェたちも、つられて緊張する……!


 人喰い鮫の登場により、楽しい海釣りが一瞬にして恐怖の時間になった――。

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