第88話 腐った死体だ! 一目散に逃げろ!
「やめろ! クソジジイ! 放しやがれェェェーッ!」
「いいや! 放さんッ! 魔獣討伐は、まだ終わっとらんのじゃァッ! しゃきしゃき働けェェェーッ!」
ジジイは俺の首根っこを掴むと、無理矢理森のなかに引きずり込んだ。
「誰か、助けてーっ! 変なジジイに拉致されてます! 大人の人呼んでぇーッ!」
破滅の因果が、俺を絡めとっているううううううううううううううううううーッ!
「べアトリクス! なんの騒ぎだァーッ!?」
「将軍、こいつを見てくれ……っ!」
べアトリクスが指さすのは、さっき遭遇した魔獣の体ぐらいの大きさの足跡だ。
「異常にデカい人型の足跡だ。こいつは……巨人かい? 将軍の見立ては?」
「巨人ならもっとデカい、山小屋ぐらいの足跡になる。おそらく、この大きさだと……魔王軍の敗残兵のトロールか、サイクロップス、あるいは、魔女様たちの使役するゴーレムじゃろうッ!」
「なるほどね……おや? 足跡の周りに撒き散らされてる『黒い粘液』は、なんだ? さっきの熊の魔獣んときもあったな……油みたいに黒くて粘ついて腐臭がする……」
「油のような黒い粘液に腐臭じゃと……? 魔獣の黒い血か……ッ?」
ジジイが、いつになく真剣な面構えをしだした。
「むむッ! 今、血がスライムみたいに蠢いたぞッ!? これは、まさか……ッッ!?」
マジで冗談抜きで、嫌な流れになってきやがったぞ……。
「メイ殿のご祖父殿、ベアトリクス隊長殿! こっちに来てくれ! なにかいるっ!」
俺にくっついてきたアンジェが、足跡の近くの藪でなにかを見つけた。
「息苦しくなるような瘴気を感じるっ! 『新手の魔獣』かもしれないのだっ!」
「将軍、嬢ちゃん、構えろ! なんかが、こっちに来てるぞッ!」
「魔獣じゃあッ! あれは、魔獣じゃあッ! ごく潰し、襲撃に備えろッ!」
「マジでッ!? 来なくていいよッ! 魔獣は、帰った、帰った!」
不穏な空気が満ちるなか、藪ががさごそと不穏な音を立てる……!
「「「魔獣か……ッ!?」」」
ごくり――。
赤狼遊撃隊の連中も殺気立った様子で、武器を持って身構える。
緊張の糸がピンと張り詰めるなか、藪から出てきたのは――。
「ピャン!」
「「「鹿でした」」」
鹿だった。
「なんだよ……ただの鹿じゃねぇか。馬鹿どもが、驚かすんじゃねぇよ」
とはいえ……。
よく見ると、鹿の様子がおかしい。
「ピ……ピャ……ン……」
よろよろと歩いてきた鹿の眼球が、ポロリと顔から転がり落ちた……!?
「えっ……? 鹿の目がとれちゃったのだ……」
続いて、片方の角が取れ、鼻の穴から黒い血が滴り落ちた。
一歩踏み出すと……前足が変な形で折れて、がくりと跪く。
「おい、嬢ちゃん、近づくな……あのきしょい鹿、なんかヤベーじゃん……ッ!」
力なく地面に倒れた鹿の体が、溶けるようにぐしゃりと崩れ落ちた――。
「「「な……なんだ、こりゃあああああああああああああああああああーッ!?」」」
腐敗が進み、ぐちゃぐちゃになった肉は脆くも崩壊して、どろりとした黒い粘液に覆われている――。
「この鹿、生きながら腐って……くっせぇぇぇーッ!」
この鼻から脳まで、一瞬にして腐らせるような猛烈に嫌な臭いは……ッ!
痺れるほどに甘いのに、反吐が出るほどに強烈な刺激臭……ッ!
こいつは、ただの腐乱死体じゃねぇ……ッ!
「この独特の甘みのある腐敗臭……肉と骨が崩壊するほどの強烈な腐敗……そして、油のように粘ついて、スライムのように蠢く黒い血……こんな異様な死体を作れるのは、『腐敗と死を司るあいつら』だけなのだ……」
アンジェめ……バカの癖に情報を組み合わせて、この俺と同じ答えに辿り着きやがったッ!
だが! 確率的な影響は発生したが、確定的な影響はないはず……。
今、止めれば、大丈夫ッ!
きっと、大丈夫ッ!
「やめろ! アンジェ! 貴様は口を閉じて、何も言うなァァァーッ!」
「『屍胎骸(したいむくろ)』……っ!」
ぎゃああああああーッ! 縁が結ばれてしまったァァァーッ!
「そうか……山のどこかに、死と腐敗を司る魔物『屍胎骸』がいたから、やつの発する毒で獣たちが狂ったのだな……合点がいったのだ」
バカが言葉にしたせいで、破滅の渦に巻き込まれてしまったァァァーッ!
「こんの馬鹿ものおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
「むっ!? なんだ? うるさいぞ、フールっ!」
なんだかんだ面倒事はありつつも、ここまで平穏なる隠居生活を続けていたが――。
たった今! この瞬間ッ! 現時刻においてッ!
「この馬鹿勇者のせいで、なにもかもが終わってしまったァァァーッ!」
「うるさいぞ、フールっ! さっきから、なんのつもりだっ!?」
嗚呼。うんざりだ……。
なんで、このバカ小娘は、ことあるごとに俺を不幸にするのだ?
命を救い、人生を導き、餌付けもしてやって、『あたたかなふれあい』をしてやっている――。
いわば、『飼い主』ともいえるこの俺に、なにか恨みでもあるのか……?
「新人ダメホステスのアンジェちゃん……お前はどうしようもない馬鹿だし、度し難い罪人だ」
「黙れっ! 誰が、どうしようもなく馬鹿な罪人ホステスだっ!」
アンジェが聞き間違いしてるくせに、生意気に歯向かってくるが……無視。
こいつには、ろくでもないモノを引き寄せた責任を取ってもらう。
「だが、臆病者じゃねぇ! 勇ましき者――『勇者』だァッ!」
「ぬぅっ!?」
「お前は馬鹿なんだから、『学はねぇけど、やる気だけはあっからよぉっ!』という、しゃかりきな前向き姿勢で、たくましく生きて『屍胎骸』をぶっ倒してくれっ!」
俺はアンジェにすべてを託すと同時に、一目散に逃げだした。
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