第1部
第1章 うっかり出会った無職魔王と罪人勇者
第2話 元魔王、現無職。
「おお、勇者よ。本当に魔王を倒してしまうとは、大人気ない」
俺はかつて、『魔王』と呼ばれた。
海の魚、空の鳥、地の獣、世に満ちるすべての魔物を支配した偉大なる魔王だ。
だが、人間との戦争の最終決戦で、『勇者』を名乗る小娘に討伐されてしまう。
しかも原因は、信頼していた腹心の裏切りによるものだッ!
それが、俺の不幸でかわいそうな人生のケチのつきはじめ。
卑劣にして邪悪な連中に殺されかけたものの、なんとか蘇生の魔法で生き返り、命からがら逃亡して辿り着いたのが――。
世界の果ての島・パンドラ。
この世のすべてが、最後に流れつく場所だ。
大陸から海を隔てた絶海の孤島――ここには、様々なものが流れつく。
人生の行き場を失くした者、愛するものに裏切られた者、自ら故郷を捨てた者、夢破れた者、何かから逃げてきた者――それらが漂流物となって流れ着く。
積み上げたすべてを失い、絶望と共に世を倦み彷徨い、かつての味方と敵に追われる俺が流れ着いた場所――。
世界の最果ての島にして、混沌の都パンドラ。
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「世の中、ゲスな悪人が勝つようになっているんだなぁ~……そして、最後は善人無き世界で悪人どもが共食いして滅亡ってワケ!」
『死ぬこと以外はかすり傷! 生きているだけで丸儲けやでっ!』
――とかいう名言風なやつを落ち込んでいるときに聞かされがちだが……あんなもんクソだ。
病気になったら超ツライ! 貧乏になったらめっちゃキツイ! いわれなき差別にあったら、怒りと悲しみのあまり涙があふれて拳が震えちゃうッ!
死の恐怖を感じるほどに痛めつけられる最悪にしんどい経験をしたら、死ぬこと以外はかすり傷だの、生きているだけで丸儲けだの、薄っぺらい上辺だけの綺麗ごとなんて言っていられない。
死んでいないのならば、生きているのならば、出来る限り快適で自由で文化的で豊かな生活をしたい!
そう……。
「悠々自適の隠居生活のような生活をッ!」
「こら、フール! 朝っぱらから、大声出してなにをはしゃいどんねんっ!」
俺が魂の叫びをあげるなり、変な女児が上から目線で話しかけてきた。
「メイちゃん、朝っぱらから大きい声を出さないでおくれ。心がげんなりして、二度寝したくなってしまうよ」
この声のクソデカい『メイちゃん』は、人間とエルフの混血のメスガキだ。
さらさらの銀髪ツインテール、新緑色の瞳、小さな鼻と小さな口、まるっこくてあどけない顔。そして、特徴的なピンと尖がったエルフ耳――。
「フール! てんめぇ~っ! ろくに働きもしない居候の癖に、な~に昼間っからフラフラ遊び歩いてんじゃ、ごらぁーっ!」
見た目は、ちっこくて無害な感じのかわいいロリエルフだが……とにかく凶暴!
「なにシカトしとんじゃいっ!」
銀色のツインテールを角のように逆立ててキレ散らかすメイだった。
俺は偉大なる魔王様なのに、凶暴なガキに朝っぱらからガチギレされている……。
完全に何かがおかしい。現状、世界は狂っていると言って差し支えない。
「メイちゃん。ぼくらが働いているスナックは、ホステスの女の子がいなくて開店休業状態なんだ。どうやって働けっていうんだい?」
「わはは! 幼気な女の子のヒモやってる色男は言うことが違うにぇ~」
メイに続いて、変なおっさんが気安く声をかけてきた。
「やめろ、俺はヒモじゃない。ちゃんと用心棒として働いている」
「んなことより、若ぇのが、まーた仕事もしねぇで昼間からブラブラしてどうしたよ?」
俺はかつて世界を統べる魔王でありながら、今や平日の昼間から特に意味も無くブラブラするような存在になっていた。
「どうもこうも。平日の昼間からブラブラすんのが、俺の仕事なんだよ。なぜなら、俺の仕事は自由業だから」
今の俺は、魔族を導く偉大なる魔王様ではないのだから、勝手気まま好き勝手に生きるのだ。
こういう風に、平日の昼間から意味なくブラブラしたり、あてどもなく家でゴロゴロしたりして自堕落に過ごすのが夢だった。
「ちゃうわ、うちのお店の『用心棒兼店長代理』や!」
これからは、頭のおかしい快楽殺人鬼の勇者とか、隙あらば叛逆してくるバカな骨野郎などとは、無縁の静かで平和な暮らしを楽しむのだ!
「なぁ~、キャバクラのおっちゃんも、フールのこと叱ってぇな」
「相変わらず、仲がいいねぇ。おいちゃんは年だから、甘酢っぱいものを見ると胸やけしちゃうよ」
「胸焼けだの胃もたれだのは好きにしていいけどさ。昨日のツケにしてやった飲み代を払ってからにしろ」
世俗に堕ちたとはいえ、なんでもできる偉大なる魔王様なので、世俗の凡夫どもに溶け込むのもたやすいものよ。
「ツケの払いなら、おいちゃんの店で一杯おごるよ! 冷たい飲み物飲ませてくれるかわいくてエッチな女の子がいっぱいいるよ~?」
昼間っから脂ぎっているハゲオヤジがクイッと親指で示すのは、キャバレークラブ。
略してキャバクラ――スケベ根性旺盛な凡夫共が金で色恋を買い、性悪女どもが金に応じて恋愛ごっこをしてやる場所だ。名物は、高くてマズい酒――。
高くてまずい酒を飲みに行く目的は、『誰でもいいから、罠でもいいから! 交尾したい!』という曇りなきスケベ心だ。
なのに、愚かなる凡夫どもは見栄のために、いちいち下心を隠さなければいけないのだ。
そのためだけに、中身のない空虚な会話に興じ、泥酔するまでマズい酒を酌み交わしたりと、まどろっこしい茶番を繰り広げがちだ。
「バカ高い金払ってブスと会話する趣味はねぇよ」
「んもう! ブスじゃなくて多様性! フールの旦那は相変わらず情緒がない!」
「それ以前に、スナックの従業員対してキャバクラの客引きとかどうかしているぞ」
俺は元々、『世界を統べる魔王』だが……。
「そうや! ツケを払うならスケベで誤魔化さず、ちゃんと金払えやっ!」
ゆえあって今は、この守銭奴ロリエルフのメイが営む場末のスナックの雇われ用心棒兼店長代理をしているのだ。
快楽殺人鬼の『勇者』に討伐され、その上、バカな配下に裏切られたなんていう状況は、お誕生会の主役なのに突然大外刈りをされて、崖下に投げ落とされてそこが肥溜めだったぐらいのゲンナリ感がある。
つまり、『俺の人生は完全にどうかしてる』ってことだ!
「騙したなぁーっ! 巨乳って言ったのにっ! あんなの出てくるって思わないじゃあん! サキュバスのエッチなお姉様が出てくると思うじゃあ~んっ!」
ハゲオヤジの後ろのキャバクラの店先から、バカ面のガキが飛び出してきた。
「どー見ても、あたいはエッチなサキュバスのお姉様だろうよっ! 舐めたこと言ってんじゃないわよっ!」
ガキに続いて、作り物の羽としっぽを装着した凶悪なババアが店から姿を現した。
確かに、巨乳なサキュバスかもしれんが……全体的にそりゃねーよって感じだ。
「おい、オヤジ。お前の店は、まだしょーもない騙しやってんのかよ? そのうち、国から摘発されんぞ」
「へへっ。おいちゃんの店は、お上の出資でさぁ。『軽犯罪系の前科者に仕事を与えて社会復帰させてる』ってことで、福祉事業優良店として表彰されたこともあるんだぜ?」
やれやれ……人間つーのは、魔族なんかよりよっぽどあくどい。
元々の居場所を追われて流されて来た著しくろくでもない奴らが、最後の最後に流れ着く場所――それが、俺が今いる混沌の都パンドラだ。
「そういえば、知ってるかい? 『例の勇者』が遂に、この街に流れ着いたらしいよ」
「例の勇者? なにそれ?」
勇者――世界で一番嫌悪感を催す単語だ。
聞きたくない単語選手権があったら、ぶっちぎりで一位だろう。
二位は、一票の僅差で労働だ。
「そりゃ~もう、『例の勇者』っつえば、魔王を倒して世界を救った『勇者アンジェリカ』だよ~」
「ああ……魔王を倒した後、仕えていた王を誅殺して、各地を転々と逃げ回っている『勇者アンジェリカ』か」
「はあ!? 勇者のくせに、むっちゃヤバいやつやん! 大罪人やで!」
世界の命運をかけた魔族との戦争で大活躍したかつての英雄は、とんでもないことになっていた。
俺を殺そうとしてきた罪深いクソ野郎の末路には、これ以上ないぐらい相応しい。
いうなれば……『ざまぁ!』って感じだ。
「いくら、魔王を倒して世界を救ったからってさぁ。いきなり下克上しちゃダメだよねぇ。そんなのは、若い頃に女の子を泣かしまくった罪深いおいちゃんでもわかることだよ。知らんけど」
「知らないなら、喋らんでいい。黙っとけ」
「ツッコミが辛辣やなぁ。フール、なんか怒ってんの?」
メイが尋ねてきたので、勇者の悪行を教えてやろうと思った……が、魔王であることを隠して暮らしているので、はぐらかすことしかできん。
「まぁ、あれだよ。勇者は、魔族を虐殺して回る血に飢えた異常者にして人間の屑よ。王殺しなんてしなくても戦争が終わり次第、『勇者』は戦争犯罪者になってただろうよ」
実際、『勇者』なんてのは、都合のいい鉄砲玉にすぎない。
人間の王どもが俺を討伐するために用意した駒の中で、たまたま奇跡を起こして俺を討伐せしめた幸運の持ち主を『勇者』などと持て囃しただけなのだからな。
「勇者だろうがなんだろうが、戦争が終われば用済みよ。むしろ、魔王より強い存在なんて、人類にとって恐怖の対象でしかないのだからな」
「う~ん……なんとも世知辛いねぇ。頑張って世界を救ったかいがないよぉ~」
「ほんまやなぁ~。戦争で死ぬ思いして戦ったのにそないに邪険に扱われたら、反旗を翻すのもしゃーなしやで」
ハゲオヤジとメイの下町貧乏人どもが、ため息交じりにこの世の世知辛さを嘆く。
「いずれにせよ。時代はもう、勇者も魔王も必要していないんだろうさ」
偉大なる俺の栄光の時代は終わり、世界は凡愚共の頽廃の時代になったのさ。
嗚呼、素晴らしき新時代!
俺という偉大な支配者を失った世界は、腐敗のなかで滅びを待つばかりなり!
悲しみのあまり開き直って笑うしかない世知辛さには、思わず胸が躍るね。
あの愚かしい罪深きクソ勇者も、どこかで世知辛さに身もだえていることだろう。
「魔王おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
唐突に、とんでもない声量の絶叫が響き渡ったッ!
どこかで聞いた覚えある叫び声だ。
そう……俺が死ぬ間際に聞いたような――。
「とうとう見つけたぞっ! 魔王カルナイン!」
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