第3話 優しい世界

 足を進め続けて1時間ほどが過ぎた。

 アレクたち一行は森の深部を目指し、南西方面へ向かう。

 だが進めば進むほど、オリヴェルの森は特殊なんだと思うようになっていた。


「……魔物の気配を感じない。

 以前来た時は森の入り口からさほど離れた場所じゃなかった。

 だから気付かなかったのか、こんなにも穏やかな森だったとは……」


 ダグラスがそう思うのも当然だった。

 これまで魔物と遭遇しなかっただけでなく、気配すら感じないのは異様だと言ってもいいと4人は判断した。


「これ以上ないほど空気が澄んでいるようです。

 魔素マナも潤沢に感じますし、魔法の修練にも最適な場所かもしれません」

「……それに素材集めにも最高。

 効果の高い薬草にキノコや木の実、土壌に至るまで。

 森全体が生命の息吹で包まれてるみたいに生命力であふれてる」


 素材が豊富に採れ、魔物が比較的穏やかな場所は他にもいくつかあると彼らも記憶しているが、この森は他と比べられないほどだと思えた。

 同時にそれが何を意味するのか、アレクたちは掴みかけていた。


「僕たちが以前歩いた時はここよりもずっと手前、魔法で移動した辺りになる。

 そこからさらに進んだだけ、それもたった1時間ほどでここまで世界が変わるなんて思ってもみなかったよ」


 鬱蒼とした森とはとても言えない、清々しさをはっきりと感じる不思議な森を彼らは進む。

 時折うさぎやリスなどの小動物が横切り、かさりと草木から鹿が顔を覗かせる。

 しかし、どの動物も人を恐れる気配を見せず、こちらを目視しても逃げることもなかった。

 そんな様子から、ステラはひとつの仮説を立てた。


「……動物が人を恐れない。

 それは敵対者がいないことを指す」

「つまり、魔物自体が存在しない?

 気配から害意を感じないけれど、そんな場所なんて世界にあるのかい?」

「……あくまでも仮説。

 だけどおおむね当たってると思う。

 それに、あたしたちも世界中を見て回ったわけじゃない」


 魔物とは世界中のどこにでもいると考えられるが、それはあくまでも一般論の話であり、彼女の言うように世界をすべて見尽くしたわけでもない。

 だとすれば、魔物のいない場所だってあるのではないだろうか。

 そう思えるような、とても穏やかに見える優しい世界が眼前に広がっていた。


「噂じゃ昼夜森を彷徨った挙句、森の入り口に出た、なんて話も聞く。

 こんな景色を見てると、精霊が関わっていたとしても不思議じゃないな」


 方向を見失わないように植物や太陽の位置を確認するダグラス。

 見通しは悪くないが、森である以上は気を付けるべきだと気を引き締めた。

 しかし、想像上の物語にも思える書籍からの情報と一致するような痕跡の一切を見つけることができていない以上、彼らの進む道が正しいとは言い切れなかった。



 さらに1時間が過ぎた。

 そろそろ休息を取ろうかとアレクが言葉にしようとした直前、彼は足を止めた。

 その様子に3人は周囲を警戒する。

 アレクの様子に首を傾げながらも、グレイスは訊ねた。


「何かありましたか?」

「……いや……気のせいか……。

 声が聞こえたような気がしたんだ」


 ここは森の中、それも恐らくは冒険者すら気軽に立ち寄れないほど奥まった場所になるのだから、人と会えるとは考えられないと3人は思った。

 可能性として考察するならひとつ思い当たるが、それを口にしていいものかと悩んでしまうステラとグレイスだった。


 しばらく歩き続けていると、再びアレクは立ち止まった。

 やや上を見つめるように顔を向けながら言葉にした。


「……違う?

 ……何がだい?

 …………こっち?」


 見通しのいい正面とは別の方向へアレクは向き直り、獣道とすら言えない草木をかき分けながら進み始めた。

 強引に進む姿は普段の彼からは想像もつかないほど荒々しく見えた3人は、目を丸くしながらも付いていくことにした。

 声の主に導かれていると思える言動からも察したが、同時にアレクであれば精霊との対話も可能なのではないかと薄っすら考えていた彼らの推察は確信に変わる。


「……マジか……」


 呟くようにダグラスは言葉にしたのは、それから10分と経たない頃だった。

 眼前に広がる光景を目の当たりにしたまま、彼らは楽しげに何かと会話をするアレクに続いた。


「……そうか、君たちは……。

 いや、それよりも、こんなところに来ても大丈夫なのかい?

 ……魔物がいないから平気?

 それでこの辺りで遊んでいたのか」


 アレクが歩く足元は、輝かんばかりの光に包まれていた。

 それはさながら物語の一場面を目にしてるようだった。


 光の先には、まるで別の世界へ続く扉にも思える煌々と輝く壁。

 そのまま通っても大丈夫なのかと心配になった3人に気を使ったのか、アレクは振り向きながら優しい表情で答えた。


「大丈夫だよ。

 この子たちが導いてくれる」


 そう言葉にしたアレクは、光の壁にも思える場所に右手を伸ばす。

 輝く光に触れると、彼はその場から消えた。


「……ったく、あいつは。

 もう少し説明してもいいってのにな」

「私たちも行ってみましょう」

「……そうだね」


 壁に向かって右手を出した3人は、彼に続くように後を追う。

 吸い込まれるような感覚が収まる頃、眼前に広がる光景に感嘆のため息が出た。


「……素晴らしいですね」

「……夢、じゃ、ないんだよな?」

「……現実……だと、思う……」


 いつになく冷静さを保てていないステラは、まるで自分に言い聞かせるような言葉を発した。


 天高く、別世界まで続くかのような巨大な大樹。

 世界樹と言われても納得するほど立派な木を中心に色とりどりの花が咲き乱れ、温かな陽光が射し込む幻想的な場所で小さな妖精たちが談笑していた。


 体長10センチから20センチ前後だろうか。

 見た目こそ3歳児から6歳児ほどの幼さを感じる子供たちが、美しく透明度の高い光の羽根をゆっくりと羽ばたかせながら楽しげに飛び回る。


 先ほどからアレクと話している妖精たちもこの場所に来たことの影響か、ようやく瞳に映せるようになったダグラスたち3人だった。

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