諜報員は謎解きも得意。  ――本屋編

猫屋 寝子

ある日、本屋にて

 本屋に死体が転がっていた。――それも、ミステリー特集のあるコーナーに。


 衝撃的な状況にもかかわらず、貴家さすがつとむは冷静だった。まずはその場を動かないよう周囲の客に伝えると、店員に状況を伝え警察を呼んでもらう。そうして自身は第一発見者として死体の横に立ち、横目で死体周囲を観察し始める。


 何故これほど落ち着いているのかというと、それは勉の生い立ちにあった。


 彼女は山梨県の山奥にあるスパイ一家の末っ子だった。彼女はまだ高校生だと言うのに、すでにスパイの実務をこなしている。その実力は諜報業界でも高く評価されており、彼女の家族以外にその観察力・分析力・推理力のどれも敵う者はいないだろうと言われている。


 そんな勉も、死体を見るのはこれが初めてだった。自身でも動揺するかと思っていたが、培った精神力はここでも自然と発揮されたらしい。案外、落ち着いており、死体の観察まですることができている。


 ――被害者は30歳台女性。身長は女性の平均身長くらい。ここの店員らしく、他の店員同様の緑色のエプロンをつけている。後頭部に打撲痕があり、おそらくそれが死因だろう。近くに脚立と500ページありそうなハードブックの本が落ちており、その背表紙の下角に血がついているため凶器はこの本だと推測できる。血はもうカピカピに固まっており、死後結構な時間が経っていることは明らかだ。


 そう分析していると、ようやく警察官と思われる人物達がやってきた。警察官の隣には店員と同じエプロンをした男性の姿がある。胸元のネームプレートには『店長』と書かれており、死体を見るなり「斎藤さん……」と両手で顔を覆っていた。


 勉の指示に従っていた客たちは警察官の誘導によって場所を移動する。それは勉も同じだった。


 別の場所でしばらく待機していると、二人の刑事が勉の元へとやってきた。勉は彼らの名前を覚える気もないため、大きい方と小さい方で認識した。


 二人は警察手帳を出し自己紹介を終えると、大きい方が勉に尋ねた。


「あなたが、第一発見者ですか?」


 勉は頷き、偽名を名乗る。


「はい。戸川とがわなつと申します」


 小さい方が手帳とペンを手にメモを取っており、大きい方が勉に死体発見当時の状況を尋ねた。勉はそれに対し素直に答える。


 そんなやりとりを数回繰り返して、いよいよ最後の質問が終わった。小さい方は手帳をしまうとため息を吐く。


「どうやら、店長の言う通り事故みたいですね。被害者は今朝開店前に高い位置の本を整理しており、誤って頭に本を落としてしまった。その当たり所が悪く、亡くなってしまったのでしょう」


「そうだな」


 二人はそう互いに頷きあっており、勉は思わず「は?」と声を出す。


 二人の視線が勉に向けられた。二人とも不思議そうな表情を浮かべて、首を小さく横に傾けている。


 勉は軽く咳ばらいをすると、二人の話題に入る。


「これは殺人事件ですよ」


「は?」


 今度は二人の刑事がそろって声をあげた。大きい方が眉間にしわを寄せて、声を低くする。


「どういう意味だ? どう見たって事故だろう。一般人に口出しされても困るんだよ」


 小さい方はそれに同意するように何度も頷いている。勉はそれを鼻で笑うと、殺人事件である証拠について話し始めた。


「近くに落ちていた凶器であろう本と被害者の打撲痕。これらが殺人事件である何よりの証拠ですよ」


 再び顔を見合わせる刑事達は何も分かっていないようで、勉はため息を吐くと丁寧に説明をする。


「もし、高いところにあった本を取ろうとして誤ってそれが頭に落ちてしまったと仮定しましょう。その場合、本のどこの部位が頭に当たるでしょうか?」


 勉の質問に、小さい方が答える。


「それは角でしょう。角以外が当たったのなら、死に至ることはないと思います」


「その通りです。今回、近くに落ちていた本は、背表紙の下の方の角が血に染まっていました。しかし、高いところから落ちた本が頭に当たったとしたら、これは少しおかしいんですよ。だって、本を本棚から抜き取る時、多くの人は背表紙の上側を後ろに倒して取るでしょう? もしその途中で落としてしまった時、本は慣性の法則に従って後ろに倒れますよね。後ろに倒れた本は重力に従って上下逆さになりますから、背表紙の上の角が頭に当たるはずです。凶器と思われる本はとても分厚いので何回転もすると思えませんし」


 それぞれ想像しているのか、宙を見ながら「確かに……?」と言葉を洩らした。

 勉はさらに言葉を続ける。


「それと、打撲痕の位置もおかしいです。上部で取ったものが落ちてきたならば、普通顔は上を向いていますよね。ぶつかるのは前頭部――もしくは額でしょう」


「しかし、顔に落ちるのを防ぐために下を向いたという可能性もあるぞ」


 大きい方が顎に手を当てて言う。


「それは脚立などを使わず、背伸びして高いところの本を取った時――自分と落ちてくるものの距離があった場合に限ります。何故なら、もし脚立を用いて高いところのものを取った場合、自然と顔とその落ちてくるものとの距離が近くなるからです。距離が近くなるということは、顔に当たらないよう下を向く時間がないということ。どう頑張っても、顔面直撃です」


 そう両手を上げて肩をすくめる勉。二人の様子を窺うと、小さい方が納得したように数回頷いているのに対し、大きい方はまだ納得していないようだった。


 勉はもう一押し、と言葉を続ける。


「ここは本屋ですから、女性の平均くらいの身長である彼女は高いところの本を取る際、脚立を使うでしょう。実際に、現場には脚立がありましたしね。それと、これがもし本を整理している際に起きた事故だったら、脚立から落ちた時の打撲痕が見当たらないことがおかしいんですよ。本が当たって脚立から落ちたのなら、前頭部と後頭部に打撲痕があるはず。そうでしょう?」


 軽く首を傾げる勉に、小さい方は「それもそうですね」と手を打つ。大きい方がそれを睨んだ。


「それだけでは殺人事件という証明にはならん。本にも指紋は残っていなかったしな」


 睨まれたことに気づいた小さい方は、ピュッと姿勢を正す。どうやら大きい方が上司、もしくは先輩で頭が上がらないようだ。


 勉は先ほどの大きい方の言葉に、思わず笑ってしまう。


「ほら、それこそが殺人事件という証拠じゃないですか」


 眉を顰める大きな方。これはきちんと説明しないと分からない奴だな、と勉は心の中で苦笑いを浮かべた。刑事ならば、これくらい分かってもらいたいものだ。


「刑事さん達がおっしゃったように本の整理をしていてその本が頭に落ちたのだったら、被害者の指紋が本についていなければおかしいでしょう」


 二人はハッとした表情を浮かべる。その様子を見ながら、勉は言葉を続けた。


「今回の場合、犯人が意図的に指紋を拭きとったんだと思います。被害者が手袋をして本の整理をしていたという説も考えられるかと思いますが、それは否定できますよね。だって、死体は手袋をつけていませんでしたから。誰かが意図的にとった、なんてことも考えにくいでしょう? それこそ、何のために――っていう話ですよ」


 ようやく勉の意見を信じたのか、二人は再び手帳を取り出して状況を整理し始める。


「それじゃあ、被害者の交友関係を洗わないといけないな」


「犯人は身近な人物でしょうか」


 その効率の悪い話し合いに、勉は思わず再び間に入った。


「私が入店して死体を見つけたのは、開店して間もなくのことでした。開店してから殺されたにしては、血の凝固が進んでいます。店内で客の目をかいくぐって人を殺すのも難しいでしょうし、犯行は開店前でしょうね。そうすると、ですよ」


 勉は一旦一呼吸置くと、二人の顔を見る。二人とも真剣な表情で勉の次の言葉を待っている。


 その様子に、勉は思わず呆れた。――ここまで話して伝わらないなんて!


 勉は小さく息を吐くと、興味をなくしたように視線を二人から外した。

 

「開店前の店内に入ることのできた人物が犯人だと、まずは考えられませんか? 捜査をするなら、初めにその人物と被害者の周りから調べていった方が効率的でしょう」


 勉の提案に、二人は顔を見合わせしばし言葉を失う。しかしすぐに目を輝かせると、大きい方が勉の手を握った。小さい方は直角かと思うほど深々と頭を下げている。


 二人の突然の行動に勉は少し後退する。


「ありがとう。君は頭がいいんだな」


「捜査協力、ありがとうございます!」


 勉は大きい方の手を離すと、困ったように笑った。


「いえ……。私は私の考えを言っただけなので。参考になったのならよかったです」



***


 その数日後、勉はネットニュースで本屋での殺人事件の犯人が逮捕された、という記事を見た。どうやら犯人はあの本屋の店長だったらしい。好意を抱いていた被害者に拒絶されたため、カッとなって殺してしまったとのこと。


 事故と偽証するつもりが、証拠を消しすぎたがゆえに自分の首を絞めてしまった。そんな愚かな犯人に、勉は嘲笑を浮かべる。


法律ルールを破るなら、ばれないようにしないとね」


 勉は記事を閉じると、そのままスマートフォンで本日の任務を確認する。今日は貴家さすが家の第二子であるそうとの任務だ。


「勉。そろそろ行くぞ」


 玄関から聞こえる兄の声に、勉は立ち上がり大きな声で返事をする。


「今行くよ。そうにいちゃん」


 こうして、本日も勉は諜報活動に勤しむのであった。

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