本屋の想い出

舞夢宜人

無くなってしまった書店の跡地を見かけて思うこと。

 学校帰りに本屋に寄って、文庫本を立ち読みする……それが学生時代の楽しみだった。

 そんな本屋がいつの間にか無くなってしまった。どうしてなのだろうか?


 もともと学生には、本を自由に買えるだけの資金が乏しい。読書好きでも、ビニールでカバーされて立ち読みなんかできなくなった本屋には、客足が遠のいても仕方なかろう。立ち読みしていたからこそ、なけなしの金で好きなシリーズは買い揃えていたのだ。ビニールでカバーされている本は、中身が見えず、立ち読みができないため、購入する際には果たして読むに値する本なのか不安が残る。

 本を立ち読みできなくなった学生が向かった先は、どこか?それは、小説投稿サイトとオンライン書店である。オンライン書店で試し読みをして、紙の本や電子書籍を買うようになった。オンライン書店の品揃えは小規模の書店には対抗できるものではなかった。入手困難な本でもオンラインで手軽に購入できるため、その手軽さが受けたのである。もっとも、人気の新刊はオンラインショップですら品切れで買えないことがある。そこで台頭してきたのが、電子書籍である。紙の本はどうしてもがさばるし、品切れがなく、その場ですぐに手に入る電子書籍の台頭は、本屋に向かう足をさらに遠のける結果になった。

 小説投稿サイトの興隆と電子書籍の台頭は、無関係ではない。携帯電話やパソコンで手軽に文芸作品を投稿したり読んだりできる小説投稿サイトの存在は、電子書籍の普及を加速したのである。あまつさえ、小説投稿サイトで人気を博した小説が、プロの編集を経て書籍化されるようになると、作家とコミュニケーション可能で、無償で投稿作品を読める小説投稿サイトに、かつて書店で立ち読みをしていた層が殺到するようになった。小説投稿サイトにより、作家志望の人々が気軽に自分の作品を公開できるようになった。読書家も、小説投稿サイトで未熟な作品を読みつつ、作家を応援し、そこから育った作品を電子書籍で買うようになったのである。様々な文化を発信し、地域のコミュニティの拠点としても重要な役割を果たしていた書店の役割を、小説投稿サイトが奪ってしまった形になった。

 一方で、読書離れも起きている。オンラインでの動画コンテンツの台頭がそれに拍車をかけている。文字を読むよりも動画の方が手軽だと考える層が読書をしなくなったのである。読書から学校などへの勉強を連想する層も読書をしなくなってきている。音声や動画で情報を得ることが悪いわけではない。しかし、昔から「読み、書き、算盤」といわれるように、文書を読んで理解し、自分の考えを文書としてまとめ、事物を定量的にとらえてそれを応用するために計算することは、学習の基本である。読書をしない児童ほど、学業の成績も悪いという傾向がある。読書は、言葉や文章の理解力、表現力、想像力を養うことができるため、学習の基本的なスキルを身に付けるために欠かせないものと言える。


 学校帰りに書店に寄って友人たちと本を評論する場は、小説投稿サイトとそれに付属するSNSに変わってしまったのかもしれない。これも時代の流れなのだろう。でも、かつて本屋に通ってわくわくした気持ちというのは、誰かに受け継がれていって欲しいものである。

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