青菫 02

 一刻も早くキュカとの婚約式を執り行いたい。出来るならそのまま結婚式もして、早く彼女を自分の妻だと世間に公表してしまいたい。

 勘当同然で家を出たとはいえ、レナートは驚くべき事に、貴族名鑑に未だ家名と共に名前が載っている。

 本当に勘当したつもりはないのだろう。もし夢が上手くいかなくて挫折しても、息子が帰って来れるように。息子が帰れる場所を取り上げたくなかった父の不器用な愛が、そこにある。

 つまり、伯爵家の家財を継ぎ、子を跡取りに据えるのは既に次男のマティアスと決まってはいるけれど、レナートは嫡子でなくなっただけで、まだ騎士団長の息子であり、伯爵家の長男である事に変わりない。

 一応まだ貴族の自分が伯爵令嬢のキュカと結婚するには、双方の家の同意がなければならない。そして婚約のお披露目をして、それでようやく結婚式を挙げられる。結婚した際、王家への報告も義務付けられている。

 貴族は一般市民と違い、人と人が結婚するというより、家と家が結婚するという考え方が強いのと、王家にとって貴族は須く臣下であるので、当然と言えば当然だった。

 その婚約披露の宴にあたって、当然注目されるのはキュカが当日着るドレスであろう。何せ自分で言うのも何だが、レナートは今、王都でも新進気鋭のテーラーとして有名になりつつある。

 ロザンナのウェディングドレスのみならず、王太子妃となられるクローネが嫁入りする際のドレスも幾つか手掛ける事になったメゾン・ヴァージニアは、ここ数ヶ月の内に仕事が増えた。

 弟には口約束とはいえキュカが居たのに、何故か長男の自分には婚約者が居なかった。恐らく、自薦他薦問わず騎士団長の嫡男であるレナートに娘を嫁がせたい家はたくさんあっただろうから、単に両親が吟味している内にその期間が長過ぎて、適齢期を過ぎてしまう事に焦った令嬢や娘持ちの貴族がレナートに見切りを付けて、各々恋人を作ったり求婚して来た手頃な令息と婚約したりして、いざレナートの婚約者を決めようとなったら適齢期の令嬢達は殆ど相手が居た、とか。想像の域は出ないが、およそそんなところだろう。

 マティアスとキュカの婚約を酒の席の口約束だけで決めてしまう事からも判るように、騎士としては優秀な父だが、家庭では少々大雑把が過ぎる。母は大雑把ではないがのんびりが過ぎる。

 レナートには当時、学院で意気投合した一番仲の良い異性が居て、それは両親の耳にも入っていたから、恐らく両親は彼女と婚約させようと思っていたかもしれない。彼女は子爵令嬢で婚約者も居なかったから、「ゆくゆくはこの子と結婚する事になっても良い家庭を築けるかもしれないな」と思った事もあったけれど、予想外な事に、彼女は学院を卒業する前に執事と行方をくらませた。駆け落ちしたのである。

 仲が良かったレナートも全く知らなかったので寝耳の水の出来事であったが、彼女とは友人としての付き合いであって恋仲という訳でもなかったし、多分、レナートとの婚約を調えられてしまうと焦って、卒業を待たずに恋人と逃げたのだろう。今もどこかで元気に暮らしているのなら、それに越した事はないけれど。

 そんな訳で、レナートは騎士団長の息子で嫡男という華々しい立場であったにも拘らず、婚約した事がなかった。

 そんな自分にとってもキュカにとっても、正真正銘初めての婚約。その婚約披露の席でキュカが着るドレスは勿論、ヴァージニアの新作でなければ。これはテーラーとしての意地もあるが、男としての矜持もある。

 可愛い婚約者が晴れの舞台に限らず着るドレスは、今後全て自分が手掛けたい。寧ろ他の人の手は要らない。

 幸い、手先が器用なレナートは刺繍も優秀な針子程度の腕前を誇る。噂に聞くクローネレベルの針子は王都にも滅多に居やしないだろうけれど、レナートはその辺の貴族女性が嗜みとして刺す刺繍よりは上手い自信がある。

 当日、キュカに着せたいドレスの色は勿論ピオニーピンク。これ以外ない。ドレスに施す刺繍は季節外れだが、二人の思い出の花として菫を刺したい。けれど、ピンクに菫は違和感こそないが、デザインを失敗すると子供っぽいイメージを植え付けてしまう組み合わせだ。七歳差を気にしているのはキュカも自分も同じで、だからこそキュカはレナートの隣に立つ時、幼さよりも大人っぽさを求めるだろう。

 菫を単体で刺すより、他の意匠の中に混ぜてさり気なくアピールするとか。ドレスのデザインもフリルはなしにして、デコルテを思い切って出して胸元を少し強調させた方が子供っぽくならないはず。けれど自分が作った流行りのマーメイドラインより、まだ少女の初々しさを持つキュカの魅力を引き出せるデザインにしたい。ドレープはゆったりと取り、オーガンジーの生地を重ねて作ろうか。でも光沢のある布で作っても上品な艶が出てそれはそれで魅力的だろう。迷う。

 幸せで贅沢な悩みを抱えながらもちゃんと仕事はして、昼過ぎに昼食がてら外に出る。二階で仕事している針子達にも昼休憩を言い渡し、店番に慣れたエリザベスに後を任せて、昨夜書いた実家宛ての手紙をポストに投函し、適当に露店で焼き串を五本買い、食べながら歩く。

 食べ終わった串を包んであった紙ごと街角のごみ入れに捨て、工房や商店が多く集う路地に向かうと、早速休憩中であろう、顔馴染みの生糸工房の主と遭遇した。


「こんにちは。今休憩中? 糸を見に行きたいんだけど、時間あるかしら」

「あぁ、構わねーよ。そろそろ工房ん中戻ろうと思ってたとこだ。――そうそう、新色の糸が増えたぜ。王太子の婚約者様が無事戻って来て、その御令嬢の髪が夏の夜空みたいに美しいってんで、今は黒が流行ってるからな。紫がかった黒、青みがかった黒、緑がかった黒、赤みがかった黒、黄みがかった黒……新しい黒糸を幾つか染めてみたんだよ。興味あったら宜しくな」

「何それ、とっても素敵じゃない! 是非サンプル見せてちょうだいな」


 クローネが行方不明になって生死も判らなかった間、王太子のアルフレートは頑なに黒い服を着ないように徹底していた。喪に服さないという意思表示で。

 婚約者が見付かった今、彼はまた黒い服を王室御用達のメゾンに注文し、夜会以外の私生活でも着るようになったらしい。亜麻色の髪や色白の肌に黒はよく映えるし、最近黒が流行り出したのは、アルフレートの人気の高さも表している。

 布だけの予定だったが結局刺繍糸も新色以外に十束ほど買ってしまい、次にやっと本命の布を買いに卸問屋に向かう。


「お、レナートさんじゃねーか。どうした。こないだも布を大量に注文してもらったばかりだが」

「ちょっと、私用で新しい布を買い付けに。この、アタシの髪にあるリボンと同じか、限りなく近いピンクの布が欲しいのよ。出来れば今すぐ」

「私用でピンクねぇ。ピンク系はどんだけ仕入れても、すぐに捌けちまうからなぁ…。昨日、違うメゾンに注文されて、ピンクの布を大量に捌いたばかりだから、あんまり期待はしないでくれよ? カミさんなら中に居る」

「有難う」


 彼の店は扱う布の種類がこの商店街で一番多い。その分、数多のメゾンで争奪戦になるけれど。

 中に入れば、高級品から安価な品まで、色とりどりの布が巻かれたかたちで棚に納まりながら天井近くまで積まれており、陳列する糸の色数も先ほどの工房に負けず豊富でうっとりする。

 つい長居してじっくり見ていたくなる欲望を振り払い、店内の女性に声を掛けた。接客を一手に請け負っている彼の妻だ。


「はいはい、レナートさん。一週間ぶりですかねぇ」

「こんにちは。急ぎなのだけど、このリボンと同じか、限りなく近いピンクの布はあるかしら? 出来ればシルクが理想的だけど、なければ肌触りの良い木綿のサテン織りが良いわ」

「急ぎなの? ちょっと待ってて、ピンクの布ね」


 手伝いの息子がピンクの端切れを貼った分厚い見本帳を抱えて持って来る。ヴァージニアの一画とは収納スペースが桁違いなので、布の量もそれ相応に多い。当然サンプルもピンクの布だけで五冊はある。色無地が半数を占めるが、模様がプリントされた布も含む為、多いのは当然だった。

 解いたリボンの代わりに、ポケットに入れておいた普段使いのリボンで手早く髪を纏め、明るい照明の下でリボンとサンプルを見比べる。柄入りも華やかで捨て難いが、刺繍を際立たせたいならやはり色無地の方が良い。

 流石卸問屋と言うべきか、新たに入荷した布もたくさんあるようだ。ピンクは季節問わずドレスに使い易い色なのでどれだけあっても困らない。ついでに注文してしまいたいが、メゾンにもたっぷり在庫があるのだ。使う予定もないのに新しい布を何枚も買うのは馬鹿げている。ただし、目を付けた布の色と素材だけはメモしておいた。

 四冊目の見本帳を半分ほど過ぎたところで、繊細なリボンを翳すとそのままサンプルの端切れと一体化してしまいそうなくらいよく似た色無地のピンクを発見する事が出来た。――これだわ、アタシの探していたピオニーピンクは!

 端切れを貼り付けたすぐ下、小さな字で「シルク」と素材が書いてある。ドンピシャ過ぎる。


「これ、妙齢の令嬢のドレス一着分、……否、新品を一ロール買い取りたいわ。お金は後で全額支払うから、一先ず前金でこれだけ払わせて。今すぐ貰って行っても良い?」

「良いわよ。レナートさん、お金に関してはしっかりしてるから信用してるし。じゃあ、息子に運ばせるから、レナートさんは先にメゾンへ戻っていきなさいな」

「大丈夫よ。アタシ、こう見えても騎士として鍛錬は積んだし、見た目より力持ちなんだから。自力で担いで帰れるわ。手間を掛けさせてしまうのだけど、後で集金に来てちょうだい」

「えぇ。後で息子をそちらに寄越すわね。…ここだけの話、あの子ったらレナートさんところの、新しく入った針子ちゃんにほの字みたいなの」

「知ってる。バレバレなんだもの。でもゴメンなさいね、ウチの新人ちゃん、十七になったばかりだけど、もう既婚者なのよ」

「あら、若い花嫁さんなのね」

「面接の時、旦那さんも付き添いで来たんだけど、その旦那さんがこれまたえらく男前で過保護だから、息子ちゃんには悪いけど、勝ち目ないと思うわ……」

「あら、残念。まぁ、あの子惚れっぽいから。失恋も慣れてるし、大丈夫よ。それじゃあね、レナートさん」


 どっしりと重くて長い一ロール分の布を担ぎ、レナートは急いで自分の店に戻る。

 男爵夫人は居ない。もう帰ったのか、それともまだ来ていないのか。予約時間はもう過ぎているし、その時間帯を狙って休憩を取って外出したので、多分もう帰ったのだと思うけれど。


「お帰り。理想のピンクあったみたいだね。ロールで買うとは思ってなかったけど、重かったでしょ、手伝おっか?」


 店番を頼んでいたエリザベスは、クラヴァットサイズの白いシルクにドングリとリスを刺していた。

 レナートは空いた時間に帳簿付けや買い付けなど忙しいので暇がなくあまりやれないが、接客していない間のエリザベスは、手持無沙汰に無地のハンカチなどに刺繍して過ごす事が多い。

 ヴァージニアは基本的に衣服がメインのメゾンだが、こうした小物なんかも勿論取り扱っている。何でも上手いが、特に動物が得意なエリザベスの刺繍小物は女性や子供に大人気で、ハンカチ、スカーフなどは飛ぶように売れるのだった。


「大丈夫よ。近日中には型紙も作って切るだろうし、二階に運ぶわ。……夫人はもう帰った?」

「今日は割とあっさり帰ったよ。やっぱり、あのマーメイドラインのドレスを注文したけど。一番目立つ場所に展示して正解だったわ」

「そう…。アレンジは必要? もし必要ないなら、型紙はロザンナ様のものがあるから、それを夫人のサイズで起こして作れば良いだけだけど」

「アレンジは、スカートの広がる位置をもう少し高めにして欲しいって事くらいだったから、膝辺りから広がるように作れば良いと思うよ。色はこのトープで」

「あら、夫人にしては随分地味な色を選んだわね」


 トープが悪い色と言っている訳じゃない。茶色がかったグレーは適度な温かみがあり、誰にでも合う無難なカラーだ。


「若い男との火遊びが夫にバレたみたいで、夫がカンカンなんだって。離婚を言い渡されて、流石に焦ってるんじゃない? 反省を示す意味も兼ねて、自粛のつもりだと思うよ」

「だったら先ず、新しいドレスを作る金を寄付に遣うとかすれば良いのに…。根っからの浪費家みたいだし、男好きで買い物狂い、離婚は免れないわね」

「自業自得だから、私としても何とも言えないしねぇ。もしかしたらこれが最後に注文するドレスかもしれないし、せめてもの餞に、気合入れて作ってあげるとしますか」

「そうしてあげて。ベス、有難う。――あ、そうだ。新色の糸が出てたから、つい買っちゃったわ」

「新色? へぇー、何色?」


 デザイナーもテーラーも、何ならパタンナーだって。彼らは布も好きだが糸も好きだ。新色と聞いてワクワクしない職人は居ない。案の定、エリザベスも瞳を輝かせる。


「黒ですって。そこにほんの少し、違う色を混ぜて艶でその色が出るような染め方をしているらしいの。刺繍で使えば今まで以上に黒の表現が広がると思うわ」

「何それ、素敵じゃん! ねぇねぇ、早く見せてよ」

「良いわよ。じゃあ、この袋預けておくわね」

「実物見てインスピレーション湧いたら、ちょっと使わせてもらうわ」

「えぇ。あの子達ももう休憩から戻って来てるみたいだし、一人店番で下に居てもらうから、休憩行ってきて良いわよ」

「そうする。はー、お腹空いたー」


 エリザベスは空腹のくせに外に出ず、袋から糸束を取り出し、明るい窓際で翳して色をじっくり見定めている。

 既に刺したいモチーフや図案が思い浮かんでいるだろう彼女の、子供みたいな様子に微笑ましさを覚え、布を担いだまま階段を昇り、針子達が布を裁断し縫っていく二階の部屋に入った。


「ただいま。ノーラ、ミリー、シャノン」

「お帰りなさーい、店長」

「重そっ! え、買いに行った布ってもしかしてそれ? 一ロール分、買って自力で持って帰って来たんですか?」

「どうしたんです、こないだたくさん買ったばかりなのに、また新しく布買って来るなんて」


 ノーラは最年長で三十後半のベテラン主婦。独身の頃は王都ではないが地方のメゾンで針子として長く働いていた。その経験は伊達ではなく、彼女は接客も上手く、相手の要望を汲み取る能力が高い。今は大きくなって手が掛からなくなった子供を五人産んで育て上げているので、子連れの客が来た場合もノーラに任せておけば安心だ。

 ミリーはレナートやエリザベスと同じ二十代後半のバツイチで、港町に嫁いだものの夫とは離婚して王都に戻って来た。どうやら酒癖が悪いらしく、結婚前は優しかったのだが結婚した途端本性を曝け出した。度重なる暴力や強姦まがいの抱き方に身も心もボロボロになったミリーはどうにかこうにか実家に逃げ伸びて、親の口添えの下、どうにか離婚に漕ぎ付けたのだという。男性にトラウマがあるせいか、殆ど女性客しか来ず、言動も女性的な店長が居るメゾンでなら働けると思ったらしい。レナートは殊更ミリーの前では男を出さないようにしている。

 シャノンは三ヶ月前に入ったばかりの針子で、十七の若い娘だが半年前に結婚した、正真正銘の新妻だ。若さが武器と言うべきか、流行に敏感で研究熱心、最新のファッションプレートが出ればすぐに読み込んで貪欲に技術を吸収する様は眩しいほど。余談だが、シャノンの夫は苦み走ったニヒルな男で、ちょっと危険な香りがする感じの色男なのだが、あえて深く詮索しないようにしている。……好奇心はうずうずしているけれど。


「これはちょっと私用なの。キュカのドレスをどうしてもすぐに作りたくて」

「キュカ様の? でもレナートさん、キュカ様の夏用のドレス、今年の分はもう作ったじゃないですか」

「そうそう、あのビガラスグリーンのストライプ模様のドレス! 色無地じゃないのが軽やかで良いし、差し色の白と黄色の二色のレースが夏っぽくてお洒落だし、天才」

「さっすが店長!」

「んふふ、そんなに褒められると照れるわ」


 キュカはヴァージニアが出来て間もない頃からのお得意様でもあり、レナートが蝶よ花よ妹とばかりに可愛がっているので、針子達も顔見知りだ。


「ノーラ、まだベスが中に居るから急がなくても良いんだけど、店番頼まれてくれる?」

「良いですよ。ベスなら店を出る前に一言声を掛けてくれるでしょうから、それまでは続きをしてますね」

「そのピンク、レナートさんが偶に髪に結んでる、一番綺麗なリボンと凄く似てますね」

「そうよ。わざわざこの色を探したんだから」

「えっ、何それ特別!?」

「今度作るキュカ様のドレスは、今までとはちょっと意味が違うって事!?」

「キュカ様、昨日来てましたけど、ドレスの注文って感じではなかったような…。ただ店長の部屋に遊びに来た、みたいな」


 流石、女は鋭い。

 主に女性用の衣服を作るメゾンという職場上、顧客は貴族が多く、貴族と接する事はままあるが、気位が高く横柄な客も多い中、キュカは優しくて腰が低く謙虚で、レナートを兄のように慕う様も針子達には微笑ましいから、仕事とは別にキュカのドレスをシーズンごとに必ず作るレナートの私的な作業も快く手伝える。……もっとも、彼がキュカのドレスを手伝わせた事など殆どないけれど。何故か意地でも自分一人で作るのだと毎シーズン張り切っているので。

 そんなキュカが、てっきり婚約関係にあると思っていたレナートの弟とは結ばれず、次に立太子したアルフレートの婚約者候補に名を連ねたものの結局そちらも白紙になったと巷で聞いた時は、「何であんな良い子が二度も袖にされるのか」と針子達もやるせなかったのだけど。当のキュカときたら、全く気にする素振りも見せずに笑顔で「レナちゃん、こんにちは。新しいドレス注文しに来ました」と朗らかに来店するので、慰めようがなく。

 青黒髪のポニーテールがトレードマークの、可愛らしいのだがちょっと目立たない令嬢を思い出してほっこりする三人の針子であったが、レナートが一ロールの布を空いたテーブルに置き、デザイン用のクロッキー帳を引っ張り出して椅子に座った途端、とんでもない事を言った。


「あのね、アタシ。王家からキュカの縁談相手の候補に選ばれたんだけど」

「それは知ってます」

「店長、一応貴族男子ですもんね」

「普段あまりにも女性的だから忘れちゃうけど」

「それで…。昨日、キュカと両想いになりまして。結婚式まで、これから色々準備しなきゃいけないし忙しくなると思うの。貴女達に負担が偏ってしまうかもしれないから、今の内に謝っておくわね。それで、実家には昼に手紙を出したから、アタシとキュカが婚約するのを反対する両親でもないでしょうし、婚約式の日取りはまだ決まってないけど、多分二ヶ月後くらいが妥当だと思うからそんなに日がないでしょうし…。だから、」

「店長待って!」

「情報量が多い!」

「キュカ様と両想い!?」

「えっ、つまりマティアス様はガチで弟扱いだった…?」

「寧ろ店長って恋愛対象、ちゃんと女の子なんですね!?」

「私てっきり、レナートさんは男が好きなものだと…」


 やはりそう思われていたか。

 キュカにもレナートの恋愛対象は男だと思われていたらしいし、それは自分の言動があまりにも女性に寄せているから仕方ないところではあるけれど、レナートは同性に恋愛感情を抱いた事は一瞬たりともない。


「アタシ、普段こんな言動だしそう思われても仕方ないけど。対象は異性よ、同性をそういう風に見た事は一度もないわ。…マティとキュカは本当にただの姉弟みたいな関係で、それ以上でもそれ以下でもなかったみたい。……ね、暫くアタシ、結婚とキュカの事に掛かり切りになると思うけど、新しい針子を雇おうと考えてるし、協力してくれるかしら」

「そ、それは…勿論」

「てゆーか、キュカ様、その辺の女性より女性らしい店長に恋を…!? ある意味凄い、どうやってこの女子めいた店長に恋する流れに…!?」

「それな」

「でも、本当におめでとう御座います。ご祝儀に、何か贈らせて下さいね」

「あっ、私も」

「でも、レナートさん貴族だもんね…。一体何を贈れば良いのか」

「いいのよ、そんな。気持ちだけで充分だわ」


 レナートは何だかむず痒い心地になったけれど、針子達の反応も悪いものではない。寧ろ、祝福に満ちた温かくて優しい空気と眼差しを感じる。それは素直に嬉しかった。


「それで店長、昨日キュカ様と両想いになったって事は、告白したんですか!?」

「いつもの言動でプロポーズしたんだったら、二人のバックに百合の花が咲き乱れる構図ですよ…」

「それな。――そもそも、キュカ様の方から告白した気がする、何となく」

「……ぐ、」


 その通りだったので、インスピレーションの赴くままデザイン帳に走らせていた黒鉛をうっかり止めてしまった。

 自分でも情けないとは思っているのだ。ずっと好きだったのは自分も同じなのに、年下の女の子の楚々とした口から好意を言わせてしまうなんて……。

 レナートの女性らしい口調や言動は決して上辺だけという訳でもないが、心も素も男のままだ。

 七つも年上の男として、幼い頃から見守っていた菫のように可憐な少女に「すき」と言わせてしまったのは、自分のヘタレが原因だと判っている。判っているから、今後は言われる前に言わなくては。男としてそこは譲れない。


「ねぇねぇ、お祝い、産着にしない? お貴族様なら絶対子作り早いでしょ」

「さんせー! 産着は何枚あっても困らないもんね」

「柔らかな白いキルト、まだいっぱい在庫あるから、それぞれ守護的な図案の刺繍もしたいよね」

「それな。――梟とか鹿とか豚とか。鳩は白い産着だと目立たないかも…」

「寧ろ昨日、店長とキュカ様、二人きりで店長のプライベートな空間で愛を告白したのよね。だったらそのままの流れでベッドになだれ込んだ可能性…あるんじゃない?」

「それってつまり、もう既に一線を超え、」

「ちょっとアンタ達!! さっきはアタシの事「恋愛対象が女子だったのか」ってビックリしてたくせに、どうしてベスと似たような発想に行きつくの!? アタシってそんなに手が早そうに見えるかしら!?」


 従業員達による自分へのイメージがただのケダモノでしかない事に抗議したくて、レナートはキュカに着せたいドレスのデザインを早速一枚描き上げると同時に吠えた。

 昨日は抱擁とキスしかしていない。断じてその先へは進んでない。あの後は桃のタルトを食べながら、お互い照れ照れしつつ近況報告と婚約までの今後の話をしたくらいで、日が暮れる前にはちゃんと帰したし。

 我ながらこんなに紳士な乙男、他に居ないと思うのだけど。

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