03

「――王妃教育を受けるようになってそろそろ一ヶ月ですね…。如何でしょうか」

「とても厳しいし覚える事や学ぶ事が多岐に渡るので、難しくて大変ですわ…」


 学院の勉強も並行しているので、単純に勉学量が増えたキュカが一番大変な事になっている。

 サーシャもエルダもキュカの大変さを同情して、王城で一緒に学ぶ日は、勉強後にお茶に誘ってくれたり何かしら差し入れてくれたりする。年下と言うのもあって、構いたくなるらしい。

 本日は王城に通う日ではないので、学院から直帰した。マティアス経由で、ロザンナが一度キュカと話をしたい、と伝言があり、都合を付けたのが本日。

 落ち合う場所はどちらかの邸になると思ったが、何故かマティアスの家になった。妥当と言えば妥当かもしれない。


「マティから伺いました。キュカさんが彼の背中を押してくれたのだと…」

(まぁ。愛称で呼んでるわ。二人の仲は順調みたいね)

「えぇ。私、マティがずっとロザンナ様を恋い慕っていたのを間近で見てきたものだから。いじらしくて、「叶わぬ想いでもそれは素敵な気持ちなのだから大事にしましょう」と、励ましていたのです。…ですが、王族とご婚約されていらっしゃるほどの方ですもの、普通はそう簡単に婚約が白紙になるような事態など起きないでしょう? マティもずっと胸に秘めているつもりだったのですが、「雲行きが怪しいな」と思ったのは、リリアン嬢がアレク殿下と距離を縮めた頃です」

「えぇ。……私はアレク殿下に恋愛感情こそありませんでしたけど、性格に少々の瑕はあっても、王太子として努力も研鑽も凄まじい意欲でこなしていらして、厳しい英才教育に弱音も吐かず、そういう姿勢を尊敬していました。だから…リリアンさんとの事は、最初は気の迷いだと思ったのです」


 いつ見ても素晴らしい赤毛に白銀のリボンを結んだロザンナもティーカップを持ち上げ、優雅に一口飲んだ。


「ですが…、今思えば、アレクでん、…いえ、アレクサンダー殿下も初めての恋に、色々振り回されたのでしょうね。私への暴言も後から心からの謝罪を受け取りました。ですが、あの時の感情任せの言葉は、多少なりとも私への本音であった事は窺えます。アレクサンダー殿下の言う通り、王太子の婚約者として常に完璧でいなくてはと気を張っていて、随分と可愛げのない女だったと思いますもの」

「! そんな事、」

「いいえ。これは後から自分の姿を思い返してそう反省した私の意見ではあるけれど、大丈夫です。キュカさんが否定なさらずとも、マティにはもう、否定されてしまったの。……「王太子に相応しくあるよう、いつも毅然と隙を見せないようにしている姿が綺麗過ぎて、手が届かない人だと言い聞かせていたけれど、安心した時や可愛いものを見た時に気が抜けたように微笑む顔が、凄く可愛くていつも見惚れてた」……ですって」


 恥ずかしそうに、だけどとびきり嬉しそうに照れている顔が可愛くて、キュカもほっこりした。


「えぇ。私も、何度も聴かされました。マティはね、ロザンナ様のそういう素顔が可愛くて仕方ないんです。もっとあの子に甘えて、可愛がられて下さいね。マティも喜ぶと思います」

「わ、私の方が年上なのに……」


 そう言いながら、益々火照った頬に両手を当てて照れるロザンナを、マティアスがどれだけ甘やかして可愛がっているのかが透けて見えるようだった。

 こんなに隙だらけで安心しきったロザンナの可愛い姿を、きっとアレクサンダーは長年共に過ごしながら一度も見た事がないのだろう。


「アレクサンダー殿下の御心がリリアン嬢に向き、ロザンナ様から離れていくのを、私、黙って見ていました。そういう意味では、私、ロザンナ様に感謝されるどころか、詰られても仕方ないと思ってましたが…」

「いいえ。…マティが私を好きだなんて思ってもみませんでしたけど、キュカさんはきっと、私の気持ちも見抜いていたのでしょう? だからマティの背中を押せたのでしょう?」

「……はい」


 キュカにとって可愛い弟のような幼馴染が、叶わないと思いながらずっと恋い慕っていたから、キュカもただ令嬢の手本としてと言うより、もっと深くロザンナに注目するようになった。

 だから、すぐに気付いてしまった。ロザンナが時折、マティアスの横顔や後ろ姿を切なげに見つめている事。快活なマティアスを見てほんの少し柔らかく微笑む事。


「ロザンナ様もマティを想っているのだと気付いていました。…だから、あの子の背中を押せたのです」

「やっぱり…。キュカさんには敵いませんね。私、誰にも気付かれないようにしていたつもりだったのに…」

「ロザンナ様はマティよりずっと上手に隠しておられましたよ? 私もよく気付けたと、当時は自分の観察力を褒めましたもの」

「ふふっ。…キュカさんにも、本当にお礼を申し上げたいと思っていて…。お忙しいのに時間を割いて頂いて有難う。……本当は、私や私の実家が持つコネや伝手で、キュカさんには身分も地位も申し分ない、能力もある未婚男性との出会いの場を多く設けて少しでも恩返ししたかったのですが、アルフレート殿下に先を越されてしまいました」

「有難う御座います。お気持ちだけ頂いておきますね」

「マティからも、「そういう気遣いは無用」だと釘を刺されてしまって。キュカさんを姉のように大事にしていると豪語しているなら、そこは寧ろ協力するべきでは? と思うのですけど」


 ロザンナは首を傾げた。


「ですが、本当に感謝して頂くような事はしていません。それどころか、私が双方の気持ちを知っていたからと言って、マティの背中を押す為にロザンナ様の心身や評判に負担を掛ける手段を採ってしまったのは事実です。マティは悪くありません、私がそうしなさいとアドバイスを、」

「キュカさんは、隠し事や諜報は向いているのかもしれませんが、嘘はあまり得意ではないのね」

「えっ」

「キュカさんの人となりを直接知るのは今日が初めてですが、キュカさんの事をマティは本当に慕っているし、周りからの評判から見て、貴女がどんな人なのかは、多少推し量れますよ」

「……」

「マティはあのプロポーズの後、二人きりになった時、私に謝罪しました。…私を、酷い方法で手に入れてしまった。申し訳ない、と」


 ロザンナはそう言いながら、女神のように笑った。

 愛されていると自信を持っているが故の、誇らしげにも見える美しさで。


「……ロザンナ様は、許しているのですか。マティがロザンナ様を手に入れる為に、ロザンナ様を窮地に追いやるアレクサンダー殿下達をあえて強く止めなかった事を」

「キュカさん。私も、女ですのよ。…女だから、許さないより、許す方が、ずっとマティの幸福の底に一欠片の罪悪感を残せるの。添い遂げる相手と一生過ごすのに、幸せの比重は多い方が良いに決まっています」

「……!」


 思った以上に、ロザンナがマティアスに恋する女である事に、キュカは驚けば良いのか喜んで良いのか判らない。

 少なくとも、アレクサンダーに対して恋愛感情はないと言い切ったし、これほどまでに女としての一面を見せた事はなさそうだ。


「ロザンナ様が、マティの罪悪感を限りなく最小限に留めて管理する、という事であれば、私からはもう何も、言う事はありませんけれど…」


 男が支配したがる生き物ならば、女は管理したがる生き物だ。

 初めからマティアスが父の騎士団長を通して上に提出する前に、アレクサンダー達に証拠としてリリアンが自作自演していた映像を見せていれば、流石に彼らも目を覚ましたかもしれない。

 けれど、マティアスはそれをしなかった。

 リリアンが急接近してあっという間にアレクサンダー達の心を奪った頃、「婚約者を蔑ろにするのは良くない」と苦言を呈した事はあるようだが、彼女の男心をくすぐる手練手管に彼らはすっかり虜になっていて、聞く耳を持たなかった。

 それどころか苦言を申すマティアスに、「そんな事を言って、私からリリアンを引き剥がして、自分が彼女の夫になるつもりなんだろう」と言いがかりを付ける始末。

 そんなアレクサンダー達に呆れたマティアスは、彼のロザンナへの態度を長年近くで見ていたのもあり、正しくない事だと判っていながら、恋しい人を手に入れられるかもしれないという誘惑に抗えなかった。ズルくて卑怯な手段だと後で詰られるかもしれなくても、ロザンナを手に入れられるかもしれないと一度でも考えてしまえば、その可能性ばかりが頭を占める。要は魔が差した。

 ロザンナに直接危害が及ばないよう、リリアンの取り巻きという体を取って傍観に徹した。ロザンナの心が傷付いているかもしれないと知りながら……。


「それから、あの…、これから先、何があるか判りませんが、私、キュカさんに何かあったら、真っ先に助力したいと思っています。それと…、これは個人的なお願いなのですが、今後もこうしてお話ししたり、お茶したり、そういう関係になりたいのです。……如何でしょうか?」

「え、宜しいのですか? 私で良ければ、是非」

「良かった…。王妃教育に関しても、何か困った事、判らない事がありましたら、私で良ければお教えしますね」


 キュカにとって心強い申し出をした彼女は、マカロンを一つ手に取り、上品に口に運んだ。



 王妃教育を受けるようになってから、早十ヶ月。

 自分達の卒業式を間近に控え、キュカは風通しの良いガゼボでマティアスと今夏をどう過ごすか相談していた。


「今年で卒業だし、騎士として正式に叙任されるから、騎士団に就職するのは決定。その前に結婚式を挙げるけど」

「ロザンナさんのウェディングドレス、もう仕上がってるんでしょう?」

「うん。兄上に相談して良かったよ。ローザが凄く素敵なドレスだってはしゃいでて。俺はまだ見せてもらってないけど」

「新郎だもの。ドレスは当日までのお楽しみだと思って、ワクワクしてれば良いのよ」

「そうする。――あ、そうだ。キュカは俺の友人列と親族列、どっちに並びたい?」

「もう。友人に決まってるでしょ。姉だの弟だの言っても、実際は親族でも何でもないんだから」

「でもさ、キュカはやっぱり、俺の姉的存在というか…姉だと思ってるんだよ、ずっと」

「……」

「それで、キュカは? 俺とローザの結婚式に出席してくれた後は、やっぱりひたすら勉強?」

「そうなるわね」


 キュカは妃教育を受けているものの、やはりサーシャやエルダに今一歩追い付けていない。ロザンナにも度々マンツーマンで特訓してもらったり講義してもらっているが、詰め込む分野も量も半端ではないので、無理を重ねると体調を崩してしまう。

 王太子の婚約者候補なので他に求婚者が現れる訳もなく、卒業後は学院に通わなくなるだけで、ひたすら教養を深め勉強漬けの毎日になるだろう。


「兄上の元へは遊びに行かないのか?」

「お仕事の邪魔してはいけないでしょう?」


 次男でありながらマティアスが跡を継ぐ事になってるのは、長男が騎士になりたくないと家を出て、半絶縁状態だからである。


「兄上、キュカに似合う夏用のドレス、今年も作ったって言ってたけど」

「そうねぇ。今や王都でも評判のメゾン、新作ドレスは常にファッションプレートに載るほどの有名なデザイナーにシーズンごとに新しいドレスを作ってもらうなんて、贅沢の極みだわ。注文待ちだけで半年以上って言われてるのに…」

「兄上はキュカが可愛いから」

「マティの事だって可愛い可愛いと猫可愛がりしてるじゃない。――このお邸に居た頃から、遊びに来る私を妹のように可愛がって下さって…。お邸を出られた今も、ずっと。……有難い事だわ」


 静かに微笑むキュカの顔を、マティアスは真正面から静かに見据える。


「…王妃教育を受けるようになって、もうすぐ一年。正式な婚約者はいつ決まりそう?」

「ん? うーん…。私は多分、選ばれないと思うのよ。サーシャさんもエルダさんも、頭が良くて落ち着いてて、どちらもアルフレート殿下のお隣に立っても見劣りしない美貌だし、それぞれ内面も魅力的な令嬢よ。このまま何事もなければ、恐らくどちらかが選ばれると思うのだけど…」

「キュカが選ばれたら?」

「私? それはないと、」

「でも…、クローネ嬢の雰囲気は、キュカに少し似てる」

「……そうかしら? 自分ではよく判らないわ」


 キュカは困惑した。ロザンナと同等の公爵家であるクローネとは家格の差もあるし、一つ年下だし、何より会話した事も、社交場で二、三回くらいしかない。それも当たり障りのない挨拶程度。

 一年経ってもアルフレートは三人に分け隔てなく、平等に接してくれる。誰か一人を少しでも贔屓しないよう、細心の注意を払っているのが窺えて。


「…君が選ばれたら、俺はどうしたら良いかな」

「なぁに。あり得ない心配ばかりしちゃって。…もし万が一そうなったら、畏れ多くも光栄な事よ。謹んでお受けするに決まってるでしょう?」


 そもそも、断れる訳がない。

 だからこそ断言するキュカを、マティアスは少しだけ複雑な心境で見つめた。

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