02

 ……そんな卒業式から、一ヶ月後。キュカは今、王城に召集されている。

 あれからマティアスは、伯爵家の次男でありながら、公爵令嬢のロザンナの両親とも話をし、正式に両家でちゃんとした婚約を結んだ。

 ロザンナに落ち度は何もなかったが、王太子から婚約を破棄されたという事実はやはり大きい。そのアレクサンダーは王位継承権剝奪の上に、現在は謹慎処分となっているから、ロザンナの名誉は既に回復しているけれど。

 王籍は今のところまだ外される予定はなさそうだが、卒業したというのに国務に何一つ携われず、日がな閉じ込められた塔の中で粛々と浅はかな己を反省し、高貴な罪人としての生活を送っているらしい。他の取り巻きの令息も同様に、同じ虜囚の為の塔に投獄された。

 アレクサンダーの処遇については、「刑罰が軽い」という意見も勿論ある。卒業式の一件は、本来ならば廃太子どころか子をなせない身体にされた後に義絶、或いは生涯幽閉の憂き目に遭ってもおかしくないほどの所業と言動であった。

 しかし、アレクサンダーは十八年間、国内で最高水準の教育を施した男子でもある。王太子としての能力に申し分はなかったし、廃嫡にするのは簡単だが、彼を育てる為に費やした時間と国税を考えれば、簡単にそれを実行するのは惜しいとも言える。

 失態は覆せない以上、王位継承権を剥奪し、アレクサンダーは高貴な虜囚を閉じ込める塔に閉じ込められ、清貧を求められる生活に身を置いている。贅沢に慣れた身にはさぞかし堪えるだろうが、自業自得なので何の弁解もせず、粛々と塔に入ったそうだ。

 己を省みて心から反省したなら、今後は立太子した弟王子の補佐をし、生涯臣下として彼に尽くす事で、国民と王家と婚約者を愚かな恋で裏切った汚名を一生掛けて返上せよ、という訳だ。それがアレクサンダーへの最後の温情、ラストチャンスという事だろう。

 リリアンはあの後、王太子のみならず複数の婚約者持ちの貴族令息を篭絡して混乱をもたらしたとして、極寒と戒律の厳しさで有名な修道院に送られた。婚外子の彼女を引き取った男爵も厳罰処分を受け、財産と領地の半分以上を剥奪され、家督を長男に譲って早々に隠居するよう命じられた。

 そしてキュカは何と、この度立太子された第二王子――アルフレートの婚約者候補に選ばれてしまった。

 あくまでも候補だが、王族の伴侶になれるのはよほどの例外がない限り公爵家から王都に本邸を構えた伯爵家の娘までと定められているので、キュカは候補者の中でも下位の家格の娘という事になる。


(どうして私も選ばれたのかしら)


 マティアスと半婚約者状態だったのは認める。幼馴染の延長線上で婚約しているようなしていないような、というあやふや加減だったが、世間から見ればキュカはマティアスの婚約者も同然だった為、「婚約者に捨てられた女」という図式は、内実はどうあれ、キュカも当て嵌まっている。

 そんな女に求婚してくれる男は、確かにあまり居ない。実際はただの幼馴染でも、「婚約していた男に捨てられた女」の手を取るのは、よほどその家の旨みが欲しいか、貴族令嬢なら誰でも良いと切羽詰まった男のどちらかだろう。

 そういう意味では、アルフレートの婚約者候補に選ばれた令嬢の顔触れを見るに、宰相の息子と外交長官の息子の婚約者達も含まれているので、振られた立場の令嬢に差し伸べられた救済措置とも言える。

 魔術師長の息子にはまだ婚約者が居なかったので、自分含め三人の令嬢が招集された訳だ。


(うーん。まぁ、有難いと言えば有難いのかしら。王太子の婚約者候補に選ばれた、と言う箔が付くだけで、随分違うもの。たとえ王太子の婚約者になれなかったとしても、「婚約していた男に捨てられた女」という悪い印象を払拭するどころか、「王太子の婚約者候補に選ばれるほどの令嬢」という価値で上書きして下さるもの。お兄様の尻ぬぐいも大変ねぇ…)


 アルフレートはアレクサンダーの同母弟なので、顔立ちはよく似ている。けれど受ける印象はやはり少し違う。


(…でも、アルフレート殿下も気の毒だわ。クローネ様が行方不明になられて三年……、立太子なさったからと、急いで新しい婚約者を選ばなくてはいけないなんて…)


 アルフレートには一つ年下の婚約者が居た。……ではなく、「居る」。

 彼女とアルフレートは仲睦まじく、微笑ましいカップルで。アレクサンダーとロザンナが華やかなダリアならば、アルフレートとクローネは愛らしいチューリップといったところか。

 口元の小さな黒子が、可愛らしいあどけなさの残る顔立ちに一筋の色気を滲ませて、将来は妖艶な美女になりそうな公爵令嬢。けれど皆の記憶の中に居る彼女は、ロザンナとは違う方向性で繊細で可憐な顔立ちの、刺繍が大変に上手いと評判の美少女だった。

 けれどおよそ三年前の夏、避暑の為に領地に向かったクローネは海で遭難し、そのまま行方知れずになっている。

 遺体が見付かっておらず死亡も判明していないので、喪に服す事も出来ず、公爵家は勿論、アルフレートも捜索隊を度々編成して派遣し、自身も学業や公務の合間を縫って彼女が姿を消した避暑地の海へ出向いては捜していると聞く。

 兄王子と違って婚約者とは心の底から良い関係も築いて仲が良かったから、今でも諦めきれないのだろう。遺体を確認するまでは決して喪に服すまいと、礼装でさえも黒い衣装を一切着用しなくなったアルフレートの心意気を、キュカは痛ましくも応援していたのだけど。


「ごきげんよう、キュカさん」

「貴女も呼ばれていたのね。卒業式以来かしら」

「ごきげんよう、サーシャ様、エルダ様」


 宰相の息子の元婚約者サーシャと、外交長官の息子の元婚約者エルダ。どちらも侯爵令嬢で、どちらもそれぞれの魅力を持つ美人だ。

 ハッキリとした目鼻立ちを際立たせる黄金の髪が、いつ見ても圧倒されるほどに眩いサーシャ。

 新雪の如き純白の髪を結い上げ、切れ長のアイスブルーの瞳が涼やかな知的美女のエルダ。


「今回、私達は畏れ多くもアル殿下の婚約者候補に選ばれたようですね」

「それ自体は有難い処置なのですけど…正直、あまり気乗りしませんわ」

「アルフレート殿下とクローネ様の睦まじさを覚えていると、馬に蹴られる気分ですものね」

「えぇ、そうなの! そうなのよ!」

「私も、アル殿下とクローネさんのお二人の事は、幼くとも理想的な恋人達だとうっとり憧れていたくらいなのに…。まさかこんな事になるなんて」

「それはそうと、お二人は、あの……、私の事を、恨んでいますか?」


 友好的に接してくれるけれど、二人の婚約者にそれぞれ処罰を下す切っ掛けを作ったのは、キュカのようなものだ。


「そんな訳ないわ! 寧ろキュカさんには感謝してるのよ?」

「えぇ。あの方は家柄も身分もお顔もとても魅力的な貴公子で、婚約を結んだ頃は私も夢中になっていたけれど…、あの方とあのまま結婚する事にならなくて良かった、と思ってるわ」

「そ、そうなのですか」

「確かに家同士が決めた婚約だったけど、だからこそ両家の利害が一致した婚約者を蔑ろにして、違う女性に目の前で堂々とアプローチするのは、両家の顔に泥を塗る行為よ」

「サーシャの言う通りだわ。…寧ろ私は、キュカさんがマティアスさんと婚約してない事に驚いて、正直、元婚約者の事は大してショックを受けていないのよ」

「殆どの方は、やっぱりそう信じてたみたいですね…。実際、私とマティも、半分くらいは何となく「結婚するのかな~」とお互いに対して思ってたので、当たらずとも遠からず、と言った感じですけど。……でも、マティはずっとロザンナ様を思い染めてましたので、やっぱりマティの恋を応援したかったのです」

「アレにはビックリしたわ。…でも、素敵だったわね。ロザンナ様も、あんな事があったけれど、すかさず求愛されたからこそ、評判やお心に瑕疵が付く事もなく、今は幸せそうに笑ってらっしゃるから、本当に良かった…」

「えぇ。直前にアレク殿下達のやらかしがあった分、マティアスさんの行動は余計にロマンティックで一途な求愛に見えて、私感動したもの」

「マティは普段可愛いですけれど、やる時はやる子なので、ちゃんとカッコ良く決められるんですよ!」


 ここぞとばかりにキュカは自慢の幼馴染の素敵さを誇ったが、そんなキュカの言葉に二人は顔を見合わせた。


「かわいい…」

「あの逞しく凛々しいマティアスさんをそのように言える時点で、キュカさんは本当にマティアスさんを弟としてしか見てないのね」

「え、だって…。マティはマティなので……」


 招集された客室ですっかり寛いでいた三人だが、やがて王妃とアルフレートが部屋に姿を現すと、背筋をピンと伸ばして令嬢らしく粛々と椅子から立ち、優雅にカーテシーを執る。


「こうして集まって貰ったのは他でもない。理由は既に告知済みだが、先日、正式に立太子した僕の婚約者候補として、今日から三人には励んでもらいたい」

「畏まりました」


 この中で侯爵令嬢はサーシャとエルダの二人だが、父親の立場を加味すればサーシャの実家が僅かに上回っている。代表してサーシャがそう答えれば、アルフレートは微苦笑した。


「母上。…お願いします」

「サーシャ嬢、エルダ嬢、キュカ嬢。急な呼び出しにも拘らず、よく来ましたね。――アルが言った通り、貴女方三人は、今日からアルの婚約者候補となって頂き、今後は私の指揮下の元、各自妃教育を受けてもらう手筈になっています。大変だとは思いますが、もし王太子妃に選ばれなかったとしても、厳しい妃教育は必ず、将来貴女達の役に立つでしょう」

「はい」

「今日は顔合わせと挨拶のみで終わりです。スケジュールの都合が付き次第、三人は各々自邸で学べる事は自邸で、王城で学ぶべき事は登城してもらうかたちになります。――何か質問は?」

「スケジュールの都合と仰いましたが、具体的に、期間は如何ほど設けられておりますか?」

「教材などはどういったものを用意すれば宜しいでしょうか」


 すかさず質問が出てくる辺り、やはり私とは素地からして違う侯爵令嬢だわ、とキュカは感心しつつ、自分も遅まきながら挙手をした。


「婚約者候補という事ですが、婚約者を正式に決めるのは、いつ頃でしょうか。…その、選ばれなかった令嬢は、嫁き遅れる前に婚活を始めないといけないかと…」


 アルフレートと同世代のキュカとマティアスはまだ卒業していないけれど、サーシャとエルダはアレクサンダーやロザンナと同じく、卒業生だった。本来なら卒業した時点で婚約者と結婚式の準備を進めているか、もしくはとっくに結婚して夫人になっていてもおかしくなかったのである。

 それなのに、今からロザンナが何年も受けていた王妃になる為の教育を受けるのだ。ロザンナと同じ期間を設ける訳にはいかないから詰め込み式で過酷な授業になろう事は説明されずとも判っているので、三人共覚悟している。それでも、もし選ばれたならまだ良い。けれど選ばれなかった場合、その頃には嫁き遅れと称される年齢に達しているはず。


「それなら心配ない、キュカ嬢。君達の中で僕の未来の妻に選ばれなかった令嬢にも、父上や母上、そして僕自身、輝かしい若さや貴重な時間を王家に費やしてくれた貴女達の美しい盛りを決して無為にしない為に、責任を持って良縁や出会いの場を用意する算段だ。今度は君達が選ぶ番になるという訳だ」

「私達が…?」

「選ぶ側…?」

「良縁や出会いの場を用意すると言っても、強制ではない。気に入らなければ袖にしてくれて構わない。王家が用意した縁談だからと、自分の心を押し殺して受け入れる事だけはしないで欲しい。君達には、自分の隣に立つ男を自分で選んで欲しいという事だ」

「「「――――――――!?」」」


 そんな事を言われるなんて。

 貴族の令息も令嬢も結婚相手を自分で選べない。大抵親が選んだ相手と結婚するのが暗黙の了解になっており、マティアスとロザンナは例外だ。例外と言っても、後日ちゃんと両家で話を通し、正式な婚約を結んでいるので、貴族の求婚として手順をしっかり踏んでいるけれど。


「それと、スケジュールに関してだが、君達の都合もあるだろう。近日に予定が入っていれば、なるべく早めに済ませて欲しい。妃教育は来月初めからスタートする予定だが、異論は?」

「わ、私は、登城する日が前以って決まっているのでしたら、来月に入れたその日に被る予定を今月に変更する事は可能です」

「私も、来月は幾つか社交パーティーに誘われたくらいなので、もしその日に被った場合は、先方にお断りの手紙を書きますわ」

「私は、お二人と違ってまだ学院生なので、授業のある日は登城が難しいのですが…」

「キュカ嬢には勿論、学院の勉強に専念してもらいたい。故に、登城しての王妃教育は放課後の時間を使ってほしい。勿論、二人にも。何せ母上も多忙なのでね。マンツーマンで教えるのは効率が悪い」

「つまり、昼下がりから夕方までという事ですね。それでしたら、用事も昼までに済ませてしまえば良いですし、私としても時間を有意義に使えるので有難いですわ」

「私も、そういう事でしたら」

「お気遣い、感謝致します」

「否、こちらが無理を言っている。なるべく君達の生活リズムを乱したくはない。――それと、教材に関してだが、こちらで用意出来るものは全て用意するので、登城の際に持って来るものは使い慣れた筆記具くらいで構わない。自邸で行う学習については、後ほど母上や女官長から説明があるだろう」


 アルフレートは凪いだ瞳でそう告げる。クローネの事を諦めてはいないだろう彼の、穏やかな表情と口調にはこちらへの労わりと気遣いが感じられたが、彼の心境はどうなのだろう。

 兄と同じく、王妃譲りの栗色の髪と、国王と同じ紫の瞳。国中の少女が憧れるような造形美と物腰の柔らかさ。

 少年から青年へと緩やかに変貌を遂げている彼の隣に粛々と寄り添っていた、黒髪の令嬢を思い浮かべる。三年前の彼女は十三歳。あの頃は可愛らしくも稚さがあったけれど、もしどこかで生きていたなら、今頃とびきりの麗しい少女に成長しているに違いない。

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