第37話 イヤな奴との縁は、切って良い。

「あんた、どういうつもり……あんたがこれをやったのね?」


 私は———那由多愛は震える体を奮い立たせて、昔の友達の前に立っている。


「…………」


 怖くて、目が泳ぐ。

 思えば彼女———安藤礼香の前ではいつもこうだった。私はビクビクして怯えていた。


「やっては……いない……」

「あ?」


 絞り出すように声を出す。

 だけど、安藤さんが不愉快そうに眉をひそめて威圧してくる。


「やってんだろ? あんたが昔のこと大げさに今の彼氏にチクって、やり返しにきたってことでしょ? ホント陰険なところは全然変わってないね。あんた」

「————ッ!」


 彼女は意地悪いじわるだった。

 だけど、友達にならなくちゃと思った。

 昔は———、

 今は———……。

 やっぱり、無理だ……!

 こわい。

 服の端を掴み、後ずさりしようとした……、

 ところを、黒木君に肩を掴まれ止められる。


「黒木君……?」


 小さな声で尋ねる。

 黒木君は、まっすぐ私の目を見つめて言う。


「逃げちゃダメだ。ここで自分の気持ちにけじめをつけないと……いつまでも本当の自信はつかないよ」


 黒木君も小声だった。


「自信?」

「傷つけられて自信がなくなったんだろ。そして、傷つけられたから自分を磨いたんだろ。じゃあもう、逃げる必要はないはずだ。傷つけられないように自分を磨いたんだから」

「———ッ!」


 その言葉を聞いた瞬間、心の中の自分がこう言った。


 ———自分を磨いたんだから、自信を持ってもいいんだ。


 安藤さんに傷つけられるほど———もう、私は弱くない。

 足に力を込めてその場に踏みとどまった。

 彼女と向き合う。


「私はずっと安藤さんの傍にいて傷ついていた」

「あ?」


 安藤さんが何を言っているんだと言いたげに片眉を上げる。

 その瞳を私は正面から見据え、キッと睨みつける。


「安藤さんたちのグループにいるたびに私は笑い者にされていた。話しかけられて返す反応が遅いとか、スキップができずに変なステップを踏んでいたとか……今日のファッションが変だとか……」


 段々と全身に力がこもる。

 わなわなと震える。


「那由多……」


 ぼそりと安藤さんが私の名前を呼んだけれども、それが私の言葉を止めようとして読んだのか、それともあっけにとられて呼んだのかはわからない。

 ただ、私はもう彼女を見ていなかった。

 彼女の後ろにいる、幼いころの———小さな安藤さんを見ていた。

 口が加速する。


「私は———、ずっと嫌だった。あれも嫌だった、これも嫌だった! 人より上手く絵が描けなくて笑われた時も、人より上手く粘土細工ができなくて笑われた時も、逆上がりができなかった時も、マラソン大会で後ろの方になった時も、運動会で周回遅れになった時も、ファッションが変って馬鹿にされた時も、お気に入りの『ガンダモ』のキーホルダーを付けて行って笑われた時も……毎回、その度に……! 全部嫌な思いしていた!」


 感情をぶつける。

 それに対して安藤さんは一蹴するように鼻で笑い、


「あんた、あれは……だからイジりってやつじゃん。那由多、あんたバラエティ番組見てないの? ボケに対してツッコミを入れてみんなで笑う。それ普通だから。そういうなんていうの……劇みたいなのがないと、つまんないし、会話ってそう言うもんだから。あんた間違ってるから」


 うん、と何を納得したのかわからないが、安藤さんは頷く。

 そのリアクションを見た時、何故だか私は怖くなった。

 いや、むなしさを感じたのかもしれない。この人に何を言っても無駄なんだと思い知らされたような……。

 この人を変えることは、できない。

 私が何を言ってもこの人は変わらない———私の思っている気持ちをぶつけたとしても、この人の心に響くものは何もない。

 気持ちを、不満をぶつけたって無駄だ。

 そうなるとつまり———私はただ、不満をぶちまけているだけのぐずっているだけの子供と同じということになってしまう。

 嫌だ。

 そうなるとつまり———私は他の人とは違う。こんな歳にもなって自分を抑えることができない子供と思われてしまう。

 嫌だ……!

 やっぱり、何をやっても……私はダメなんだ。

 そう思って、一度固めた決意が完全に壊れて……また逃げ出そうとする。

 ガッ、

 だけど———、黒木君がそれを許してくれない。

 肩を掴んで私を引き留めて———真正面から私を見据えて来る。


「逃げちゃダメだ」


 彼は同じ言葉を繰り返す。

 ———でも、

 瞳で訴える。安藤さんに何を言ったところで無駄だった。

 私の言葉で安藤さんは私を理解してくれるわけじゃない。仲のいい友達に戻れるわけじゃない。友達の間で起きていた不幸なすれ違いを安藤さんが理解して、その解消に前向きになってくれるわけじゃない。

 ———私と安藤さんは和解できない。

 だから、ここでの会話は無駄。

 だから、ここで私が何を言ったところで私が損をするだけだ。だって、これまでもこれからも私は安藤さんには不満しか抱えていないし、安藤さんに対する言葉は不満しかない。人に対して悪口を言う人間ははたから見ると悪者にしか見えない。

 人と人は分かり合わなければいけないのに———。

 人と人は常に互いを思いやらなければいけないのに———。

 それなのに安藤さんは、絶対にこっちを思いやってくれない。

 それでも———普通の人・・・・は、人格ができている人は、どんなに報われなくても相手を想いやらなければいけない。

 人間社会というのは協力し合うものだ。

 どんなに相手がこっちに好意を見せなかろうが、こっちは相手に好意を持たなければいけない。

 そうじゃないと協力し合うことができない。

 だから、私たち・・・は我慢しなければいけな、


「那由多さん」


 静かに黒木君に名前を呼ばれ、加速していた思考が遮られる。


「……?」

「自分の気持ちから、逃げちゃダメだ」

「————ッ」


 その黒木君の言葉に、なんだかハッとさせられた。

 彼は言葉を重ねる。


「安藤さんよりも周りの人よりも、自分の気持ちに正直になるんだ。じゃないと、今後誰も那由多さんを真正面から見てくれない。自分が逃げたくなる自分・・のことを誰が好きになってくれるって言うんだ?」

「あ……」


 頭の中がはっきりしていく、まるで今までかかっていた霧が晴れていくみたいに。

 黒木君の顔が見えてくる。

 優しく、微笑んでいた。


「言いきらなきゃ。逃げずに向かい合わなきゃ。そうじゃないと那由多さんの本当の気持ちが可愛そうだし、安藤さんにも伝わらない。気を使って取り繕った言葉より何にも包まれていない本音の方が、人の心は撃つものだよ」

「……………」


 そうだ、ね……!

 足と目に力を込めて、キッと安藤さんを見据える。


「安藤さん」

「あ?」


 もう、逃げない。


「あなたのそういった何でもかんでもいじ りって言い張るところ。そういうところが私は本当に大っ嫌い」


 言葉に気持ちを込めて言う。

 すると、安藤さんは———怯んだ。

 少しだけ驚いたように目を開き、気圧された様に身じろぎをした。


「だからそれは……あんた、アレじゃん……」


 安藤さんの目が泳いだ。

 完全に私から目を逸らした。

 少しだけ、ゾクッとした。

 初めてかもしれない。安藤さんが私に対して怯えるような態度を取ったのは。気持ちで負けて、言葉を紡げなくなったのは。


「アレって何?」

「アレは……その……」

「イジりって言って、人を平気で笑い者にするくせに。人に少し笑われたら、舐められたと思って怒り出すんだ?」

「それは……また、話が別じゃん? そいつは完全にあたしのこと馬鹿にしてたし」

「じゃあ、黒木君はどうしたらよかったの?」


 別に話は全く違わないと思うが、とりあえずは安藤さんの言葉を受け入れ、その言葉に疑問をぶつける。


「どうしたらって……別にスコアの差なんか気にしないで、平気にしてたら良かったんだよ。つーん、て何にも思わなければ良かったんだよ。そうしたら、こっちだって別に気にすること……な、く……」


 安藤さんは自分自身が言っている言葉で気づかされたようだ。

 段々と声が細くなり、眉尻が下がっていく。

 わからない。私には安藤さんの気持ちがわからない。

 だけど、何となく感じることはできた。


「安藤さん、気持ちをそのままぶつけると相手が傷つくこともあるんだよ」


 だから———私は安藤さんに優しく語り掛けた。


「…………そうか」


 安藤さんはそう返事をした。

 初めてかもしれない。彼女が私の言葉を聞き入れてくれたのは。


「安藤さんと私は今後もう二度と仲良くすることはないし、会うこともたぶんない」

「ああ……」

「安藤さんは悪い人。人を平気で傷つけるのに。自分が少しでも傷つけられたら躊躇わずに人に噛みつく———自分だけを大切にして周りを全然大切にしない。酷く悪い人」

「…………ッ」


 安藤さんは一瞬ムッとした。眉間にしわを寄せて明らかに不機嫌な表情になっていた。

 だが、今は気持ちが折れているようで反論まではしない。


「だから、私はもう安藤さんに会わない。安藤さんが自分を大切にしているように。私も私自身を大切にしなきゃいけないって気が付いたから。人を平気で傷つける安藤さんの傍には、もう近寄らない。一生、安藤さんと私は交わらない」


 目を閉じる。

 遠い昔が思い起こされる。

 まだ仲が良かった那由多愛と安藤礼香。ランドセルをからって笑って手を繋いでいた。

 楽しかった。だけど、あの頃にはもう戻れない。

 私は変わってしまったから。変わりたいと思って、変わってしまったから。

 安藤さんに馬鹿にされて、自分を磨いて馬鹿にされない自分になったから。

 変わった私は、もう安藤さんのピエロに戻れない。

 一歩後ろに下がる。

 私の後ろにいる黒木君の熱を感じる。


「だから、さようなら」


 言い放つ、彼女の目を真正面から見据えて。

 安藤さんは何も言わなかった。言えない様子だった。そして、捨てられた子犬のような瞳をしていた。


「安藤さん、今まで楽しかったです————ごきげんよう」


 優雅に、昔見た少女アニメの主人公の様に、一礼する。

 安藤さんは、


「ああ……じゃあな」


 絞り出すようにそう言った。

 その言葉を聞いて、私はくるりと踵を返す。

 そこには黒木君がいた。


「ありがとう」

「どういたしまして」

「もう、いいよ」

「そう」


 短くそれだけ言葉を交わして並んで陽子ちゃんたちの元に歩き出す。渉君は私たちの顔を見て何かを感じ取ったのか。ゲームの途中だったが片付けを始めていた。

 もう———ここに長居する必要はない。


「那由多!」


 後ろから安藤さんの声が聞こえる。 

 だけど、私は振り返らない。


「……那由多、あのさぁ」


 それでも安藤さんは続け、


「元気でな」


 それだけ———言った。

 私は振り返りもしなかったし、言葉を返すこともなかった。

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