第36話 ふくしゅう
何で、あいつが……あいつらが此処にいるんだ?
さっき少し会って話して、すぐに別れた那由多がどうしてこのボーリング場にいるんだ。
「ねぇ、凄くない?」
「あ? 何がぁ?」
考えている途中で話しかけてくる鈴木に苛ついて思わず乱暴な言葉遣いで返してしまう。
鈴木は隣の、那由多たちのいるレーンのボードを指さしていた。
凄いって何が……。
「あ」
ボーリング場で凄いなんて言葉が出る……。
そんなの———スコアしかない。
ボーリングのスコアしかない。
那由多たちのスコアは四人全員が三桁のスコアを取っていた。
特に、黒木……というんだろうかあの那由多の彼氏は170点を、ほとんどのすべての手番でストライクを出していた。
こっちはまだ三桁の点数を出している奴はいないのに……いつも私たちがやっている時は三桁の点数を出せばいいほうなのに。
確かにすごくて、茫然としていると黒木と目が合う。
そして奴は私の顔を見た後に上のスコアボードへ視線をやり、
「プッ……!」
と、明らかに嘲るように笑った。
「あ……?」
頭に一瞬で血が上った。
気が付いたら立ち上がり、カツカツとそいつに近寄っていた。後ろで「ちょっと安藤!」という止めようとする声も聴こうとせずに奴の前に立ち止まり、間近でガンをたれる。
「何あんた? 喧嘩売ってんの?」
低い声で威圧する。つもりだった。
「喧嘩を売る? 何のこと?」
だけど、黒木はへらへらと笑っていて全く効いているようには見えない。
「あんた私たち見て笑ったよね? 明らかにバカにした笑いしたじゃん? 完全に喧嘩売ってんじゃん。こっち舐めてんじゃないの?」
「舐めてるか舐めてないかで言うと、舐めてるね。もちろん、〝侮っている〟っていう意味でね」
「————ッ!」
プツンッ、という音が頭で響いた。
ガッ!
そして———気が付いたら黒木の顔面に拳を放っていた。
あ、と思った。
人を殴ってしまった。しかも公衆の面前で……これはマズい。問題になる。皆から非難される。私が悪いって皆が思っている。どうしようどうしようどうしよう。まだ黒木は手を出していなかったのに。私が先に手を出してしまった。だけど、先に馬鹿にしてきたのはあっちだ……!
しょうもない思考が無限に加速する。
「フンッ……バカにしてきたあんたの方が悪いんだから……ね」
強がり。
その言葉すら、黒木を見てしまうと止まってしまう。
彼は———全く動じていなかった。
頬に私の拳をめり込ませたまま、微動だにしていない全く体制を崩していない不動の姿勢。
一歩もその場から動くことなく二本の足で地面を踏みしめ、ジッと私を見ていた。
————ッ!
その瞳に……怯んでしまう。
「そういう理屈なら、こっちも聞くけど、安藤さん……」
黒木が低い声色で静かに言葉を紡ぐ。
「君は———
「……今その話関係なくない?」
こんな問いかけになんか、答えなくていい。
うるせえ、と言ってもう一発追加で殴ってやればいい。だけど、この黒木の瞳を見ているとどうしてもそれができない。
彼の言葉を聞かなきゃダメだと心が思ってしまう。
気圧されていた。
黒木は続ける。
「君が以前人をバカにした時、その人は君の様に君を殴りにきたか? その人は君みたいに怒りをあらわにしたか?」
「何言って……」
黒木の言っていることがまったくわからず、目を逸らす。
そこにちょうど那由多がいた。
彼女と目が合う。
あぁ……そういうことか。
あいつが、自分の彼氏に何か言ったのか。
ギリッと奥歯を噛みしめる。
あいつ———チクりやがった。
昔のイジりをいじめと言い張って、彼氏に「何とかして」と頼みやがったのだ。
ふざけるな。こっちは友達のいないあんたが寂しくないように無理やり付き合ってやってあげていたっていうのに。
これは裏切りだ。
私の優しさを踏みにじる行為だ。
「……やっぱり、
「そうだ。
何を言っているかわからないが……イラっとする。
単純にあんたが殴られて身じろぎもしなかったのは、私が女であんたが男で体格の差で動かなかっただけだろう。
ただの男女の身体の違いを偉そうに……能書きを垂れて……。
「やっぱりもう一発殴っておこうか?」
「安藤さん」
「あ⁉」
「後ろを見なよ」
こっちは頭に血が上っていると言うのに、黒木はやけに冷静だ。それが本当に腹立たしくて神経を更に逆なでにされる。
奴の言葉になんか従う必要は、ない。だが、その内容自体が気になる……「後ろを見ろ」……何かあるのか? そう言えば友達の鈴木がこいつに殴りかかる寸前、止めようとした気がする……。
鈴木のことが気になって後ろを振り向いた。
「————ッ!」
心が凍った。
鈴木は、いた。
心配そうに私を見つめていた。あわあわと手を動かしてこちらを見つめていた。
だけど———距離があった。
私からはるか遠くに離れた、ボーリング場の入り口地点。そこに鈴木、田代、宮之原はいた。二人の男子に至っては、私を見てすらいない、スマホに目を落としていた。
まるで、面倒ごとに巻き込まれたくないかのように。
友達だと思っていたのに———。
彼らは私が黒木に詰め寄った瞬間に距離を置き、他人かの様に振舞っている。
友達だと思っていたツレは私が面倒ごとを起し、自分に少しでも火の粉が当たろうというのならすぐさま切り捨てる。そんな奴らだった。
———〝薄っぺらい人間〟。
何故だか、先ほど黒木が言った言葉が頭の中で反響する。
痛い。
頭が痛い。
ぐらつく。
ふらふらと平衡感覚がなくなっていき、黒木から距離を置いてしまう。
何でこんな気分になるの? なんでさせられているの?
「————安藤さん」
女の子の声だ。懐かしい、昔よく聞いたような声。
「那由多……」
気が付けば、すぐ目の前に幼馴染と呼べる子、那由多愛が立っていた。
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