第2話 Urge

 紗英さえの欲望は収まることはなかった。だんだんと求めるスリルは過激になっていく。もっと大きなもの、もっと高いものを求めるようになった。


 ある日、紗英は昨夜から一睡もできなかった頭を押さえながら、ショッピングモールを歩いていた。昨日塾から返却された大学入試の判定は到底認められるものではなかった。


 紗英はイライラする頭を何度も振りながら獲物を品定めするためにモールに入っている店舗の前をうろついては店舗の陳列を見ていく。流行をとりいれたファッションのマネキンにもライトを受けて光輝く宝石にも心が惹かれなかった。


「違う。そうじゃない」


 紗英が欲しいのはスリルと達成感、そして他では味わえない快楽。金や高価な物が欲しいわけではない。何度もエスカレーターに乗って階を変えながら獲物を探していた紗英の足は、やはり本屋の前で止まった。


 店頭に並んだ本は紗英の目には妙に魅力的に見えた。本は所詮インクの染みをつけた紙束だ。それなのに読めば様々な魅力が溢れ、手元に置けばそれだけで少し生活が豊かになる。手に入れようと思えば紗英にも手の届くもの。そして何よりも自分が一番取り組んできた勉強の象徴だった。


 紗英の体はそう考える間にも店内へと引きずり込まれていた。


 いつものように周囲を見回す。大きなショッピングモールだけあって天井についた防犯カメラはすべて本物だった。店員もアルバイトらしいエプロンをつけた大学生くらいの若者が胸元に本を抱えて小走りに通路を通ったり、本棚の下の引き出しの中を整理したりしている。


 壁際の本棚は見上げるほど高いが、中央は紗英の首くらいの高さの低い棚ばかりで、大人の男なら店内を見渡せそうなほどだった。


 普段の紗英なら、冷静に状況を判断して店を出ていただろう。スリルとは無事に終わるからこそ価値があるのであって無謀とは似ているようで対極にあるものだ。


 ただ、今日だけは違った。


「欲しい」


 参考書のコーナーの一角で、数学の問題集を手にとる。難易度もそれほど高くない。紗英の学力からすればあまり価値のあるものではなかった。


 求めていたのは、苛立ちや焦りをぼかしてくれる快楽だけだった。


「欲しい欲しい欲しい欲しい」


 声に出していたのか、心が叫んでいたのか。紗英自身にもよくわからなかった。


 いつものトートバッグとは違う小さなバッグにすばやく参考書を押し込む。周囲に悟られないように眼球を左右に動かして周囲を見回した。誰も怪しんでいないように見える。紗英はあえてそのまま数冊の参考書をめくって中を見る振りをしてから、ゆっくりと本屋を出た。

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