そこには紙の本があった

久世 空気

そこには紙の本があった

 私はその店を見つけ驚き、思わず吹き出してしまった。書店、本屋、ブックストア、いろんな呼び方はあるが、そんなもの現代の日本には一件もないと思っていた。しかも東京に。

 私は面白半分で店の中に入ってみた。店内に背の高い本棚が並んでいるが、思いのほか明るい。入り口近くのレジカウンターにエプロンを着た中年の男性が立っていて、私を見ると「いらっしゃいませ」と声を掛けてくる。他に店員はいないようだ。それどころか客もいない。さもありなん。

 紙の本がいまだに流通していることは知っていたが、本屋が出来るほど需要があるはずがない。本はタブレットやスマホ、もしくはオーディオで楽しむものだ。紙をペラペラめくるなんて愚鈍なことを一体誰がするというのだ。

 私は近くの本棚から順に背表紙や表紙を向けて展示している本を見て歩いた。どれもこれも私の電子本棚に入っているものばかりだ。今更、紙で読みたいとも思わない。

 一つ手に取って値段を見てさらに呆れてしまった。紙の本はこんな値段が付いているのか。電子書籍ならこの半額になることもある。

 さらに物色していると辞書・辞典を見つけた。インターネットで探せば無料だし、データを買えば自分でカスタマイズも検索も出来るのに、こんな無駄なものはない。

 やれやれ、いつできた本屋か知らないが半年もしないうちに潰れるだろう。もう二度と私がこの店に来ることもない。私のタブレットにはこの本屋が所有する本以上の本が入っているのだ。まったく無用だ。

 店の端まで辿りつき、きびすを返そうとしたとき、ある本が目に入った。表紙を上に向けて並べられている本の一冊で、いわゆる帯と呼ばれる紙が巻いてあった。そこにはこう書かれていた。

『紙の本のみで販売!大絶賛の嵐!』

 なんだこれは。紙媒体でしか読めないと言うことか。そんな無謀なことをする出版社はどこなんだと奥付を見ると、知らないものはいないほど有名な出版社だ。しかも作家は今若者に人気の怪奇小説家。

 狐につままれたような気持ちで私は表紙を開いた。

 その物語の世界では生と死は逆転していた。生物は死者であり、あの世からこの世に人々は落ちていく。不思議な世界感に私は引き込まれていった。

 しかし、字が小さい。無意識に人差し指と親指でページを撫で、ページを拡大しようとしてしまった。面白いのに、これ以上は目が疲れる。出版社にクレームを入れて電子版で売ってもらおうかとも思ったが、私は良いことを思い付き、スマホを鞄から取り出した。

 カメラを起動させ、見開きを撮影する。画像にすれば拡大が出来る。少々本を開いたときの紙の盛り上がりが気になるが、店内が明るいからそれほど影にならなかった。面倒だが数ページこの方法で読み進めてみよう。そう思ったとき肩に手を置かれた。

「ちょっと、事務所に来てもらえますか?」

 振り返るとそこにはレジカウンターの中にいた男がいた。さっきは気付かなかったが店員は私より10センチ以上背が高い横にも大きな男だった。

「な、なんなんだ?」

 多少ひるんだが、別に私は何も悪いことはしていない。

「万引きしたでしょ?」

「万引き? 何のことだ? 私は何も盗っていない!」

 私が声を荒げても店員は冷静だった。

「いいえ、撮りましたよ。デジタル万引きって言うんですよ、それ」

 店員は私のスマホを指差した。

「は? ちょっと撮っただけだろ?!」

 そこに制服を着た警官がやってきた。

「店長、この人ですか?」

「はい、よろしくお願いします」

 店長はしれっとレジカウンターに戻ろうとしたから、私は彼の肩を掴んだ。その手を警官に取られ、ひねり上げられ、私は悲鳴を上げた。

「ほら、おじさん、大人しくしてね」

「おかしいだろ!」

 痛さと悔しさで私は怒鳴った。

「こんな不便な紙の本なんか売ってる方が悪いんだろ! 時代遅れの古くさい本なんて売りやがって!」

 店長は振り返ってニッと笑った。

「紙の本、今若い子に人気なんですよ? レトロでおしゃれなんですって。それに昔、紙の本を買っていた人も、最近また紙の本を読みたくなって買い集めてるようですよ。知りませんでしたか?」

 そして店長はぼそっと「老害め」と呟やいた。私は怒りが頂点に達し喚き散らかした。喚けば喚くほど、私を拘束する警官の力は強くなる。

 店の出入り口から制服を着た女の子が引きつった顔で私を見ていた。

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そこには紙の本があった 久世 空気 @kuze-kuuki

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