第3話 ミナモ-03.神託

 ひとしきり雫を零した後、少女は巫女服を乱したまま本殿へと駆けこんでいた。本殿中央には神々しい輝きを放つ銀色の女神像が微笑んでいる。両手を握り、暫く祈りを捧げていた少女は、やがてゆっくりと舞を踊り始める。


 それはサザナミ国を創ったとされる崇拝する水の女神――メルクリ様へ捧げる祈祷の舞。ミナモはサザナミ国に伝わる女神を讃える踊り、サザナミの踊り手の継承した巫女であった。静寂の中、涙なのか汗なのか、彼女の身体から飛び散る液体が本殿の床へと落ちる。巫女の衣装は汗で濡れ、うっすら果実を覆う神聖な布地が見える。

 

 しかし、彼女はそんな自身の状態に目もくれず、ただひたすら地を跳ね、音も立てずに着地する。やがて、少女の纏う清心な空気が本殿を包み、飛散した水飛沫が煌めきを放ち始める。


「母なる国を護る水の女神、メルクリ様よ。サザナミの巫女――ミナモ・ミカガミの願い、聞き届けたまえ」


 踊り終えたミナモは全身雨にでも打たれたかの状態で、必死にこいねがう。やがて、女神像の上部、天上より光が降り注ぎ、銀色の女神像が清浄な光を放ち始める。そして光は女神像の前を照らし始め、女神像と同じ姿の女神が本殿へ光臨する。


 慈愛に満ちた笑みを浮かべる女神はミナモの海色マリンブルーの髪よりも淡い水色アクアブルー。ミルク色の肌に、実った果実を覆う白い羽衣を身につけている。


「はーい、呼んだ~~? メルクリーー!」

「メ、メルクリ様! どうか兄を、兄をお救い下さいませ!」


 光臨した女神へ必死の形相で願いを告げるミナモ。真剣な表情の彼女を見た女神様は、何か只事ではない空気を感じ取る。尚、先程のメリクリならぬメルクリは、突如顕現した女神の姿を見て人間が驚かないようにメルクリが編み出した、場を和ませるための女神戯言アテナジョークだったのだが、ミナモは知る由もなかった。


「どうやら冗談を言っている場合じゃないみたいね……」

「メルクリ様お願いします! 兄を……兄を……!」

「ちょっと落ち着きなさい! 全身ずぶ濡れじゃな……そう……ミズチ・・・を舞ったのね……」


 人間の力で女神を呼び出すなど、通常考えられないのだ。サザナミの舞――ミズチは水霊すいれいと呼ばれる竜の力を借り、己の魔力を体力を大量に消費する事で女神を呼び出す、一時的に水霊の力を宿す事が出来るという祈りの舞だった。女神はかしずく少女へと近づき、彼女の頭へそっと手を添える。


「あなた、名前は?」

「第十二代サザナミの巫女――ミナモ・ミカガミです」


 ミナモの頭へ手を置いたメルクリは黙って目を閉じる。やがて、ゆっくりと頷いた女神は、ミナモへと告げる。


「そう、お兄さんが攫われたのね……」

「分かるんですか? さすが女神様です」

「あなたに伝えなくてはならないことがあるわ」


 女神はミナモへ手を添えた事で、彼女の記憶を辿ったことを伝える。そして、女魔族グロリアの事はよく知っているとも。ただし、この世界に存在する七名の女神が世界の出来事へ干渉するには、相応のルールがあり、メルクリが兄を直接助ける事は出来ないそう。


「心配しなくとも、お兄さんが殺される事はないわ」


 少なくともグロリアはミナモの兄を殺す・・事はないらしい。それはあの時、美闘姫闘技大会ディーヴァコロシアムへの出場を示唆した女魔族の言動からも窺える内容だった。


「でも、このままでは兄が何をされるか……私は兄を救いたいんです! だから……」

神託しんたくを受けたい……そういう事ね?」



 女神の神託――女神の楽園アテナワールドに住まう女神に認められた女性・・のみが受ける事の許された儀式。神託を受けたものは、女神が持つ力の一部を与えられる事で、秘められた能力が開花し、強さを得る事が出来る。


 美闘姫闘技大会ディーヴァコロシアムへ出場するためには、女神からの神託を受ける必要がある。ミナモも知っている事実だった。そして、闘技大会へ出るという事は、終わりなき戦いへ身を投じる事になるという事も。


「私は巫女として、この村を護るため、舞を引き継いで来ました。兄と一緒に魔物と何度も戦った事はあります。今回、私にはまだ、力が足りないと痛感した。眼前で攫われる兄を只々見ているだけだった。悔しかった。……だから……覚悟は出来ています」

「グロリアに攫われた時点で、お兄さんは元の姿で・・・・還って来ないかもしれない。それでもいいのね?」


「……私は……兄を助けます!」

「そう……わかったわ」


 メルクリは微笑む。ミナモの持つ舞は、自身の持つ魔力を舞により具現化・・・し、様々な意匠を引き起こす力があった。代々受け継がれた特殊な力。そして、兄を救いたいという強い意思。神託を与えるには充分な素質を持っていたのだ。


 女神に促され、立ち上がるミナモ。女神は両手を広げ、神託の儀が始まる。


「さぁ、力を抜いて。大丈夫、怖くないわ」


 優しい光が二人を包み込む。光に包まれたまま女神の白い羽衣がはだけ、そのままミナモの身体をも覆っていく。まるで吸い込まれるかのようにメルクリの身体へ吸い寄せられるミナモ。女神の両手がミナモの背中に添えられ、だんだんと二人の顔が近づいて……。


「え? メルクリ……様……んっ!?」


 女神メルクリと少女ミナモの顔が重なり、柔らかく艶やかな接吻くちづけの感触が激流のように少女の全身へと駆け巡った。


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