第2話 ミナモ-02.始まり

 それはミナモ・ミカガミにとって突然の出来事だった。


 少女は上半身は白、下半身は透き通るようなあおいスカート。清浄な空気を放つ巫女装束を身につけ、鼻歌を歌いつつ、いつものように水の女神を祀った拝殿の前で掃除をしている。


 サザナミ国の東に位置するアカツキ村。首都であるアクアクレアより少し離れた場所にある小さな村には、女神を祀る小さなやしろがあった。村の巫女として育った彼女、社の掃除は日課なのである。


「♪夢を叶える星に乗り~~ ♪あなたの前に舞い降りる~」


 途中から掃除をしているのか、踊っているのか分からない動きになる少女。くるりくるりと回転し、一曲歌い終えた彼女は箒を手に持ったまま、一人脳裏に浮かぶ映像に悶えていた。


「あぁああああああ! メルリンちゃん可愛いぃいいいい! 私、もう巫女辞めてアイドルになる! 歌姫ディーヴァになるんだぁああああ!」


 一人悶える少女の声がやしろの参道、敷地内に響く。尚、メルリンちゃんはサザナミ国で人気のアイドル、歌姫ディーヴァと呼ばれる女の子である。そんな悶える少女の様子を社の影から見守っていた者が、ひと通り少女が転がり終えたところで声をかける。


「お前がアイドルになるんだったら、俺は全力で応援するけどな」

「お、お兄ちゃん! いつからそこに……?」

「俺がいつから此処に居ないと錯覚していた?」


 白い歯を見せ笑みを浮かべる茶髪の青年はミナモの兄、カズキ・ミカガミだ。彼は首都アクアクレアからのお土産を妹ミナモへ見せる。今日の晩御飯はどうやらサーモンの塩焼きと、ホタテのバター焼きらしい。首都アクアクレアの海産物は世界的にも人気の名産だ。


「やったぁ~~ホタテだ! ありがとうお兄ちゃん」

「ハハハハ! よし、兄を崇めよ」

「はは~~お兄様~~カズキさまぁ~~」


 両手で拝む仕草をしたミナモの蒼い髪をそっと撫でるカズキ。潮風のような爽やかな香りがカズキの鼻腔をくすぐる。目を細めたミナモは子猫のように嬉しそうな表情となる。


「で、お兄ちゃん。騎士団長の従者・・募集の件はどうなったの?」

「あ~~あれか。さすがマイ様だよ。国中から我こそはと集まった猛者だらけだ。登録はして来たけど、俺みたいな小さな村出身じゃあ難しいかもしれないな」

「マイ様大人気だもんね。お兄ちゃんなら大丈夫だよ、頑張ってね!」


 兄妹でそんな会話をしていると、参拝客なのか、全身黒いローブに身を包んだ女性が、鳥居をくぐってこちらへ歩いて来ているところだった。深くフードを被っており、顔は見えない。具合が悪いのか、脚どりがおぼつかない。


「あの……すいません……」

「え? はい! 参拝ですか? なら、拝殿横の清めの水で穢れを落としたあと拝殿へ……」

「いえ、そうではなくて……」


 声からして女性のようだが、全身の震えを押さえている様子。黒い手袋をした手の震えを止めた後、女性はミナモの横に立っていたカズキへと声をかけた。


「あの……カズキ・ミカガミさんですか?」

「え? 俺!? はい、そうですが、俺に何か御用ですか?」

「…………が……欲……い」

「え?」


 震える声はあまりにか細く聞き取れなかったため、カズキが聞き返す。やがて、歯と歯がぶつかる音が小刻みにリズムを刻み、手の震えが激しくなる女性。明らかに様子がおかしい。ミナモが大丈夫ですかと声をかけようとしたその時、女性が大声をあげ、覆っていたローブを脱ぎ捨てた!


「お前が……欲しい!」


 血を失ったかのような青い体躯。黒光りする防具は胸と腰の部分のみを覆っている。赤紫色の髪は腰まで伸び、赤い虹彩と黒い瞳孔は爬虫類のような双眸そうぼう。口元に鋭い牙を光らせた女性は、誰が見ても人間ではなかった。


「お前……魔族か!?」

「そうよ? ワタクシは誇り高き魔族。残念だけど、あまり話している時間はないの。ここの空気、嫌いなのよね。結界を破るだけでもひと苦労。長時間此処に居ると正気を保てなくなってしまうわ」


 この世界には、魔族や魔物と呼ばれる物が存在する。衝動のまま、破壊と殺戮を繰り返すもの。己の欲を満たすため、人間の国へと紛れ込むもの。しかし、女神を祀るこの社には、魔を寄せ付けないよう、常時結界が張られているのだ。その結界を意図も簡単に打ち破り、中へ入って来た時点で、この女は普通の魔族ではない事になる。


 手袋をゆっくりと取ると、女の青い両腕が露わになる。両腕には血管のように浮き出ている黒い紋様。そして、女が右手を翳した瞬間、ミナモが放たれた何かに吹き飛ばされてしまう。


「きゃぁっ!」

「ミナモ!」


 ミナモの傍へ駆け寄ろうとするカズキだったが、女が翳した右掌みぎてを閉じた瞬間、両脚が地面へ張り付いたかのように動かなくなるカズキ。女は愉悦に満ちた表情で舌なめずりをする。


「フフフフフ、お前、マイの従者になりたいのよね? 喜びなさい。ワタクシが直々に迎えに来てあげたの。さぁ、ワタクシの従者しもべとしてこちらへいらっしゃい♡」

「くそっ……脚が……!?」


 無理矢理女の方を向かされるカズキ。全身を押し潰すかの重圧に耐えながら、カズキは動く腕で腰に携えていた剣を引き抜く。


「あら……その状態でどうやってワタクシに楯突く気?」

「お前、マイ様を知っているのか?」


 サザナミ国の宮廷騎士団、騎士団長・・・・であるマイ・ストラーヴァ。彼女は世界的にも有名な存在ではあるが、騎士団長の名を呼び捨てにした時点で、この魔族、何か因縁があるのではないかとカズキは悟る。


「忘れる訳がないわ。昨年の準決勝、美闘姫闘技大会ディーヴァコロシアムでワタクシを負かした女。今年こそワタクシがあの女の鎧を剥ぎ取り、なぶり、蹂躙じゅうりんしてやるのよ」

「……あんた! グロリア・ルイン・リリスか!」


 女神の楽園アテナワールドへ全世界中継される美闘姫闘技大会ディーヴァコロシアム。ミナモもカズキもその中継を見ていた。昨年の準決勝、闇の力でマイを追い込んだ女魔族、それがグロリア・ルイン・リリスだった。そんな世界ナンバースリーの女がなぜ此処に居るのか? なぜカズキを狙うのか? 兄妹の脳裏に疑問が浮かぶ。


「そんなこと、どうだっていいわ。さぁ、大人しくワタクシと一緒に来なさい。心配しなくてもいいわ、ワタクシがお前に、最高の快楽を教えてアゲルから」


 この時、グロリアへ向けて何かが放たれた。腕から放つ見えない魔力・・の波動により、何かを防ぐも、水飛沫と共に放たれた何かによって、グロリアの頬に僅かな傷がつき、紫色の液体が滲み出た。


「サザナミの舞――五月雨サミダレ!」


 遠くに飛ばされていた筈の少女が、を持ったまま回転し、箒を返す度、細い針のような何かが放たれていた。それは、周囲の水蒸気を自身の持つ魔力で刃へと変えた舞による攻撃。思わぬ伏兵からの攻撃により、頬についた傷。グロリアがキレるには充分だった。


「よくも……ワタクシに……傷をつけたわね!」

「妹は……傷つけさせない!」


 グロリアの腕を斬り落とさんとカズキが剣を振り下ろす! 怒りにより気が逸れたのか、両脚の呪縛が解けていたのだ。女神を讃え、祈りを捧げるを受け継いだ妹と、危険な存在から巫女を護るため・・・・、日々鍛錬を重ねていた兄。この兄妹もまた、普通の村人とは少し違った人生を送っていたのだ。


「そんな剣で、何をするつもり?」

「刃が……通らない!?」


 防具をつけていない腕に、刃が通らない。魔力で覆っているのか、鋼鉄のように硬い皮膚。右腕に突き立てられていた刃を左手で掴み、グロリアが力を入れた瞬間、剣はあっけなく折れてしまう。そのまま波動により吹き飛ばされるカズキ。


「ぐはっ!」

「女神の神託を受けたワタクシには、同じ神託を受けた者でないと、傷ひとつつけられないわよ?」


「サザナミの舞――五月雨サミダレ!」

「五月蠅い羽虫ね!」


 見えない波動は五月雨による水の刃を吹き飛ばし、ミナモの身体は宙を舞う。地面へ叩きつけられた少女は、再び身体を縛られ、上半身を持ち上げられた兄を見つめる。


(お兄ちゃん……お兄ちゃん……助けなきゃ……!)


「くっ……離せ……!」

「すぐに楽にしてあげる♡」


 カズキの頸元くびもとへと突き立てられる女魔族グロリアの牙。全身に熱い何かが駆け巡った後、彼はそのまま気を失ってしまう。カズキを肩に担いだ状態で、必死に抗おうとする妹へ声をかける。爬虫類の双眸を細めた女は、笑みを浮かべる。


「へぇ……その魂……どうやらあなたは素質・・があるようね。此処でただ芽を摘み取っても面白くない。もし兄を助けたいなら、美闘姫闘技大会ディーヴァコロシアムへ出場するといいわ。ワタクシは逃げも隠れもしない。ワタクシが全世界へ中継される中、あなたをなぶってあげるから♡」

 

(ま、出場すら出来ないのなら、それまでだけど♡)


 刹那、何もない空間に漆黒の渦が出現し、兄を担いだまま中へ入っていく女魔族。


「ま、待て! グロリア!」

 

 フフフフフ……アハハハハハハ――――


 女魔族の高嗤いだけが響き渡り、やがて誰も居なくなった社に静寂が訪れる。


「そんな……お兄ちゃぁああああん!」


 白い石畳が少女の涙に濡れる。

 少女の運命の歯車は、此処から動き出したのである。

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