52. 蜂蜜とチーズをくれたら考えてやる

 無数の手。

 たくさんのお婆さんがお互いにしがみついてできた、頭のない猿の腕。その太い腕を形作るお婆さんひとりひとりの手が伸びて、腕、脚、髪、服の全部を、ぐいっと掴んで。いやです。人間がどんなに必死に走ったって、猿の一歩にかないません。ルルビッケの足がどんなに速くても、逃げられなくて、捕まって、振りほどけずに泣いていて。

 泣いていて。


 ぐすっ。


 泣いているのはあたしです。

 としたお婆さんの群れに、腕、脚、髪、服の全部を掴まれたのはあたしです。

 力じゃ勝てない、言葉も通じないたくさんの手に押さえられ、引っ張られ、のしかかられ、閉じ込められたのはあたしです。

 ルルビッケがあんな目にあうなんて嫌です。ルルビッケが泣くなんてダメです。

 なのにどうしてあんなことを考えてしまったんですか? どうしてそんなことを想像したいんですか?

 シーツを頭までかぶって、ぐすぐすして、でも暑くて脚を外に出した頃、ほっぺたにさらさらしたうろこが触れました。

「だいじょうぶです……」

 同室人ルームメイトを起こさないようにささやくと、あたしのへびは寝巻きに潜ってきました。

 なめらかでさらりとしたへびの身体があたしの身体をすべっていきます。

 怖がるシュシュをあたしが撫でるみたいに、あたしをシュシュが撫でていきます。

 でもそのうち、あたしはむずむずして、頭はふわふわして、肌にぞくぞくと鳥肌がたって、お腹の底がきゅってなって。

「だめ、シュシュ」

「シュじんー?」

 襟元から頭を出したあたしのへびに、なんて言ったらいいかわかりませんでした。

「――ごめんね。あたし少しおかしいみたいです。きっと、きっと寝たら大丈夫ですよ」

 ぽやぽやする頭で答えます。

 エンリッキおじさんのお薬の話なんてして、魔女呼びの再現実験するなんて言われて、それでおかしいんですよ、きっと。

 ルルビッケは嫌なこととか面倒くさいことがあっても「寝て起きれば平気」ってよく言っていますし、あたしだって寝て起きたらきっとへっちゃらです。



「エーラ熱ある!」



 だめでした。

 


 *  *  *



「これ脇の下に挟んでじっとして。あ、魔力の呼吸はダメね。水銀が反応しちゃうから」

「あの……寮長さん……これ、なんですか……?」

「体温計見たことない?」寮長さんが丸い目をまん丸にして、丸っこい指が砂時計をひっくり返しました。「ともかく先っぽを脇の下にはさんで。そう。砂が落ちきるまでじっとしてなさい」

 しゃべると頭がズキンズキンするので、そっと頷きます。いたい。

「シュじんー。シュじんー。シュじんがとてモあつイ。シュシュはどうすればイー?」

 舌をさかんにひらめかせ、枕元でおろおろ首を振るへびを安心させたいんですが、しゃべろうとしたらざらざらとした咳がでました。

「はい、たんつぼ。ここに『ペっ』しなさいな」ってベッド下に置いてもらったホウロウの壺にぶよぶよした痰をぺっします。

「シュじんー……」

「だいじょうぶで、だいじょうぶふっ! けふっ!」

 咳。痰。ぺっ。

 咳をするたび、頭がキンキンします。

 同室人ルームメイトにうつしたらいけませんから、病気のときは養護室で過ごさなくちゃいけません。入るのも初めてな部屋の慣れないベッドの上、なんだか変な感じです。白茶けた砂が落ちていくのを見ています。

「使い魔くんは、しずかにしてあげなさい。それが一番助けになるからね」

 離れた机のところから寮長さんが声をかけて来て、シュシュがしゅんとなりました。かわいそうな気もしますが、助かるのも本当です。

「ありがと……シュシュ」


「調子が悪くなったのはいつから?」

今朝げさです」

 喉がひゅうひゅうピリピリします。喋るのつらい。

 朝起きれなくて、着替えにもたもたして、「エーラはやくー」って急かすルルビッケに「待ってよぅ」って応えたら声がざらざらでした。

 それで、驚いたルルビッケにおでこを触られて「熱ある!」ってなって。

 中庭で訓練してる気配があります。そろそろ走るのが終わって、操体操そうたいそうが始まる頃でしょうか。

「寮長さん……」

「サンチッテでいいって。どうしたの?」

砂時計すなどげい、終わりました」

「あほんと」

 脇に挟んでいたガラス棒を渡したら「あらあら」って急に声の調子が落ちました。

「ワルいのカ!? ワルいのカ!」

「あー、えっとねー。九度近いや。あとで寮母さんに氷を分けてもらおう」

 ガラス棒をひゅんひゅん振って、サンチッテさんが言います。シュシュも首をひゅんひゅんしてます。ってなんでしょう……って思っていたら、足音が近づいてきました。



「サンチッテごめんね、ありがとう。エーラちゃん大丈夫?」

 ペルメルメさんです。さらさらの黒髪をくるくるまとめて、大きなクリップで留めてます。

「いーよいーよ」ってサンチッテさんが笑いました。「寮母さん不在で困ってたからね。通りがかってよかったよお」

 そうなんです。ルルビッケが「寮母さんは……えっとえっと厨房!」って言ったあたりでサンチッテさんがやってきたんです。

 あたしも起きようとしましたが、ちょっと動こうとすると頭がズキンズキンしますし、身体がふにゃふにゃで言う事ききません。

「だめだよ。寝てなさい」

「昨日まで元気だったんですよぅ」

「こういう日もあるよ」

 ペルメルメさんは困ったように眉を下げ、サンチッテさんがあたしの容態を伝えました。

「そう。お熱高いね。調査部への連絡はイアナにお願いしておくから休んで。今日の学科はどれだか覚えてるかな?」

常態学じょうたいがく初級しょぎゅう、です」

「わかった。それもお休みしなね。あとは、そうだねえ……」

 ペルメルメさんの黒い瞳が開きました。ふっと、なにか胸の中を撫でられるような感じがありました。

「おいでませ、炎呼シャーマフラーマ

 とたんに、顔がかっと熱くなって、その熱がすぽんと鼻から抜けます。

「さっすがペルメル、上手だねえ」

 ってサンチッテさんの声が聞こえます。シュシュが首を持ち上げて、あたしの目の前というか、顔の上を見ています。

 ペルメルメさんの呼んだモノが出ているはずで、あたしも見てやろうとしたんです。でも魔力視がうまく開きません。魔力どころか景色がぐにゃんぐにゃん曲がって見えて……きもちわるい。

「シュじん、あつクて、マるいのあル」

「まるいの……」

 おえっ。


 ぺっ。


「シュじんー!」


 喉の奥酸っぱい……歯がキシキシする……やるんじゃなかった……。


「はいお水」

 サンチッテさんが背中を、ペルメルメさんがコップを支えてくれて、ちびちび頑張って飲みます。左手でシュシュをもみます。

「どうだったペルメル?」

「蜂蜜とチーズをくれたら考えてやるって」

「なかなか言うねえ。厨房にあるかな」

 と先輩のお二方がおっしゃっています。

 炎呼シャーマフラーマ。生き物の体内にある炎に関わるモノ。ペルメルメさんが、あたしの炎呼と交渉した結果、蜂蜜とチーズを食べさせろということらしくて。つまりそれは、あたしがそれを食べると言うことで。

「吐いちゃってたけど、エーラちゃん食欲ありそう?」

「ありまぐほっ!」


 咳。痰。ぺっ。


「あります……!」

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