47. なにかひとつ、あたしのものになったら
お店はキャナードのお母さんがやっていて、週末はたまに店番をするんだそうです。
「で、何買うんだよ?」
ってぶっきらぼうに言われたのが
お店の真ん中に長方形の陳列台があって、太さも色も様々な糸玉や、芯に巻かれた向こうが透けそうな生地や、さらさらのリボンが籠に入った虹のように並んでいました。天井から吊り下がる魔力燈の白い光に、糸もリボンもどこか浮き上がって見えます。
壁沿いには、小さな引き出しをびっちり備えたタンスがありました。引き出しは前板が丸っこくくり抜かれ、薄いガラス越しにいろんな色のつやつやの糸、糸、糸、いといといといと。この引き出しは引き出してもいいんでしょうか……? ガラス割れちゃったりしないでしょうか……? それに、高い所は背伸びしても見えそうにありません。
「ん」
急に近くで声がして、びっくりして振り向くとキャナードがぶっきらぼうに指さしていました。その方向に
「……どうも」
「なに探してんだよ」
「キャナードには関係ないです」
「言えば出すけど」
「関係ないです」
「会計するのぼくだよ?」
「それでも関係ないんです」
「無理ある」
ですよね!
げんこつを振ってみても、答えは転がり出てきません。
ぶっきらぼうなキャナードの顔に、勝ち誇ったような笑みが浮かびあがってきて「ぷっ」て笑われました。
それでなんだかあたしは、もういいやって思いました。負けです負け負け。あたしの負けです。探してるのはですね、
「しゅしゅう糸」
もう本当にダメですね。
* * *
でっかい
中には小さな白い、ふわっとした糸の束。
「白を、
黒い紙の帯が巻かれて、街で見たドレスみたいにふわっと広がる、真っ白で眩しい糸の束。
「きいてる?」
「あ、はい。えっと……かせってなんですか?」
「糸の、ひとまとまり」
「じゃあ、そのぅ、ひとかせです」
「六十五キュイーバ」
あ、ほんとにお安い、かも。
「店のこと、誰に聞いたの?」
「スーリです」
「ああ、ショヴさんか。何度か来てくれたことある」
かばんに手を入れて、シュシュを軽くにぎにぎして、お金の
どれだけ欲しいのかお手紙には書いてありませんでしたし、どれだけ使うのかもよくわからないですし、お金に余裕はありませんし。
でも、このふわふわした糸束の、たくさんの色がお部屋にあったらどうでしょう。刺繍はできませんし、したいわけでもないんですけど、たくさんの色の、きれいな糸。きれいな、知らない名前の布。何に使うのかよくわからない
「他の色は買わないの?」って言うキャナードを、でっかい青灰色のレジスターががしょんがしょん音を立てて隠しています。
ぶきーん。
「おつり」
差し出したあたしの手にお釣りを乗せようとして、一瞬止まるキャナードの手。ずいぶんと指が長くて、思ったより厚みがあります。
キャナードがわざわざ「ん」っていい直して、ぽとりと渡された二枚のコイン。
白い二十五キュイーバ硬貨と赤茶けた十キュイーバ。二十五は甘めで、十は苦くてピリピリしたなって思い出しました。空気のあじではなく、コインのあじ。
コインの味見のあと、お母さんに怒られました。汚いでしょう。そんなもの口にいれるんじゃありません。飲み込んだらどうするの。
でも、だって、きらきらしていて、ひんやりしていて、美味しそうだったんですよ。
コインと思い出を巾着にしまっていたら、キャナードが急に聞いてきました。
「パコヘータちゃんってさぁ、誕生日いつ?」
はい?
「なんでそんなこと聞くんですか?」
「教えたくないならいい」
「そんなこと言ってない! 九月四日です。なんなんですか」
「オマケがあるんだよ、うちの店。誕生月の人に。端切れとかだけど、レースやサテン織のリボンなんかもあったりするんだ。興味あったら、来なよ。買うのがボタン一個とかでもいいんだ」
どうして急にそんなこと言い出したんでしょうか。そんなことを気にしているうちに他のお客さんがやってきて、あたしは行くとも行かないとも言わずにお店を出ました。
そういうふうにして買った刺繍糸なんですよ、ということを、あたしはお母さんに話しませんでした。
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