43. あなたの命をもてあそんで

 鞄を探しに行った火曜日。


 初めての残業で、慣れない魔法をたくさん使って、さらにぐすぐすと泣きじゃくったあたしは、リンゴ芋のガレットに、東方ナスとセロリのスープをあっという間に食べ終えて、とたんに寝そうになりました。

 夕食がとってあったのは、イアナさんからペルメルメさん、ペルメルメさんから厨房の係の人へと連絡が行っていたからで、イアナさんの言っていたことがじんじん響きます。


 あたしには、見えてなかった人がたくさんたくさんいる。


 ペルメルメさんが持ってきてくれたお茶をのみながら、あたしは自分のぬのかばんから、拾い集めた小物を出して、アコーニに確認をとってもらいました。


 ハンカチ、シュエットの干し肉の袋、塩の入れ物、眠気覚ましの飴玉の袋、あたしには読めない、たぶん南方古語の本。どれも、傷ついたり汚れたりしていました。


 万年筆だとか、薬の小瓶だとか、小さくて売りやすい物が無くなっていました。

 受験票はしっかりした封筒に入っていたそうです。だから、お金か何かだと思われたのかもしれないって、アコーニは言いました。

 路地の空気には色もあじも、ほんの少しだけ残っていて、それを追いかけられていたら、見つけられたんじゃないか、って思わずにはいられません。でも、木っ端につまずいたあたしは魔法を逃がしてしまって、もう一度引き出そうとしてうまくいかなくて、プントさんに止められて、あきらめたんです。


 受験票の再発行は、昼間に申請したそうです。最短で二週間。試験は月末。

 きわどいですし、お役所の仕事って最短で終わるんでしょうか。

「そうしたら、また、来年に受けるだけ。……いいの」

 ぽそぽそ話すアコーニの右頬は、紫色に腫れたままです。

 視線は膝に置いた鞄に落ちて、右手の親指が肩ベルトの細かな傷をなぞっていました。

「この鞄、私がシュエットに出会った時から、使っているの。十三歳で寮に入って、すぐの頃に、スーリと一緒に買いに行ったの。スーリのステッキって、イコがぶら下がって休むでしょ? 私、あれ、いいなって思ってたの。だから、シュエットがとまれそうだって思って、これにしたの。戻って来て、ほんとうに……うれしいの」

 鞄に落とされていたアコーニの目が上がって、あたしと合いました。まばらに灯る魔力燈の白い光が、緑の瞳に揺れていて、あたしはどぎまぎしました。

「このお礼は、必ず、するね」

 と言われたあたしは、どんなふうに受け取っていいのかわからなかったんです。それで、プントさんの真似をしたのでした。

「し、仕事でやった、ことですよ」




 ――ここまで話して、あたしは一息つきました。

 話を聞いていたの瞳がゆっくり瞬きをして、もしゃもしゃ頭のあたしの同室人ルームメイトはゆっくり息を吐いて、静かに言いました。

「エーラ、かっこいいよ」

 こんなふうに静かに何かをいうのを、初めて聞きました。

「そんなこと……ないです」

 すごく照れくさいです。

「あるよ。ほら、いっぱい食べておっきくなりな?」

 勧められるままに、お土産の甘李ミラベルにかぶりつきました。

 歯が皮をぷちりと破って、さくりとした果肉の食感の後に控えめな甘さが舌に乗り、涼し気な香りがします。初めての味、初めての香り。

 空気のあじを舌の上でもろもろと崩しながら、あたしは水曜日の事を思いました。



 鞄を見つけた翌日です。



「私が、あなたたちにしたこと、本当にごめんなさい。とても、恥ずかしく思ってる」



 第二緯糸大よこいとおお沿いにある小さな公園のベンチに腰掛け、深呼吸をしてから、アコーニはそう切り出しました。


 あたしとアコーニとで、けいさんのところに行った帰りでした。報告が終わったら、そのまま寮に戻っていい事になっていて、時間にはだいぶ余裕がありました。

 それで、あたしもアコーニも、どちらともなく、落ち着いて話せる場所を目で探していたんです。

 シュエットは木の上に飛び上がり、シュシュはあたしの隣でじっとしていました。

 平日の昼間で、あまり人通りもなくて、のどかな街の午後でした。


「あなたが言った通り、私はあなたに、直接話さなくちゃいけなかったの。それでケンカになったり、気まずくなったりしたかもしれない。でも、だからって釘蛇の呪いを使った私は、臆病で、ずるくて、恥知らずだった」

 

 半身になって、左隣のアコーニがゆっくり話すのを、あたしは聞いていました。


「私が失敗した呪いをあなたが解いてくれたのに、私はまだ怖がって、ずっと先延ばしにして、今の今まで遅くなってしまったことも、本当にごめんなさい。蛇くん――シュシュくんにも、ひどい事をして本当にごめんなさい」


「ゆるさなイー」


 草笛のような声で、あたしのへびは言いました。

「シぬところだった。シュシュは、シぬところだった。シュシュ、怒らないだケ。アコーニあぶなくない、わかっタ。シュじん、仲良くしたい、わかっタ。でもシュシュはイタかった。コワかった。たべテもたべテもお腹がすいタ。どコにもイけなかった。シュシュはアコーニのしたこと、ゆるさなイ。ゆるせなイ」

「シュシュ、そんなこと……言わないで……」

 頭が真っ白になりました。たしかにシュシュは怒っていませんでした。でも、言うことははっきりしていました。

 許さないという気持ちが、あたしの心にとても深く刺さりました。あたしへの気持ちじゃないのに、針金で胸を絞られるような痛みでした。


「ごめんなさい……」


 悲痛な声が左隣から聞こえました。

「無理やり捕まえて来て、ごめんなさい。尻尾に釘を打ってごめんなさい。暗い箱に閉じ込めて、飢えさせて、ごめんなさい。あなたの……」

 なにかを考えるような間があって、アコーニがベンチを降り、ひざまずきました。

「やめて、アコーニ。やめてくださいっ……!」

 あたしはあわててベンチを降り、アコーニを立たせようとしました。

 なんで。そんな。そこまで。そんなふうに思っていました。

 でもアコーニはかたくなで、あたしの力ではどうにもなりませんでした。


 シュエットが木から舞い降りて来て、アコーニの隣に立ちました。

 アコーニはあたしのへびを見つめて、喉の奥から言いました。


「あなたの命をもてあそんで、ほんとうにごめんなさい」

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