42. 戸惑いがちに、でも強く

「起きろパコヘータ」


 気がついたら女子寮でした。

 夏の虫がじいじいころころちょんちょんと鳴く中に、ふわふわあたしは馬車を降り、しれっと口元をぬぐいました。

「よだれか?」

「あせです」

 ウソです。

「あの、今日はありがとうございました」

「仕事だ仕事」

 よせよせと手を振るプントさんと、ぐうすか寝ているキャナードを乗せた客車のカンテラが、だんだんと遠ざかっていきます。

 あたしは裏に回り、勝手口の脇に下がる細い鎖をゆっくり引きました。

 石の塀で見えないんですが、鎖はおんぼろ屋根の小道を伝って、六パソほど離れた寮の母屋に入ります。そこが寮母さんのお部屋なんです。

 中から漏れ聞こえるベルの音を聞きながら、あたしはごそごそと自分の鞄から蝋引きの書類挟みフォルダーを引っ張り出しました。

 寮母さんが出てきたみたいです。足音に続いて、勝手口の覗き窓がと開きました。覗き窓を見上げて言います。

「エーラ・パコヘータです。調査部です。これが、えっと、室長に書いてもらったので……」

 あたしの手と同じぐらいの大きさの紙を、覗き窓から差し入れて待ちます。

 の外される音がして、「はいはい、お疲れさまでした」と寮母さんが扉を開けてくれました。

 ぺこりと頭を下げ、夏草のしげる西棟の裏をぐるっ、と正門まで回って中庭へ向かいました。寮母さんのお部屋を抜ければ近いんですが、大雨でもなければ通してくれないそうです。

 

 中庭から見上げれば、寮の窓にはまだ魔力燈の白い明かりが漏れていて、あたしは中央棟に目を向けました。二階の真ん中あたりの、明かりのついていない部屋。あたしとルルビッケの部屋。その右上の部屋。アコーニとペルメルメさんの部屋。低い声、ぼほう!


 シュエット!?


 庭のスズカケの樹を見上げました。暗い木に紛れたミミズクなんて見つけられっこないんですが、かろうじて橙色の目玉がわかりました。

 夜の鳥が枝を蹴り、飛んでいきます。あたしの部屋の右上へ。そこのカーテンが開いて、人影が見えて、窓が開いて。

 


 あたしは胸に抱えていた鞄を、まっすぐ、窓に向かって掲げました。  



 *  *  *



 ゆっくり階段を昇ります。

 駆け上がったりしたら、抱えた鞄が急に壊れたりしないかって、へんな不安がありました。

 大勢が毎日昇り降りして真ん中が白っぽくなった踏み板を、いちまいいちまい確かめるように昇っていきます。


 鞄の中身探しを終わりにした時、キャナードは不機嫌そうに言いました。

 ――パ、パっ、パコヘータちゃん、よくやったんじゃないかな。


 プントさんはぶっきらぼうに言いました。

 ――堂々としとけ。当初の目的は達成してんだからな。


 それでもあたしは、アコーニはがっかりするんじゃないかってひやひやしてました。

 スーリが頭を抱えてうめいた姿が浮かびました。いっぱい助けてくれたスーリに喜んでもらいたい、そんなことも思ってました。

 スーリはアコーニの事が大好きで、あたしはスーリのことも好きで。


 窓に向かって鞄を掲げた時も、胸に冷たくて細い針が刺さっているような痛みがありました。


 だって、あたしはあきらめたんです。


「エーラ」


 見上げると、二階のところにアコーニが立っていました。踊り場まで、ゆっくりと降りてきます。

 ぽかんとしている、みたいに見えました。迷子になったあたしを見つけた時のお母さんに似ていました。

 そんな時、決まってあたしは叱られたから、その事を思い出してしまいました。

「あっ、あの、あたし、探したんです。頑張って。スーリも、すごく心配してて、どうしても、中身、大学のを、見つけたくて、なのに、あたしの魔法じゃ見つけられなくて、それで……」

 アコーニがすぐそばまで来て、あたしの差し出した鞄を左手で受け取って、その手があたしの背中に回って、真新しい包帯の右手も回って、襟ぐりから覗くシュシュごと、戸惑いがちに、でも強く抱きすくめられて、耳元で声がしました。


「……わからないの。なんてお礼を言ったら、いいの?」


 そしたら、あたしの身体に魔法みたいな熱が。肌からも、骨からも、染み出すような熱が。

 気持ちが身体を置いて行ってしまって、手の置きどころを見つける前に、アコーニの腕が緩んで身体が離れました。その緑の目がうるんでいてました。あたしは

「見つけたかったんです! でも! でも! だめだったんです! がんばれてれば、わからないのに、あき、あき、あたしあきらめて! 最後までがんばれなくて……!」

 その後は、だめでした。ひぐひぐした声を漏らすしかできませんでした。もう前はぼやけてぼやけて、まともに見られませんでした。


「そんなこと、ない。そんなことないの!」


 アコーニに頭を抱えられて、その肩におでこをつけて、遅れてやってきたペルメルメさんが「お茶いれるわよ。お腹、空いてるんじゃない?」って言うまで、あたしは、あたしたちは、ぐずぐずと泣いていました。

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