39. 学科は? どうするの?

 ゴミ溜め? って誰かの呟きが聞こえました。

 キャナードが口を強く閉じました。奥歯を噛む音が聞こえてきそうでした。泣きそうな顔にも見えました。はしばみ色の目が大きく開いていました。


「ゴミ溜めって、なんだよ。におうのぼくだってわかってるよ」

 頭がっと冷えました。

「違うんです、そんなつもりじゃ」

「外回りしないくせにさ!」

 びくっ、と首がすくみました。シュシュが首をぎゅっとめました。事務室が、しん、となりました。

「キャナード、事務室ででかい声出すな」

 プントさんがあっちの席から注意してきます。

 あたしは縮こまったまま、それでも目だけはキャナードを見上げました。

「ごめんなさい。あたし、ほんとうに、そんなつもりじゃなくて……あのぅ……どこで転んだのか、聞いてもいいですか……?」

「聞いてどうすんのさ? もう幽霊はいないのに」

「匂いがしたんです。鞄の。キャナードの背中から。きっと、転んだところに、鞄もあるはずで、それで、探しに行かなきゃって」

 ここまで言って、あたしは室長に呼ばれたのでした。



 *  *  *



 お仕事の時間が終わって、夏はまだ夕暮れにすらなっていなくて、あたしは協会の正面玄関で歩道の小石に目を落としていました。

 春に、ここで、お母さんと一緒にいて、その時に見ていたのと同じ小石かもしれません。


 室長は言いました。


 ――今日の業務後に探しに行くつもりかね?


 はい。


 ――学科は? どうするの?


 それは……ええと 


 ――ここの管理職はだね、学科のある寮生や研修生を、それに間に合うように帰すよう言われてるんだな。


 はい……。


 ――逆の話するとね、学科をサボろうとしているのを見過ごすわけにもいかないんだこれが。


 あの、でも、室長―― 



「あなた、ペルメルメの立場とか苦労とか、考えたことあるの?」


 声に顔をあげると、今朝あたしに「よくやるね」って言ってきた調査部の同僚でした。あたしが答えるのを待たずに、こう続きました。

「アコーニが寮内で問題起こしたばっかなのに、今度はあなたが学科をサボったらどうなるのかとかさ、班長の事だって少しは考えなよ」

 言い返せませんでした。ペルメルメさんの事を考えてなかったのは、本当だったからです。そしてこの人に引け目を感じていたからです。あたしはまた歩道の小石に目を落として言いました。

「すみませんイアナさん。ありがとうございました。連絡よろしくお願いします」

「はいはい。ちゃんと教官には書面出しとくから」

 って他人事みたいに言って、イアナさんは使い魔の白山羊チェブリーさんと帰っていきました。



 室長は言ったんです。


 ――まあ聞きなよパコヘータくん。仕事をする上で、手続きや書類っていうのはとても大切な事だ。そろそろわかってきただろ?


 はい。


 ――ところで、ミネーリさんの鞄はただのくし物ではなく、ひったくりという犯罪の証拠品でもある。協会としてもけい部の調査には協力を惜しまないわけだけど、その鞄の捜索に理由が何かあるんならば、僕としても考えなくはない。


 ええと、ええと――


 室長は何かをあたしに言わせたがっていて、それがどんな内容なのかはっきり形にできずにいたら、面倒くさそうな声がしました。

「あなた、使い魔の魔法でにおいを嗅ぎ分けるって聞いたけど?」

 イアナさんでした。空気のあじのこと、なんで知っているんでしょうか。

「そんな目しないでもらえる? 私、班長会議でスーリやペルメルメともよく話すの。それにあなた、さっきそこでキャナードくんを嗅いでたじゃない。あとは自分で説明したら?」


 ……あたしは――


 盗まれた鞄の匂いを覚えています。


「なんだ、中の日陰で待ってりゃよかったのに」

 プントさんが正面玄関から出てきました。むすっと不機嫌なキャナードも一緒です。

「じゃキャナード。今日の復習だと思って案内してやれ」

 


 *  *  *



「ここだよ」


 連れてこられたのは、パラディッソ通り沿いの路地裏でした。

 夏も夕暮れになって、表通りにはどこか浮ついて、そして粘り気のある空気が漂っていました。道を行く人を、客か、敵か、カモかと見定めるような視線が追いかけてきます。

 きゃあきゃあとはしゃぐ女の人の声が路地裏にも入り込んで来て、あれはお仕事用の声かな、って思いました。寂しくなる声です。

「君らお子様には刺激のつよい界隈だな」

 ってプントさんがにやにやしてましたが、マートル裏よりはきれいですし、驚くほどではなかったです。


 連れてこられたところは木箱に蓋がついた本当のゴミ溜めではなく、表通りから投げ込まれたゴミが溜まったところ、という感じでした。

 まるまる太った鼠が、あたしたちに驚いて逃げていきます。


 平たく散らばるゴミを眺めても、アコーニの鞄らしいものは見えません。


「転んだ時、鞄ってありましたか?」

 きいてみましたが、キャナードもプントさんも、プントさんの蝶々パピも、みんな幽霊対応に必死だったんで覚えてないという事でした。

 路地の奥から手前までみんなで見回りましたが、鞄はありません。


「お疲れお疲れ。こりゃ、見つからなかったってことで調査終了かな」

 プントさんが肩をすくめて言いました。でも、ここから戻ってきたキャナードの背中にだって空気のあじは残っていました。

 目で見えなくても、空気のあじは残ります。


「ごめんなさい。もう少しだけやらせてください」


 この路地裏全体で、いちばん鼻につくのはカビの臭い。そこにおシモとか腐敗の臭いがどこかから混ざってきてる感じです。胃の入口がきゅっとなるこの臭いに隠れて、きっと鞄の匂いがあるはず。

 シュシュを隠してもらった時に感じた、空気のあじがあるはず。

 それを追いかけていけば、きっと見つかるはず。


 魔力視を開きます。魔法の呼吸をします。そこかしこにモノの姿が見え隠れします。

 背骨のつながりを辿って、使い魔の意識に触れます。

 あたしの右腕にぎゅっと巻きついたへびから、応答が帰ってきました。

 力を貸してください、シュシュ。


 あたしは舌を出しました。

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