37. なにか他に連絡することは?

「……ちょっと湯浴ゆあびしてくる」

 スーリが石でも飲んだような声で立ち上がり、あたしは自分の部屋に帰されました。


 ぼんやり眠いけれど、寝る気にはなれなくて。魔法の練習をしようにも、ぜんぜん集中できなくて。それならと学科の本を開いてみても、中身はぜんぜん頭に入って来なくて。

 そのうち机でうつらうつらしていたら、外から聞こえてきたんです。


 アコーニ!


 スーリの大きな声。必死な声。


 あたしは椅子にすねをぶつけながら窓に飛びつきました。

 痛いのガマンして中庭を覗いて、まずシャモーが見えました。とこ夜火よびに照らされて、ぽっかり金色に浮かび上がるラクダ。ラクダにもたれて一息ついている、小麦色のペルメルメさん。

 その手前に、真っ黒な髪と真っ白な髪のふたり。

 黒が白に抱きつきました。頭をかじりそうな勢いでした。

 あたしは部屋を飛び出し「シュじんーー!」慌てて戻ってベッドからシュシュを巻き取り、中庭へ急ぎました。


 中庭にはジケも来てました。

 あたしが何か声をあげてしまうよりも早く、しーっ、てペルメルメさんが止めてきます。

 スーリがアコーニの首にしがみついていて、アコーニの手はスーリの部屋着の背中をしわしわにしていました。その右腕に白く巻かれた包帯と、古い靴下で作った人形のような影が見えました。あの影は、痛精ドーじゃないですか? 痛みに宿り、痛みを操るモノだったはずです。


「門、お願い。鍵もね」


 そこにペルメルメさんから指示をうけて、ジケとふたりで門を閉めにいきます。錠を下ろしてペルメルメさんに鍵を渡したら、スーリがアコーニを解放していました。


 今朝は風に軽くそよいでいた青い縦縞のスカートに、今は赤黒くべっとりした濡れ跡が重たくて、紺色の夏服ボレロにもシミがあちこちに見えます。夏服を前で閉じるための紐は根本からちぎれてしまっていて、ブラウスにもこすったような血の汚れが見えました。

「ごめんね」

 って言われて、何を謝られたのかわかりませんでした。

「約束、忘れてたわけじゃ、ないの」

 約束。談話室で、お話をする。でもそんなの、だって、アコーニのせいじゃなくて、約束なんか、明日でも明後日でもよくて。

 緑の目があたしを見ていました。その右目の下が。とてもきれいなアコーニの顔の、泣き腫らした右目の下が、あざになって膨れていました。

「アコーニは」必死に絞り出しました「悪くないじゃないですか」



 ぶたれたんだそうです。

 鞄から手を離さなかったから。

 ぶたれて乱暴に突き飛ばされて、馬車にぶつかったんだそうです。


 シュエットが一緒だったら、きっとひったくりなんてさせなかったと思います。

 でも、その時シュエットはあたしの所に来ていました。アコーニは少し遅くなるって伝えるために。

 今、シュエットは少し離れた木の枝から見守っています。ミミズクの爪は鋭くて、だからいつも鞄の肩ベルトに止まっていたのに。


 ペルメルメさんが言いました。

「アコーニ。ほんとうに痛精ドーの痛みを分けなくていいの? 私だけでも、引き受けさせてはくれない?」

 お願いするような口調でした。痛精ドーはアコーニが呼んだようです。

 スーリも同じことをお願いしましたが、アコーニはそれも断りました。

「これは、きっと、罰なの」

 そう言いました。


 痛精ドーの魔法は痛みを操ります。

 腕の傷を縫うときに、お医者さんからなるべく動くなと言われて、アコーニは魔法で痛みを「後回し」にしていたんです。

 でも一人のときに魔法を解くのは怖くて、まだ解いていなかったんです。

 

 みんなで抱きすくめるようにアコーニを囲み、支えました。アコーニが自分を落ち着けるように、何度も深呼吸していました。

 シュエットが低く鳴いて、その呼吸もなにもかも、聞こえなくなりました。


 次の瞬間、アコーニがびくっと固くなりました。そして、アコーニの左腕があたしの頭を痛いぐらいに絞めつけてきます。

 痛精ドーの魔法を解いたんです。

 アコーニの右腕に見えていた人形のような影、痛精ドーが、すさまじい叫び声をあげている、そういう顔をしていました。

 アコーニも痛精ドーと同じ顔をしていました。すごい力で身をよじって、縫ったばかりの右腕を振り回そうとしたり、見えない針を左手で払いのけようとしたりするのを、みんなで必死で押さえました。


 どうしてですか? どうして、アコーニは、こんな目に遭わなくちゃいけなかったんですか?

 振り回されながら、あたしは、悲しくて悔しくて腹がたって、どうしていいのか、どんなことを言えばいいのか、どんなことをしてあげたらいいのか、わかりませんでした。


 罰って、なんですか? 釘蛇の事を言っていますか? でも、ひったくりも、ぶたれてけがをするのも、関係ないじゃないですか。

 痛いのだって、あたしたちに分ければよかったじゃないですか。

 

「ごめんなさい」

 全部の魔法が解けて、呼吸を落ち着けてから、アコーニはあたしたちみんなに謝りました。

 そして、いつも以上にぽそぽそした声で言いました。


「ペルさん、私のせいで、迷惑かけてるのに。また、めんどうごと」

 ペルメルメさんは柔らかく首を振って、アコーニの両肩に手を置きました。

「ぜんぜん、だいじょうぶよ。部屋に入ろう。手伝うから、身体を洗って、さっぱりして、他のことは明日にしよう」



 それで、この夜はおしまいになりました。



 あたしはいろんなことが悲しくて、悔しくて、腹がたって、あまり眠れなくて、翌朝になっても、出勤しても、それは続いていました。

 だから、協会調査部の朝礼で室長が「なにか他に連絡することは?」ってきいた時に手を挙げたんです。


「あのっ! アコーニ・ミネーリさんの鞄を探しています!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る