35. あたしは、でも、こんなふうに。
ほうろう製の洗面器にためた、ぬるいお湯を身体にかけます。
寮の建物に入るなり、とりあえずお
「あたしだけそんなの」って思いましたし言いましたが「別にわたしだってあとで浴びる」「アタシもう浴びたー」って二人から返されました。
スーリは言います。
「ともかく終わらせられる用事は終わらせとくもんだ、って先代の班長も言ってたよ。学科の復習とかさ」
ジケがそっぽをむいて、試験前はミーミーに手伝ってもらうもん、って言いました。
「ミーミー頼みでまた鼻血出しても知らないからな」
「ミーミーで? 勉強して? 鼻血?」
キシキシとスーリが笑いました
「まあ細かい事は省くけど、月光ヤモリの魔法を試験勉強に使って、やり過ぎたんだな」
魔法の使用で鼻血がでたら、それ以上は命に関わるって聞いたんですが。
こんどはうまくやるもん、ってむくれたジケに、「あーそう」って唇を突き出してからスーリはあたしに言いました。
「じゃ、湯浴びしたら部屋に来な」
脱衣所で服を脱いで、脱いだ服はシュシュに見ててもらいます。
浴室にある二十八台の火トカゲ式湯沸かしは、半分以上が空いていました。
横倒しのバネみたいにぐるぐる巻きの銅管があって、そこに水が通ります。ぐるぐる巻きのすぐ下には鉄か何かのお皿がついています。
これが湯沸かしです。
浴室には魔力燈とは別に種火用のガス燈が三台ついていて、そこから火トカゲをおいでませしました。湯沸かしのお皿にトカゲを導き、コックを開けて水を通し、お湯になるのを待ちます。
アコーニ、とにかく無事に戻って来て欲しいです。ペルメルメさんやイコとはすぐに会えるでしょうか。
危害、って、なにか怖い目に遭ったんでしょうか。シュエットが急いで戻っていって、どうにか切り抜けられたでしょうか。
もし、協会から帰る時にあたしや他の誰かが一緒だったら、なにか違っていたんでしょうか。
「ちょっとパコヘータさん! トカゲトカゲ!」
気が付くと、火トカゲが湯沸かしからジャンプするところでした。
とっさに身体を引き、慌ててトカゲとの接続を切ります。めらりと炎の跡が一瞬残り、同時にくらっとめまいがしました。
魔法の失敗で体力と塩気をもっていかれたんです。
「あっぶない! 気を付けなよ!」
「ごめんなさい!」
注意してくれたのは、何度か挨拶したことのある総務課の人でした。あのまま気づかずにいたら、トカゲはあたしのお腹あたりに着地していたでしょう。
残り火が右手をかすって、ちょびっと火傷したみたいです。
お湯を沸かし直す気にもなれなくて、ぬるま湯で身体を洗い、浴室を出ました。
お湯浴びから部屋にもどったら、隣の部屋の人が「これ忘れ物」って「新抄版『モノ』第二版」を渡してくれました。
談話室に置きっぱなしにしちゃってたんです。
これも寮からの借り物で、なくしていたら大変な一冊でした。丁寧にお礼をいい、夜はなるべく静かにしようとか思いながら自室に入ったら、明かりが消えました。
まっくらな部屋の入り口わきにしゃがんで息をすい、壜の口に手をふれて、そこから魔力を流し込みます。
ルルビッケがいたら、魔力壜が切れても「あっはー、くらくなった! 手探りでどっちが先に相手の枕みつけるか競争しよー!」とか言っちゃうんだと思います。「負けた方が魔力の補充!」って。
それか「えー? あれー? シャテュー、補充の当番どっちだったっけー?」って聞くかもしれません。
「……いまごろ、家族で過ごしてるんでしょうね」
言っちゃいました。いちばんさみしくなるの、わかってるのに。
シュシュがあたしの首をまわって、顔をのぼって、頭にまきついてきました。
「シュじんー、げんきナイな? ヘやひろイの、イやか?」
首を揺らしているのが、頭越しに伝わる重さでわかります。その重さで、あたしの頭がゆっくり左右に振られる感覚は、頭を撫でられるのに似ていました。
「……おまえはやさしいね」
ほんのり苦い笑いが口から漏れました。
* * *
「――お、さっぱりして来たね」
首だけ振り返ってスーリはそう言うと、また机に肘をついて、窓の外をにらむのに戻りました。
さっぱりしたというか、だめだめなのを思い知ってむしろ落ち着いた感じです。
「わたしのベッドすわっちゃいな」
ってことでしたので、左側のベッドの端っこに座らせてもらいました。
「あの」
「まだなんにも」
知らせは来てないようです。向かいのベッドにあぐらをかいて、ジケも窓の方に目を向けています。まるで、そこから何か聞こえてくるんじゃないかという感じでした。
スーリはイコと、ジケはミーミーと念を送り合って、どんな様子なのかを知ろうとしているのでしょう。
あたしも窓の方をみました。魔力視を開きました。
それが何かの力になったりは、しないと思います。でも、他人事みたいに何もせず、ただ座っているのは嫌でした。
「イコは普通の人間に聞こえない音、というか声を出せる」
急にスーリが言いました。
「で、その声を魔法でめちゃめちゃ大声にして、空からシュエットに呼びかけてるんだ。人間にはわからなくても、シュエットは聞こえるからさ。場所を変えつつ、そうやって探してる」
「……わかりました。ありがとうございます」
教えてくれたこと、気にかけてくれたこと、そして仲間に含めてくれたこと。
使い魔に十分な魔法を使わせるためには、主人からも魔力を送らなくちゃいけません。だからスーリはいま、魔力を呼吸しています。
みんな、普段のお勤めとは別に、アコーニを心配して、助けようとして、魔法を振るっているんですね。
急に、談話室でみんなに初めて会った時の事を思い出しました。
その時に聞いた話。婆猿騒動で、猫のお姉さんを見たって。
つまり、みんなあそこにいたって事です。おばあさんの群れと、その塊でできた猿の暴れる公園に。
あの時あたしは、いろんな人の働きで助けられました。そしてその中には、ジケやスーリやペルメルメさんも、アコーニやルルビッケもいたって事なんです。
あたしは。
ばかで悪い子であんな騒動を起こしたあたしは、でも、こんなふうに。
こんなふうに、なりたい。
シュシュがブラウスから出て、あたしのすぐ隣にとぐろを巻き、窓の方に頭を向けます。
それからしばらくして二人が
「いた!」
と声をあげました。
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