3. 顔を上げて、舌を出して

26. 普通にしてやられたいです

 洗濯当番してたら、急にルルビッケが言い出したんですね。

「暑ーい! 髪切る!」

 って。


 八月になって、たらいの水に飛び込みたいぐらいでしたし、髪を切って涼しくなりたいんだなって思いましたから、素直にこたえました。


「いいんじゃないでしょうか?」

「よーし、じゃ支度しよー」


 ほんとは、洗濯が終わったらシュシュと魔法の練習するつもりでいたんです。当番のときはともかく、日曜日はまるまる一日お休みですから、寮のみんなはどこかにおでかけすることが多いです。あたしは遊ぶお金ないんで、勉強とか練習とかしてるんですが、ルルビッケのお手伝いならぜんぜんやりますし、お母さんじゃない人の散髪を見るなんて初めてですから、どんなふうに切るのかなとか、どんな髪型になるのかなって楽しみな気持ちもあったんですよ。

 それで、寮の共同洗面室にハサミとかくしとか鏡、お庭用の霧吹き、あと古シーツや丸椅子を運びこんで、気づいたら座らされてました。


 あれ?


「もしかして、切るの、あたしの髪ですか?」

「ん? そうだよー。だってエーラ、寮にきてから一度も散髪してないじゃん。前髪だって口に届きそうだしさー」

 それは、たしかにそうです。長いなぁと思って、ずっと後ろに回して紐とリボンでまとめてました。

「でも、誰が切るんですか?」

「わったしー」

 しゃぎしゃぎ、とルルビッケが満面の笑顔でハサミを鳴らしました。もしゃもしゃした灰茶色の髪からヒバリが顔を出して唄います「きるるきるる、きるきるるきるる。きるるルル様きるるるる」怖いです。

 ふたりともすごい切る気まんまんで「ざく」「きゃあ」みたいな予感がしました。おしゃれとかは、まだあんまりわかんないんですけど、でも変な髪にはなりたくありません。

 だから「あ? ちびエーラちゃん髪切んの?」って通りかかったスーリに視線を送ったんです。あたしの視線を受け止めてスーリはニヤぁりと笑い、そのまま奥のお手洗いへ行ってしまいました。

「何か言ってくださいよぉ」

 って背中へ声を投げかけましたが、ルルビッケの顔が割り込んできます。座るあたしに対して、ルルビッケは腰をきれいに直角に折り曲げています。

「エーラぁ、わたしのウデを疑ってんねー?」

「だっ、だって頭にヒバリが住んでる人、散髪が上手だと思えないじゃないですか」

「ひっどぉ! それひどくない!?」

 腰が伸びました。もしゃもしゃ頭は見上げるほど高いところへ上がっていきました。やっちゃった、と思ったんですが、立ってる姿がポプラの木に似てるのに気をとられて、そのぶん手遅れになりました。


「あの、ごめんなさ」


 ぶふん。


 あたしの「ごめんなさい」を吹き下ろしたルルビッケの鼻息。

 高みから見下ろす鳶色の瞳とヒバリの目。

「どんな髪型にしてやられたいですかー?」

 肩のあたりがもぞもぞして、襟ぐりからシュシュが恐る恐る顔を出し、そーっと引っ込みました。たすけて。

「あっ、あの。髪型わからないので、普通にしてやられたいです……」

「やってやんよー!」

「ごめんってばぁ」



 お手洗いから出て来たスーリは、全部聞いてたみたいです。

「ルルビッケ、ちゃんとしてるよ。わたしも切ってもらってる」

 なんで最初に言ってくれなかったんですか?



 ふしゅふしゅと霧吹きで髪を湿らせたり、髪を大きな束に分けたりと、ルルビッケの手つきには慣れた感じがありました。


「長さどれぐらいがいいとか、ある?」

「長さ、ですか?」

「そー。背中にかからないぐらいー、とか、あごの高さに揃えてー、とかさ」

「えっと……」

 今まではずっとお母さんに切ってもらっていて、どういうのが好きかというのは、あんまりわかりません。わかりませんが、

「涼しいの、いいなって思うんですけど、今使ってるリボンも使いたくて、そういう長さがいいです」

「はいよー」


 ルルビッケが、しゃぎり、と背中あたりの髪にハサミを入れました。

 ぱさりと髪の落ちる音がして、あたしは唇のすきまから舌を出します。息を吸うと、背中の近くに筆で描いたような跡を感じます。

 あたしの髪の毛の空気。あたしの髪だけではなくて、ルルビッケやスーリの空気も感じますし、霧吹きの水や、洗面台のタイルの空気もなんとなくわかります。

 やっぱり、気のせいとかじゃないですね。


「なんでベロだしてんの? 髪たべちゃうよ?」

 気が付いたら、スーリが水栓の並ぶ洗面台に寄りかかって、鋭い目をさらに細めていました。


「あの……じつは最近、空気のにおいというか、あじが見えるんですよ」

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