25. 夏です。夏なんですね。

「運動着のひとつながりワンピースからぽとーんって。あたしがビリっけつじゃなかったら、後ろの人に踏まれてたかもしれません」

「それは大変だったわね」

 と、目じりに皺を寄せて笑っています。あんまり笑えないです。

「シュシュ、チェムさんにちゃんとご挨拶しなさいよぅ」

 って、襟ぐりの中へ言いましたが「ネコ、こわイ」っていやいやしています。

「使い魔って、こんなに言う事きかないものですか?」

「そなたの修練が足らぬのだ」

 ケトさん冷たいです。チェムさんも苦笑いしていますから、きっと苦労があったのでしょう。

 苦笑いのまま、懐かしそうに言います。

「私があなたぐらいの時代にはね、使い魔と出会ったら一人前だって言われたものなのよ」

 すいっと、蜂蜜色の瞳がまっすぐあたしを見てました。

「おめでとう」

「あ……りがとう、ございます」

 照れます。ひとりだけお祝いされるの恥ずかしくて、出ておいで、ってシュシュに言ったんですが、出てきません。もう。

「それにしても出会ったのが釘蛇だなんてね。王族猫ケトリールに出会うより珍しいかもしれないわ」

 ケトさんが不満そうに鼻息を吹きました。張り合うんですねそこ。


 

 釘蛇のことは、覚えている限りぜんぶ話しました。チェムさんはこんな事をいいました。


「以前、婆猿ばばざるに閉じ込められた人たちに聞き取りをしたのよ。怖かった事、悲しかった事を考えるのが止まらなかったと言われたわ。その中に例えば、お子さんを死産でなくした時の話や、両親を亡くして冬の街角で物乞いをしていた頃の話があってね。他には、お姉さんが行方不明になって、探しに行ったご両親も亡くなった事だとか」


 あたしが夢で見せられたのと同じでした。


「だから推測はしていたの。婆猿には人の情念を呼び起こす性質があったようだとね。エーラさんが見た夢の話も合わせれば、猿は呼び起こした情念を写し取って保持するのではないかと考えられる。それから、エーラさんの中に猿の性質が残ってしまっているのではないか、とも」

「それは、あたしが、猿の真ん中だったからですか?」

「おそらくはね。あなたが夢で見た他人の記憶は、婆猿が実際に写し取った大勢の記憶で、釘蛇はそれを引き出して食べた。釘蛇が箱を破るほどに力を得たのは、このあたりが関係したのかもしれません」

「それなら、みんなが悪い夢をみたのは、どうしてでしょうか」

「どうしてかしらね?」

 チェムさんが困ったように笑って、首を傾げました。

「例えば、蛇に刺激を受けて猿の性質が女子寮に広まったのかもしれないし、術者がなにか間違えていたのかもしれないわ。再現実験、してみる?」

「……いいです」

 怖い夢なんてわざわざ見たくないですよ。


 話が途切れた隙に、あたしは気がかりをチェムさんに切り出しました。


「あのぅ、今回のことでアコーニは、釘蛇を仕掛けた人はどうなりますか?」

「それは、たとえば協会からのお咎めとか、そういうこと?」

「はい。その、やめさせられたりとか、しないですよね?」

「協会代表としては、この件には口出ししませんよ。でもそうね。そんな大ごとにはならないでしょう。部門長からの厳重注意か譴責けんせき、つまり厳しく叱る処分ぐらいが妥当に思えます。寮の中での出来事でもあるから、総務部から寮長と班長への叱責もあるでしょう」

 班長はペルメルメさんです。あたしの起こした騒動からぐるっと大きく回ってペルメルメさんが怒られるのは、なんて言ったらいいかわかりません。

「あなたはどう思う?」

「あたし、ですか?」

「ええ」

「あたしは……アコーニがしたことは、やっぱり悪い事だと思っています。へびだってかわいそうですし、手間をかけて術をつくって、そんなにあたしの事が憎たらしかったのかって思います。いっぱい怒られちゃえばいいって思うんですけど、でも、それ以上は……」

 

 考えます。どう言えばいいんでしょうか。チェムさんは待ってくれているようです。ケトさんはあくびをしています。シュシュがもぞりと動いたのを、あたしはブラウスの上からなでました。


「悪い事したからもう絶交とか、ぜったい許さないとかは、言いたくないんです。仲直り……あたしは、まだ友達じゃなかったかもなので、仲直りっていうのかどうかは、わからないんですけど……やっぱり、仲良くしたいです」


 そう、とチェムさんが頷きました。そのあと、お仕事のことや寮のことなんかをひとつふたつ話して、面談はおしまいになりました。


 帰り道、まだ明るい中を、ケトさんに送ってもらって帰ります。とくにお喋りするわけでもないのは、最初からあまり変わりません。


 ――変わった事、困った事があったら遠慮なく私に相談してちょうだい。面談の日でなくても、いつでも。

 と、帰り際にチェムさんは言いました。

 ――釘蛇も婆猿も知見の少ないモノだから、気を付けるに越したことはないわ。


 どうなんでしょう。婆猿はともかく、釘蛇はあたしの使い魔なんですし。


「シュシュ、出ておいで。ケトさんは足元で怖くないですし、夕焼けがきれいですよ」

 って襟ぐりに話しかけます。おずおずと鼻先がでてきて、おっかなびっくり、舌がチロチロ踊っています。

 街路樹の匂い、ガス灯の匂い、建物の石の匂い、馬の匂い、よく知らない香草の匂い、香水の匂い、男の人の、女の人の、人間の、動物の、植物の、いろんな匂いが街に折り重なっていました。

 そうだ、春にチェムさんとの面談で大泣きした帰り、猫頭のお姉さんが走り抜けていったのがこのあたりでした。

 ケトさんに前を向けと言われたのがこの辺りでした。

 石畳が夕日に光って、その照り返しがちょっと暑いぐらいです。

 夕涼みに出て来た紳士淑女パヒジェンテの皆さんはうきうきして見えます。

 大社殿たいしゃでんの塔の先に白い半月がかかっています。  


 夏です。夏なんですね。



 いいんじゃないでしょうか。




<<2. へびの尻尾をあたしにとめて 了>>

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