19. パコヘータ
力いっぱいしぼられる濡れた洗濯物。
へびに絞められるのは、そういう感じでした。
洗濯物なら水が出ていきますが、あたしの肌は水を通しません。代わりに水は、頭の方に絞り出されて、中でぷちぷちとこぼれて、あたしは死にました。
死んだはずなのに、ゆっくり呑まれていくのがわかりました。
小さい頃に眺めたへびは、糸を片手でたぐりよせるみたいに、小鳥をゆっくり少しずつ身体の中に送りこんでいました。
同じようにあたしは夢ごと食べられて、
――もっと、喰いたい。
気がつくと、大きな樫の木が見えました。
いやだ。
おばあさんがぼとっ。おばあさんががさっ。
樫の木の陰、公園の花壇の向こう、手足は細長くて、あごは前に突きでてて、目も口もシワシワに埋まっちゃったみたいなおばあさんが、おばあさんのくせに、パシパシ走ってきます。
転ぶのがわかっていて、あたしは逃げます。知らない女の人が突然あらわれて、よけようとしてあたしは雨上がりの草に滑って、転びました。壁みたいなおばあさんの群れが迫ってきます。
「プルイ!」って画家のおじさんが叫びました。エーラ。あたしはプルイでも、カーラでも、ありません。
ああ、誰もあたしのことは呼んでくれないんだ。
そうですよね。お父さんはいなくて、お母さんにはだいっきらいって言っちゃったんですものね。友達をみんな、へびで、しめて、ころしてしまったんですものね。
たくさんのおばあさんの手が、手が、手が伸びて来ました。腕、脚、髪、服の全部を、ぐいっと掴まれて。あたしは。いやです。エーラ。いやです!
「やぁだああああああ!! だれっ、誰かぁ! お母さん! おかあさぁぁぁぁん!」
また、ずっと、怖いことを思い返す。嫌だったことを思い返す。あたしには何もできなくて、こんなことするんじゃなかったって思い返す。
おばあさんの群れが組み上がっていきます。真ん中になっていたのが、エーラ。あたしです。人間よりずっと大きな猿の形になって、公園の人たちを追い回し、無数に手を伸ばしては中に引き込んでいきます。
あたしの目は、逃げまどう人、捕まってもがく人の顔を見ていました。
引き込んだ人の怖れが流れ込んで来ます。その人たちの、嫌だった思い出が流れ込んできます。
隠していたお金を取り上げられた夜。
恋人からの手紙はもう来ないと知った夏。
お酒を飲めなくて仕事を失った夕暮れ。
お姉さんが行方知れずになって、ずっと見つからない四十年。
親が死んで、妹と二人で物乞いをした冬。
なめし革工房で親方に焼きごてを押された昨日。
産まれた子が、ついに泣かなかった朝。
楽器を売り払って終わった、夢を追う十年。
――喰いたい。もっと。
だめです。だめです。そんなの無理です。やめてください。見せないでください。あたしが、こわれちゃう。はちきれちゃう。
こわい。かなしい。うらやましい。はらがたつ。くやしい。とりかえせない。もどりたい。どうして。おしまいだ。あいして。おまえなんか。わたしなんて。なにもかもどうせ。もうあえない。かえりたい。
そういう気持ちをもっと。
写し取りたい。
――喰いたい。
写し取って喰われたい。
エーラ。
浮き上がる感じがしました。
……誰ですか?
写し取りたいのは、誰ですか?
喰いたいのは、誰ですか?
エーラ。
あたしじゃありません。
婆猿に閉じこめられたとき、あたしにはあたしの気持ちしかわかりませんでした。
他の人の気持ちなんて、わかりませんでした。
誰ですか?
あたしのおなかの、ずっとずっと深いところにいるお前。
おばあさんの顔をした、へびのあたし。
エーラ。
呼ばれています。
お母さんの声ではありません。協会の女子寮にお母さんはいません。
毎朝、おはようって言う声が。
毎晩、おやすみって言う声が。
たくさん食べて、おっきくなれって言う声が。
あたしを、呼んでる。
「エーラ、
あたしの顔が上がって、目が開きました。真っ暗な婆猿の中なのに、はっきり見えました。くしゃくしゃのくせっ毛、そばかすだらけの目元、大きなとび色の瞳。
「ルルビッケ!」
「いま出したげるから!」
長い腕があたしをがっちり捕まえました。
「シャテュー、唄って! 朝だよ!」
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