16. その泡のひと粒ひと粒に小さな小さな白い魚
ころして。
ころして、やる。って、そういうことですよね。
おまえたちって、だれと、だれ、ですか。
あたしは、どうして、そんな夢をみたんですか? 二晩も続けて同じ夢だったのは、ほんとうに、ただの夢なんでしょうか。
お母さんはどうしてるでしょう。何事もないですよね? 今月はもう面会に行っちゃって、汽車のお金、あと一往復分、なんとかなるのかな。ええと、お給料が月の終わりに入るから、いま持ってるお金で
「なー!」
びっくりして、手に持ったおろし
「――にをぼんやりしてるんだい!? お嬢を待たせるんじゃないよ」
大きくて真っ黒な瞳。長くてモサモサのまつげ。たぷたぷした上くちびると、背中に大きなこぶひとつ。シャモーです。マートル裏の雑貨屋さんに似た喋り方のラクダ。
「ほらほらほらほら手を動かす」
「やりますやります、やりますったら」
あたしは石鹸の塊をおろし
中庭に張り出した屋根の下。洗濯場には、他の当番の人たちも来ています。
「エーラちゃん、どこか、体調でも悪い?」
って、ペルメルメさんが洗濯台のたらいにバケツで水を張っています。
「ごめんなさい。大丈夫です」
「それなら、いいけど」
ペルメルメさん。ラクダのお姉さん。二十歳のお姉さん。
あたしが寮で一番年下だから全員お姉さんなんですが、ペルメルメさんはお姉さん度合いが違うと思います。大きくて真っ黒な瞳。長くてパチパチのまつげ。つやつや真っ黒な髪。小麦色ですべすべした肌。ふっくらした手のひらが、あたしのおでこに触れました。
手が止まってしまいます。
「熱はないみたい。お腹痛いとかは、ない?」
「だ、だいじょうぶです。ちょっとぼんやりしちゃっただけです」
顔が熱くなってきて、恥ずかしい気持ちを石鹸にぶつけて粉にします。独特のねっとりした匂いは、油絵の匂いに似ています。
そうやってお皿いっぱいに作ったせっけん粉と、あとみんなの洗濯物をたらいに入れて、あたしは深呼吸しました。
「ちゃんと練習してきたかな? 今度はできそう?」
「はい。できます」
ペルメルメさんに答えて、呼吸を整えます。
さかいめを曖昧にする。
それが魔法の第一歩だと教わりました。魔力の呼吸を教わった時も、エンリッキおじさんから聞いた魔法の話も、ここでの学科や訓練の時も、同じことを言われています。
あたしたちの生きている所、あたしたちが見ている所の、一枚うらがわ。魔力そのものも、魔法を貸してくれるモノたちも、そこから来ます。
あたしの身体と、その周りと。さかいめを曖昧にして、魔力を視て、感じて、呼吸します。
空気みたいに漂っている魔力が、あたしの肌にしみこんできます。あたしの息に乗って胸に暖かく溜まり、少しずつお腹の方に降りてきます。
この感覚のまま、手でたらいの水面を乱しました。せっけん水に少しの泡がたって、泡はあたしの意識に「入口」を開きます。泡粒の向こうにいる、小さな小さな魚のようなモノ。
開いた入り口から心を、かたつむりの角みたいにゆっくり伸ばして、魚にそっと触れさせました。そうやって、言葉を使わないお話を始めました。
先月は、ここでつながりが切れたのでした。あれから、ルルビッケに見てもらって練習しました。今度は大丈夫のはずです。
やってほしい事、借りたい力を頭に描いて、送ります。向こうからもつながってきました。あたしを探っています。あたしが体に留めた魔力と、あたしの体力と、塩気が、ちゃんと見合うかどうか。
気後れしたらいけないんだそうです。注意深く意識のつながりを保って、あたしは胸をはる自分を想像します。あたしにだって、力がある。あたしにもできるんだ。
ぴん。
背中に糸が張るような感覚がありました。なった。魔法がなりました。
あたしはつまづかないように、ゆっくり、言葉に出します。魔法の持ち主を呼んで、こちら側で力をふるってもらうんです。
「おいでませ、
ぷつっ。
ぷくぷくぷくくくぷくぶくく。
たらいに細かな泡が立ちます。その泡のひと粒ひと粒に小さな小さな白い魚がいます。泡魚です。泡が
「できたねぇ!」
ってペルメルメさんに褒められました。できました!
「はーい。おいでませ、
お姉さんはさくっと別の魔法を使います。
たらいに水の流れが起きます。
汚れをどんどん落とす泡と、泡と洗濯物を混ぜる流れ。
汚れのしつこいところは、ナミナミした洗濯板の上でこすって落とします。
「せーの!」
ざばざばざば。
すすぎは人力なのでした。
絞るのも器械の力を借りて、手で絞るんですが、今日はシャモーとペルメルメさんがいるので楽ができます。
「ラクダの魔法」
って、ちょっと得意げにペルメルメさんが両腕を広げたのは、きっとあたしに見せるため。あたしはくすぐったくて、にやにや笑ってしまいます。
「どこからでも水を飲む」
びしょ濡れの洗濯物の塊に、シャモーがキスするみたいに口づけて、水を吸い出します。
せっかくの洗濯物にラクダの毛が付いてもつまらないので、布を一枚かませてありました。
「おーっし飲んだ飲んだ」とシャモーが満足そうに洗濯物の塊から口を離し、ほぼ乾きの洗濯物を二人で干していきます。みんな服には縫い取りで印をつけてますので、ジケの下着やルルビッケの靴下があたしの籠に紛れ込んでいても、本人に返せます。
とはいえ、靴下の片っぽがなくなったりは、たまにありますよね。
洗濯物を干しながら、
「ペルメルメさん、最近、怖い夢をみたりすることありますか?」
って聞いてみました。
「あ、ええっと……どうかなぁ、よくわかんないや」
ってのんびりした答えが返ってきました。女子寮のみんなが見るってわけでもないんでしょうか。
あたしは次の話を始めます。ここからがほんだい、っていうやつです。
「あのぅ、実は、今からクレモントに行こうと思っていまして……。洗濯物の取り込み、できません」
まだお昼にもなっていません。今からぱっと行って戻れば、日が暮れるころまでに帰ってこれそうなのでした。
「えぇ、急にそんなこと言われても困るよ。私ひとりで取り込みするの?」
腰に手をついて、すこし身を屈めて、注意の仕方もお姉さんっぽいです。
「あ、そのぅ、ごめんなさい」
「クレモントって……エーラちゃんのお母さんいるところよね? 何かあったの?」
「気になる夢をみちゃっただけで、たぶん、何もないんです。大丈夫です。やっぱり大丈夫」
「シュエットぉ! アコーニ起こしてぇ!」
って、ペルメルメさんが三階へ向けて大きな声をだしました。
「アコーニに代わってって頼んでおくから、行ってきていいよ。今度からは、前もって代わりを探してね」
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