14. あのぅ、ジケ? だいじょうぶですか?
目の前にずらーっと並んだ空の小瓶に、トロトロとインクが注がれていきます。
「ルーランさん。怖い夢みますか?」
「どうしたエーラちゃん突然? ま、みないね。三十越えたらあんまり夢も見なくなった」
なるほどですね。独身寮の最年長、総務のルーランさんは見ない、と。
「エーラちゃんはよく見るの?」
「三日にいっぺん、くらいです」
「多いんじゃない? お兄さんが
「わかりました。やっていいかどうか、チェムさんに聞いてみますね」
「ごめんごめんごめんごめん。だめだめだめだめ」
ですよね。魔法とは別の、オトナな意味がありますもんね。あたしが知らないと思って、からかおうとしましたね。さーいてー。
最低なルーランさんが小瓶をインクで満たしていきます。ゆっくりした呼吸に合わせて、碧い光の粒が流れています。冗談は最低だけど、こっちは上手だなぁって思います。
テンテンというモノの力を借りた魔法で、ルーランさんは「大した魔法じゃないよ」って言いますが、あたしはこれを見るの好きです。ルーランさんが大きなインク壷を傾けると、青黒い筋が六つに分かれて小瓶たちの口に滑り込んでいきます。インクに含まれる
それを何回か繰り返して、インクの小瓶全部はあっという間にいっぱいになりました。
小瓶たちに蓋をチキチキチキっと差してったり、インク箱の間仕切りに瓶をすたたたたたっと並べてったりするルーランさんの手も、魔法なんじゃないでしょうか。
「ほら、待たせたな。気を付けて持って行けよ」
「はーい」
「チェム代表には言わないでくれな?」
「はーい」
インク箱をお盆みたいに両手で持ちます。最初の日はこれをひっくり返して、ルーランさんに助けてもらったのでした。親切で、インクを継ぐ手つきがすてきで、最低な冗談を言ったルーランさん。台無しじゃないですかぁ、もう。
あたしは、魔法協会の中の「調査部」という所にはいぞくされました。調査部は、街の人たちや
あたしは、みんなが外に出て行った後の、お留守番とお手伝いみたいな事をしています。そのうち外に出るようになるんでしょうか。
もらってきたインクを事務室の棚にしまって、「受付いきまぁす」って室長に声をかけました。
協会本部は広いんで、迷子にもなりましたが、もう大丈夫です。受付ぐらいなら。
受付事務室には、ドアがたくさんあります。そのドアの向こうには小さな面談室があって、協会を訪れた人はそこで相談をします。あたしとお母さんが話を聞いてもらったのも、この面談室だったんですね。
担当の人たちは相談事を紙にまとめて、宛先別の書類入れに入れます。あたしはお昼前に一回、夕方に一回、調査部向けの束をもらっていくのでした。
束を取るついでに、書かれている内容をぱっと見ます。あんまりじっくり読んでると怒られるので、さらっと。
夢に関係した依頼があったりするかなって思ったんですが、特に見当たりません。
この束を持ち帰ったらお昼ごはん。節約のためにパン一個のお昼ですが、それでもお昼ごはん。食べ物の事を考えてたら、面談室の扉が一つ開きました。
入って来たの、ヤモリの人でした。でもちょっと様子がおかしいです。なんだか、泣いてるような感じでした。
「あのぅ、ジケ? だいじょうぶですか?」
ジケ。ヤモリの人。くるくる栗色の髪を左右で縛った十五歳。お仕着せの赤い襟にはミルク色の月光ヤモリがぴったり貼りついてます。ミーミーです。
「あーん、もう、エーラちゃんありがとー。ほんと怖い人きたのー!」
って涙をぽろぽろさせながら、手に持った紙を押し付けてきました。あ、これ調査部向けなんですね。
受付の室長さんが飛んできて「聞こえちゃうから、外で」と小声で注意されました。
なので、廊下でジケの愚痴を聞きます。
「もうアタシの言う事に文句ばっかりつけるんだもん。年が若いからダメとか女だからダメとか髪型の事とかチマチマとー! そんなの仕事に関係ないじゃん。ぜったいイジワルして楽しんでるんだよあのジェンテくずれぇ」
ジェンテくずれがなんなのかわかりませんが、悪口だってことだけは伝わります。
ジケの襟からちっさい男の子みたいな声が上がりました。
「オレが一発とっちめてやろうか!?」
「ダメだよミーミー。クビになっちゃう。もー、こんなのぜったい夢にみる……」
「ゆめ?」
「そうなの。最近なんかもう、仕事で嫌ぁなこと言われると夢にまででてくるの。やんなっちゃうよぉ」
それは本当にいやになりそうです。どう言ってあげたらいいのか、です。
というところでお昼の鐘が聞こえました。
「あのぅ、お昼休みになりますし、なにか食べたら元気になりますよ」
「そうかなぁ。そうかなぁ?」
「そうですよ」
「エーラちゃんやさしー。お昼いっしょ食べよー?」
ってなりました。
ジケは夢を見る、と。
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