5. 春です。春だったんですよ。

 黙っていたらバレなかったかも、って、今でもたまに思います。

 でも、黙っていようと考えたら、とても怖くて、惨めな気持ちになりました。

 それはきっと、あたしが助け出されたからだと思います。


 あの日、あたしの魔法は失敗して、魔女の代わりに無数のおばあさんが現れました。

 よく夢に見ます。

 おばあさんに捕まって、そのまま婆猿ばばざるの中に閉じ込められてずっと、あたしは怖いことや嫌なこと、悲しいこと、取り返しのつかないことを考え続けました。怖い夢を自分では止められないみたいに、考えるのを止められませんでした。

 こんなことをするんじゃなかった。魔女の力なんて手に入るわけなかった。お酒の魔法で人を操ってしまった。大人にならないお薬なんて飲んでしまった。お母さんを助けたかった。これから、これからどうなるのだろう? このまま死ぬのだろうか。ずっと今のまま、怖い気持ちばかりが続くのだろうか。あたしを閉じ込めたこのおばあさんの塊は、この後どうするんだろう。

 あたしは、ずっと、このまま独りで。誰にも気づいてもらえなくて。

 いやだ。怖い。全部、ぜんぶなかったことにしたい。マートルの家に帰りたい。いやだ、誰か、だれかたすけて。

 って、思ってました。

 

 だから、猫頭のお姉さんが婆猿の中に飛び込んできた時、あたしはばかみたいに泣きました。あたしと会ったことなんかないのに「バカだね、ほんとうに」って抱きしめてくれました。

 そのあとすぐ軍隊が鉄砲を撃って、お姉さんはあたしをかばって、そのあとお姉さんがどうなったかわかりません。

 気が付いたらあたしは外に放り出されていて、トゲトゲの生えた木が夕方の空高くに伸びていました。

 助け出されて初めて、あたし以外にもいろんな人が猿の中に閉じ込められていたことを知りました。

 たくさんの人が巻き込まれていて、たくさんの人があたしたちを助けようと働いていたことを知りました。


 黙っていればバレなかったと思います。

 でも、助けてくれた人たちは眩しくて、黙っているのは怖くて、惨めで、なのにいちばん話を聞いて欲しかったエンリッキおじさんはずっと姿を見せなくて、話せる人はお母さんしかいませんでした。お母さんにはあたしの話、わからないだろうなと思っていました。


「エーラの話はよくわからないわ」

 って、お母さんも言いました。

「ともかくひどい粗相をしたのね? あちこちにご迷惑をおかけしたのね? 本当にエーラはどうしようもない子だわ。ほら、どこなの? どこに行けばいいの? お母さんも一緒に謝りにいくから早く支度なさい!」

 って。

 悪い子はいつもエーラです。でも、お母さんは悪いエーラと手をつないでくれました。一緒に来ると言ってくれました。そうして、あたしたちはマートルの裏路地から表通りへ出て、けいさんの屯所とんじょにきたんです。


 警邏さんたちはあたしの話をぜんぜん聞いてくれませんでした。


「このたびは、うちの娘が大変なご迷惑をおかけしたそうで、お詫びにお伺いいたました」

 屯所に入るなりお母さんが謝ります。近くにいた眉毛の濃い警邏さんが周りを見回し「おれか?」と口を動かしてから、仕方無さそうにきいてきました。

「どういうことかね?」

 上からずいっと見下ろされて、あたしのおへそのあたりがぎゅーっと縮みました。

「あのぅ……おばあさんの、ばば、婆猿のことなんですけど、あれは、あっ、あたし」

 舌はガチガチに固まって、喉の奥に飲み込んでしまいそうです。

「なんだ? 早くいいなさい。君がやったとでもいうのか?」

 そうです、そうです、と頷いたんですが

「あのなぁ、子供のたわごとにかまっている暇はないんだ、なんなんだ親子そろって。あの日から君みたいのがたくさん来てて、こっちは大変なんだよ。なにか証拠でも持ってるのか? 君がやったっていうさぁ」

「もって……ません」

「ああそう。無駄な手間をとらせるんじゃあないよ」


 だそうです。お母さんのことも子供に振り回される、しつけのできないダメな親だって言いました。マートル裏の貧乏な奴らが面倒ごとを持ってきた、って、あたしたちをちょっと馬鹿にした感じがありました。

 あんたたちだって、どうせマートル裏に来るくせに。

 マートル裏。あたしたちの住むところ。お母さんみたいな女の人に会いに、いろんな男の人が来るところ。

 ほんとはもっときれいな人がいるりっぱなお店がいいけど、高いから行けないんですよね? マートル裏の方が、安上がりでいいんですよね? 今はお薬もあるから良かったですよね? 全部、あんたたちみたいのが言ってたことですよ。

 口に出しそうになりましたが、こらえました。

 屯所の奥にちらっと見えたの人が、あの日あたしを助けてくれた警邏の人だったからです。


 ――なんてこったまだあの中にいたのか!? ケガはないか? 歩けるか? なんてこった軍隊の奴ら、撃ちやがった! どこもなんともないか? とにかくここを離れるんだ。

 って言って、あたしを抱え上げて、走って、離れたところに降ろしてくれました。その人まで馬鹿にしたくなくて、言いませんでした。

 

 ただもう、警邏さんに話を聞いてもらうのは無理そうでした。あたしはお母さんの手を引いて、マートル裏に帰ろうと思いました。

 がんばって出てきたけれど、すっかりしょげてしまいました。この惨めな気持ちも、我慢していれば慣れちゃうんだろうなぁなんてことを考えながら、シュダパヒのきれいな通りの隅っこを歩いていました。

 そのうち、お母さんは疲れたと言って道の端っこに座り込んでしまいました。

 あたしはいたたまれなくて、お母さんの隣に立って、通りの人と目を合わせないようにうつむいていました。

 春です。春だったんですよ。

 歩道の石畳がきらきらしていて、うつむいてるのに眩しくてうっとおしくて、あたしは泣くのがいやだったから顔を上げました。

 そうしたら、見覚えのある人と目が合いました。白髪の混ざる真っ黒な髪に、茶色い肌。どこの誰だったか、もやもやと頭の中で形になっていきます。

 この人は

「君は……奇遇だな、造成中の記念公園にいた子じゃないか? こんなところでどうした?」

 あたしが初めて魔法を知った夜、シュダパヒの空へあたしをしてくれた、魔法使いのおじさんでした。


 お母さんが座り込んだところは、魔法協会の前だったんです。

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