第49話 でも今の私は静香です。それを忘れないでくださいね
三百年前にあったメアリーと静江の美しくも残酷な物語。
もし、静江が吸血鬼になる決断をしていたらきっと、今もメアリーと静江は幸せに生きていただろう。
でも静江は吸血鬼にはならず、人間としての生き、人間として死んだ。
その気持ちはとても分かる。
もし、静香も静江の立場だったらやっぱり吸血鬼になるよりも人間として生き、人間として死にたい。
「静江との馴れ初めや最後はこんな感じで今も我は鮮明に覚えている。特に初めて会った時の静江と最後死ぬ時の静江は、一回たりとも忘れたことはない」
昔話を終えたメアリーは、少しだけ嬉しそうだったがとても苦しそうだった。
「……っておい、どうした静香。どこか痛いのか」
静香を見たメアリーが不安そうな声を上げる。
なぜか目が熱い。
それになにかが頬を伝っている。
「別に痛くはありません。……ただなぜか涙が止まらなくて……胸が苦しくて温かいんです」
これはメアリーと静江の過去の話だ。
静香自身は関係ない。
それなのに、この胸の苦しさと温かさは一体なんなのだろうか。
「綺麗な顔が台無しだぞ」
そう言ってメアリーは指で静香の涙を拭う。
メアリーの細長くて柔らかい指先。
その感触が懐かしい。
「ぁ……」
懐かしさを感じて安堵した静香は、体の力が抜け崩れ落ちる。
「静香っ」
メアリーは静香の名前を呼び、静香を支えようとするものの、咄嗟のことで上手く力が入らず、おまけにドレスの裾を踏んでしまいバランスを崩す。
仰向けになった静香の上にメアリーが覆いかぶさる。
首元に微かな痛みと生温かさ、それに微かな快楽を感じる。
自分の体の中から血が吸われているのが分かる。
あぁ~、懐かしい。
最初は血を吸われることが怖かったのに、いつの間にか自分から血を吸われることを求めていた。
「す、すまない。いきなり噛みついて血を吸ってしまって」
「久しぶりの私の血はおいしかったですか、メアリーさん。と言ってもこの体は静香の体ですが」
「っ……」
いきなり首元に噛みつき血を吸ったことをメアリーは謝罪する。
どうして今まで忘れていたのだろう。
どうして、メアリーを思い出せなかったのだろう。
今、目の前にいるのは三百年前、愛した吸血鬼、メアリーだ。
静香は全てを思い出した。
だから、あいさつ代わりにいたずらな笑みを浮かべる。
その静香を見た瞬間、なにか悟ったとのかメアリーは息の呑む。
「……静江なのか?」
「いえ、厳密には違います。私は静江の記憶を持った静香です」
三百年以上静江を待ち続けていたメアリーは声を震わせる。
でも残念ながら静香は静香であり、厳密に言えば静江ではない。
静江の記憶を持った静香である。
簡単に言うと今の静香の体には静香として生きたこれまでの十五年間の記憶と、三百年前静江として生きた二十年間の記憶が混在している。
「でも静江の記憶もあるので静香でもあり静江でもある……私もこんなこと初めてなので正直困惑してます。でもまたメアリーさんに会えて嬉しいという気持ちは本物です」
静香でもあり、また静江でもある。
一つの体に二つの記憶が混在しているこの状況に、静香自身もまだ頭が追い付いていない。
でもメアリーに三百年ぶりに会えたことが嬉しいのは静香自身の本心である。
「我もまた静江に会えて嬉しい。やっと静江に会うことができた」
メアリーは泣きながら静香のことを抱きしめる。
静香は三百年以上生きたことがないから分からないが、きっと静江がいなかったこの三百年間はメアリーにとって孤独と地獄の三百年間だっただろう。
そう思うと、静香自身、メアリーに罪悪感を覚える。
「私も嬉しいですよ。まさか三百年間、私を待っていてくれて」
メアリーに抱きしめられた静香は、メアリ―を抱きしめ返す。
あの頃と変わらないメアリーの体は、今も柔らかく弾力があり、抱きしめられるととても安心する体だった。
「でも今の私は静香です。それを忘れないでくださいね。私はただ静江の記憶を持った静香ですから」
静江の記憶があるとはいえ、静香は静香だ。
それだけは譲れない。
もし、そこをあやふやにしてしまうと自分が何者なのか、本気で分からなくなってしまう。
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