第11話 少女は神と出会う




 邪神エイブモズ。

 かつて世界に多くの死をもたらした邪神。

 強大な邪神は今は封印され、とある地方の地下深くに眠るという。


【本当にそんなものがいるのか?】

「それを今から確かめに行くんですよ。」


 コデスが怪訝に思いながら尋ねれば、フィリアはそう答えた。

 どうやらフィリア自身も実在している事を確認している訳ではないらしい。

 不思議な仕掛けを解いて開いた地下への扉を潜り、階段を降りた先にあったのは広大な地下空間であった。

 壁と天井で囲われ、道がいくつにも分かれている広大な迷宮。そんなものが一見すると平和に見えた土地の下に隠れていた事を驚きつつ、コデスはずんずん進むフィリアの後に続く。


「あ、そこの四角い板踏まないで下さい。」

【え? これか?】

「踏んだら罠が動きます。」

【へぇ。】


 コデスが足元を見れば、確かに不自然な四角い板がある。

 言われなければほんのりとしか灯りのない薄暗い空間だと見逃してしまうだろう。

 ひょいと四角い板を跨いでから、コデスはふと気になった。


【貴様は罠とか分かるのか?】

「犠牲者とか設計者の霊が都度教えてくれます。」

【それでフォガト墓所も踏破できたのか。】


 フィリアは過去に、死の王コデスが住んでいたフォガト墓所も難なく踏破していた。罠やモンスターの溢れるダンジョンをどうして突破できたのか、当時は疑問に思ったが、そういう理由があるらしい。死者に案内されたという言葉はまんまその意味だったのだ。


【地上の良く分からない仕掛けもか?】

「はい。あれは、特別なレンズを通した日光を封印石に当てる必要があるらしくて。決まった角度に太陽が昇った時に、決まった配置でレンズを入れた石を置かないと駄目だったみたいですよ。」

【それで時間の都合がどうとか言ってたのか。】


 フィリアが夜だと都合が悪いと言っていたのはそういう理由だったらしい。

 なるほど、とコデスは感心したように頷いた。


【貴様どんな事でも知ってるんじゃないか?】

「いえ。死者に分かる事だけですよ。それに、知ってるんじゃなくて教えて貰ってるだけです。」

【いや。実際大した才能だと思うぞ。】

「珍しく褒めますね。」

【褒められる要素今までなかっただけだろ。】

「ぶー。次から罠あっても教えません。」

【ごめん。】


 素直にコデスは謝った。

 罠如きで倒されるようなモンスターではないのだが、ダメージは食らわない事に越した事はない。先程も小さな報復のために階段から転落させられたので、罠だらけの迷宮でフィリアの機嫌を損ねる事は危険極まる。ここから出るまでは機嫌を損ねない事に越した事はないのだ。


【しかし、幽霊に神とやらがいるかは聞くことはできないのか?】

「はい。それらしき空間は分かるらしいんですけどね。近寄る事はできないそうです。」

【近寄る事ができない?】

「コデスさんなら分かるんじゃありませんか? フォガト墓所にいた時、コデスさんにはモンスターが近寄らなかったと思うのですが。」

【そういう事か。】


 フィリアの言う通り、コデスは自身の住まう部屋にモンスターが寄ってきたことがない事を思い出す。その原因もコデスは知っている。

 本能で動く者達は、危険を直感で感じ取り避ける傾向にある。危険なモンスター達もまた、自分達を脅かすものには本能的に近寄らない。

 強大なアンデッドであるコデスには、下位のアンデッド達は本能で恐れて近寄らなかった。

 それと同じように考えれば、この迷宮を漂う死霊達もまたには近寄らないという事なのだろう。


【じゃあ、神はいるんじゃないか?】

「それが神なのかは分かりませんが、死者ですら恐れる存在がいるのは確かです。」

【どちらにせよ会いに行くのは遠慮したいが。】

「死の王が何日和ってるんですか。」

【ひ、日和ってねーし。】

「あ、そこ落とし穴あるんでぴょんと飛び越えて下さい。」

【うおっ! もっと早く言え!】


 慌ててぴょんと飛び跳ね、よたよたとするコデス。

 歩きながらちらりと顔だけ後ろを向けて、フィリアはくすくすと笑う。


「嘘です。」

【……貴様マジで許さんからな。】

「今度は足元の糸に気をつけて下さいね。」

【ふん。続け様にそんな嘘】


 カラーン!と骨が転がる小気味の良い音を立てて、コデスはけっ躓いてすっ転んだ。今度は本当に糸があった。

 あまりにも綺麗に転んだので、フィリアは足を止めて少し申し訳無さそうな顔で戻ってくる。

 そして、うつ伏せのコデスの前にしゃがんで頭を撫でた。


「……生きてます?」

【……死んでる。】

「そうでした。」

【こういう風にどれが本当なのか分からなくなるからマジでやめろ。】

「……ちょっと調子に乗りました。今回は流石にごめんなさい。」


 フィリアは素直に謝った。

 むくりとコデスが起き上がる。

 幸いただの足を引っ掛けるだけの罠だったので、コデスは転んで恥をかいただけだった。


「怪我なくて良かったです。骨折とか。」

【人間の罠程度で傷を負う我ではないわ。……こういう陳腐な罠の方が精神的ダメージは大きいけどな。】

「凄く格好悪かったです。」

【傷口を抉るな。】


 コデスに精神的ダメージはあったものの、問題なくフィリア達は先に進む。

 ここからはもうフィリアも悪戯を仕掛けなかった。

 無数に仕掛けられた罠を躱しつつ、入り組んだ迷宮を進んでいく。

 どれくらい時間が経ったのか、薄明かりしかない地下空間では時の流れすら分からない。




 やがて、開けた空間が見えてくる。

 

「やっと見えてきた。あそこですね。」

【……帰り道が億劫になるな。】

「それは言わないお約束です。」


 ここまでの道のりと罠を避ける面倒臭さを思い出せば気が滅入るところだが、とりあえず辿り着いた目的地へ踏み入る事を考える。

 開けた空間の手前に一歩踏み込んだところで、コデスはぶるりと身を震わせた。


【……確かにはいるようだ。】

「ですね。」


 死の王を自称する、最上位のアンデッドのコデス。

 彼でさえも感じる"触れてはならない"存在の気配。

 コデスに幽霊は見えないが、幽霊がこの空間に近寄らない理由をその身で理解する。

 一方、コデスの目の前に立つフィリアはまるで臆した様子を見せない。

 "不変かわらずの呪い"を持ち、決して変わらないが故の慢心なのか。それとも、コデスでさえも従える死霊術師ネクロマンサーとしての自信なのか。

 コデスでさえ身を震わせる存在を前にして、フィリアはまるで動じた様子を見せない。


【貴様の"呪い"も、貴様の死霊術も通じない相手かも知れないぞ?】

「本当にそう思いますか?」


 コデスがフィリアの横に並ぶように歩を進める。

 そして、あまりにも動揺が見られないフィリアが気になり視線をフィリアの横顔に落とす。




 フィリアは笑っていた。

 いつも見せる悪戯っぽい笑みでも、人をからかう嗤いでも、子供っぽい笑顔でもなく、時折見せる大人びた微笑でもなく……。


 ただでさえ大きな目を更に見開いて、口角をつり上げた、何かに酔いしれるような不敵な笑いであった。


 何故、これ程の存在を前にして笑えるのか。

 まるで待ち望んでいた何かを、期待していた何かを見るような、そんなフィリアの表情の前に、呼吸を必要としない筈のコデスが息を呑む。


【……大丈夫か?】

「なにがですか?」


 フィリアは横に立つコデスを見上げた。

 そこにはいつもの無邪気な子供のような笑顔が戻っていた。

 

【……先に我が行った方がいいか?】

「大丈夫ですよ。私が行きます。」


 珍しくコデスはフィリアに気を遣うような事を言う。

 そんなつもりは全くないし、そうしたい訳でもなかったのだが、何となくフィリアを先に行かせない方がいい気がしていた。


【いや。何かあったらまずいだろう。我が行こう。】

「それじゃあ一緒に行きましょう。」


 フィリアはくすりと笑って、コデスの人間の皮を張り付けた手をきゅっと握った。

 温度を感じない筈のコデスの指先は、ひやりとしたものを感じた気がした。


 二人揃って一歩踏み出す。

 その先に待ち受けているものは何か。



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