第6話 死の王は人を知らない
広大な"死の森"で、時折森に呑み込まれた死んだ土地に足を止めて、あっちへ行きこっちへ行き歩き続ければやがて鬱蒼と生い茂る木々の隙間から一際眩い光が覗いた。
そこは"死の森"の出口。
広大な森の出口をようやく見つけて、死の王コデスは嫌いな陽光が初めて恋しいものに思えた。
【やっと出られるのか。】
「あれ? 暗くてじめじめしたのお好きなのでは?」
【それならあんなカラッカラの墓所に住まんわ。】
「それもそうですね。」
ガサガサと最後の藪を掻き分け、フィリアがぴょんと外に歩み出れば、コデスも後に続いて外に出る。
広がったのは広大な草原と、森から少し離れた位置に見える整えられた土の道であった。
開けた空間、程よくからっとした空気、暖かい陽気に、初めて感謝しつつすぅ~っと息を大きく吸いこむコデス。勿論、白骨の身体には既に肺もなく、普段から息をしていないので気持ちだけの呼吸である。
「コデスさん。ちょっとお顔を貸して下さい。」
【なんでだ?】
「いいから。」
隷属の印を刻まれ、フィリアとの主従関係にあるコデスはフィリアの命令を拒めないようになっている。普段ある程度軽口を叩いて、文句を言えるのはフィリアが禁じていないからである。
こうしてきちんと命令という形で指示を出されたら従わざるを得ないのだ。
不満げに歯を食いしばりつつ、コデスは膝を折ってフィリアの近くに
フィリアが髑髏をさっと手で撫でる。
【うおっ! 急に何だ!?】
「もういいですよ。」
【今何をした!?】
顔に走った妙な感覚に、ぺたぺたと何が起こったかを確かめるようにコデスが自身の顔を触った。
【……ん?】
ぺたぺた。
骨のみになったコデスの手のひらが、髑髏を触ったのだから、コツコツと、硬いものが触れ合う音がするはずであった。
しかし、まるで肌が触れ合ったような音が鳴り、コデスは違和感に気付く。
フィリアはドレスのポケットに手を突っ込み、丸い何かを取り出した。丸い何かはぱかっと開き、フィリアは開いた蓋をコデスに向ける。
「こうなってます。」
丸い何かはコンパクトか……もしくは大きいペンダントのようなものだった。
古びた写真が収まったそれの蓋には丸い鏡がはめ込まれており、コデスの姿を映し出す。
……筈なのだが、そこには見知らぬ男が映っていた。
【……誰だこれ?】
「コデスさんです。」
【……は?】
コデスは鏡をじっと見つめる。
すると、鏡の中の男もじっとコデスを見つめ返してきた。
「鏡って知ってます? 鏡を初めて見た犬みたいな反応ですけど。」
【鏡くらい知ってるわ! 誰が犬だ!】
コデスは鏡を知っている。更に言うと、かつて居たダンジョン、フォガト墓所で宝物の鏡を覗き込んだ事があるので自身の髑髏の顔を知っている。
フィリアが鏡と言ったそれに映る顔は、まず間違いなく自身の顔ではないとコデスは断言できる。
しかし、コデスが喋れば、鏡の中の男も口をそれに合わせてパクパクとさせる。
コデスが顔を動かせば同じように男も動く。
コデスが顔に手を当てれば、同じように男も顔に手を当てる。その手は白骨ではなく、皮と爪が張り付いた普通の人間の手であった。
【何だコレ気味悪いな……!】
自分の動きを真似する男……否、ここまで動きがピタリと被るとこれが自分だとしか思えなくなる。
更に気味の悪いことに、鏡に映った男はパクパクと口は動くのだが、目は全く動かない。瞬き一つする事なく、見開いたままの目でコデスと同じ反応をする。
ここまで来るとコデスも流石に気付いた。
自身の手のひらに視線を落とす。
そこにあったのは鏡に映った人間の手であった。
ぺたぺたという音は、自身の顔と手のひらが触れ合い鳴った音だ。
そして、鏡に映る自分と全く同じ動きをする人間の男の姿。
鏡に映るのは自分自身。この男はコデスなのだ。
【貴様何をした!?】
「人間の皮を張り付けて、眼球を埋め込んで……。人間っぽさを再現しました! あくまで皮しか張ってないので、骨の身体の動きにしか対応してないですけどね。瞬きとかできないでしょう?」
【なんでこんな事した!?】
人間の皮を張り付けられて、人間の男の姿に変えられてしまったコデス。
突然の仕打ちに異議ありと言わんばかりに前のめりになるコデスに、フィリアはじろりと呆れたような視線を返す。
「フォガト墓所みたいなダンジョンとか、死の森みたいな半分ダンジョンみたいなところならともかく、これから人間にも会うかも知れないのに全身白骨のモンスター姿じゃ困るじゃないですか。みんな逃げていきますよ。」
【た、確かにそうだな……って、いや! 何で我が人間に気を遣わなければならないのだ!?】
「郷に入っては郷に従え、って言葉知ってます?」
【知っているが! 貴様は人類を皆殺しにしたいのではないのか!?】
「何物騒な事言ってるんですか。」
フィリアはドン引きしたように目を細める。
いやいやいやと首を振って、コデスは反論する。
【貴様言ってたじゃん!?】
「え? ……いや、『この世界のすべての生物が死に絶えるところを見届けたい』とは言いましたけど。私自ら手を下すとは一言も言ってませんよ?」
フィリアは確かに言っていた。
この世界のすべての生物が死に絶えるところを見届けたい。
そして、全ての死体を愛したい。
「私の事そんなにヤバイ奴だと思ってたんですか?」
【……すまん。勘違い……いや、それ除いてもヤバイ奴ではあるだろ。】
一瞬フィリアの冷たい視線に負けかけたが、冷静に考えてもヤバイ奴には変わりなかった。
ギリギリで冷静になったコデスを見て、てへっと舌を出してフィリアは笑った。
「確かに!」
【自分で言うのか……。】
フィリアもヤバイ奴の自覚はあるらしい。
「とにかく。出会い頭に殺戮していくような旅じゃないですから。それともそういうのがお望みだったんですか?」
【いや……そこまで人間に興味がないな。迷惑掛けてきたら殺すが。】
「モンスター扱いされて騒がれるのも面倒でしょう? 面倒事はないに越した事はないじゃないですか。」
【むう……。】
コデスは死の王と名乗るだけあり、非常に強力なアンデッドだ。
指先一つで触れずに人を殺すことができる。
人を殺めるのに大した労力を使わないが、消耗しないという訳でもない。
フォガト墓所に居た頃も、出会った相手は片っ端から殺めてきたが、そもそも来訪者自体が珍しかったのでそこまでしょっちゅうのように殺戮していた訳ではない。
モンスター扱いされて人間の群れに絡まれるのは流石に疲れそうだとコデスも思ったので、なんとはなしに不服ではあったが受け入れる事にした。
【だがもう少し何とかならなかったのか? なんか……この顔……こう……。】
「もっとイケメンにして欲しかったんですか? 変に目立たないように地味な顔にしたんですけど。」
【そういう事ならまぁ……。】
鏡に映る顔を見て、何がどうとは言わないがもやもやした気分のコデス。
そんな様子を見て、あははと面白そうにフィリアが笑う。
「まぁ、人の少ない場所に入ったら剥がしてあげますから。我慢です。我慢。」
【そんな子供を躾けるみたいに言うな。】
「ふふん。大人ぶる前に身なりくらいしっかりしてください。ほら、汚れてますよ。」
コデスの纏うローブをパンパンとフィリアが叩く。
死の森を潜り抜けてきた事もあり、コデスのローブはあちこちが汚れて、葉っぱや枝が纏わり付いていた。
【自分でできるわ。貴様は我のママか。】
「コデスさんはお母さんのことママって言うんですね。可愛い。」
【貴様に合わせて言ってやっただけだが!?】
バッとフィリアから離れて、コデスはローブをぱんぱんと叩く。
その様子を見て楽しげにフィリアはくすくすと笑った。
不服げにローブをはたきながら、コデスはフィリアを睨み付ける。
(こっちもやり返してやろうか。)
フィリアの身なりが乱れている事を指摘してやろうかと、コデスは粗探しを始めたのだ。フィリアもコデス同様に死の森を藪を掻き分け抜けてきた。何処かしら乱れたところがある筈だ、と。
しかし、何も見つからなかった。
(……?)
不自然なくらいにフィリアには何の変化もなかった。
ひらひらとしたドレスに乱れは一切なく、髪の毛も出会った頃から僅かほども乱れていない。
葉っぱの1枚もくっついていなければ、これまでの旅路で少しくらいはついていそうな汚れ一つすら見当たらない。
まるで新品の人形であるかのように、フィリアの姿は全く変わらなかった。
今までさしてフィリアの見た目は気に留めていなかった。
見た目どころかフィリアについて考える事もなかった。
その変わらない様があまりにも不自然である事に、仕返しをしようとして初めてコデスは気付いた。
(そもそも人間は、何かを食わないと、何かを飲まないと生きられないのではないのか……?)
コデスがフィリアに従えられてから、此処までの旅路は少なくとも数日は経過している。人間は糧を得なければ生きられない事は知識としてコデスも知っている。
しかし、知っている事と気付けるかはまた別の話。
自身は何も食べず何も飲まない為にコデスは全く気付かなかった。
何かを食べ何かを飲まなければいけないはずの、目の前の人間が何も口にしていない事に。
そもそも、目の前にいるのは人間なのか?
【……貴様は人間ではないのか?】
「え。急に酷い事言いますね。」
フィリアはぎょっとした。
「人間に見えませんか?」
【……。】
両方の頬に指を当てて、首を傾げるフィリアをコデスはまじまじと見つめる。
どう見ても人間である。アンデッドだからこそ分かる"生気"もしっかりと感じられる。少なくともアンデッドや人形のような"生"のない存在ではない。
コデスがまじまじと見つめると、フィリアはくすりと笑った。
「言いましたよね? 私に興味を持ってくれたら、秘密を少し教えてあげるって。」
【教えてくれるのか?】
コデスが問えば、フィリアはにっこりと笑って頷いた。
コデスにフィリアに対する興味が生まれた。確かにフィリアの事を聞きたいと思った。
それに対して、フィリアは約束通り、隠す事無く秘密を話してくれるらしい。
「まず、私は人間です。」
【人間は何も飲み食いせずとも数日間生きられるのか?】
「人間の事をご存知ないのです?」
【そんな人間を知らないから聞いている。】
「そんな人間が私なんです。」
フィリアは困った様に苦笑した。
「それでも私は人間です。ただ、他の人とは少しだけ違うところがあるのです。」
【違うところ?】
「私、呪われてるんです。」
フィリアの言葉を聞いたコデスが固まる。
そんなコデスの反応を見て、フィリアは「あっ。」と声を漏らした。
「ご安心を。
フィリアはその場でくるりと回る。
ドレスのスカートがふわりと膨れる。
スカートの端をちょんと指で摘まんで持ち上げ、フィリアは首を傾けて笑った。
「"
スカートの端をぱっと離す。
「身長は伸びません。体重も増えません。髪も伸びません。傷が付く事もありません。汚れる事もありません。お洋服も汚れもしませんし破れもしません。細胞も増えも減りもしませんし。代謝も行われません。エネルギーも消費しませんし……。」
指を何度も折って、広げてを繰り返し、途中で面倒臭そうにぱっと両手を広げて、フィリアはうふふと楽しそうに笑った。
「……とにかく、私は変わらないのです。」
変わる事ができないという呪い。
フィリアはずっとこの姿のままなのだという。
これからもずっと?
(……それは、いつから?)
戯けたようにターンして、笑みを浮かべ、自身を"可愛い"と恥ずかしげもなく言い、自身の"呪い"について語ったフィリア。
楽しそうな姿を見て、コデスは疑問に思う。
(それは望んだものなのか?)
望んだものなのであれば、"呪い"等と呼ぶだろうか?
変わらずにいられる事を望むものもいるだろう。
しかし、"死"を愛すると語った彼女にとって、不変は果たして幸福なのか?
【貴様が何も飲み食いもせず、服を全く汚さない理由はよく分かった。】
「ご納得頂けて何よりです。」
【貴様が疲れたと嘘を吐いて我に抱っこさせた事もよく分かった。】
「あ。」
フォガト墓所から出て死の森までの道のり、疲れたから抱っこしろとフィリアは言った。
まぁ、嘘だろうと思っていたが、やっぱり嘘だった。
フィリアは視線を斜め上に「あ~。」と泳がせてから、こつんとげんこつを額にあてて、ぺろっと舌を覗かせた。
「……てへっ。」
【てへじゃないが。その舌引っこ抜くぞ。】
「コデスさんはデスだけじゃなくて閻魔大王様にもなるつもりなんですか?」
【なんだそれは。】
「あ、違う文化圏でしたか。忘れて下さい、こっちのお話です。」
フィリアはふふんと楽しげに笑い、くるりと身を翻す。
「さて、私にひとつ興味を貰って一歩前進です! 旅の方も前進しちゃいましょう!」
コデスはフィリアの事がもっと知りたいと思った。
しかし、こいつにがっついていると思われるのも癪なので、グッと呑み込み話を逸らした。嘘を吐いて抱っこを促した事などは正直どうでもよかったのだ。
(別に急ぐ話でもない。)
そう思ってから、それなりに長く旅するつもりの自分に気付いて、やっぱりコデスは毒されている自分自身が癪に思った。
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