第5話 少女は生者を愛さない
砂地の果てに、青々と茂る木々が見えてくる。
【ほう。此方には森があったのか。】
「あれ? ご存じないのですか?」
【墓所から出たのは初めてだからな。生まれ持った知識にもこんな森はなかったし。】
死の王、改めコデスは生まれながら(死んでいるのだが)にしてこの世界の知識を持っていた。そして、生まれてこの方滞在していたダンジョン、フォガト墓所から出た事はなかった。
この世界の基本的な知識こそ抑えているものの、墓所に居た頃の世界の変化には詳しくない。少なくともこの森は、コデスが生まれた後に現れたものなのだろう。
言ってからコデスはハッとした。
フィリアに無知をからかわれるかと思い、迂闊な発言を後悔する。
しかし、フィリアは特にからかう事なく話し始める。
「あれは"死の森"と呼ばれる"生きた森"です。」
【……死んでるのか生きてるのかどっちなんだ?】
不思議な説明にコデスが質問を返せば、フィリアは続けて説明する。
「あの森は今も常に広がり続けているんです。周囲の環境なんてお構いなしに。」
【広がり続けている?】
「森の周囲に草木を生やし、そこも森の一部に変えていくんです。こちら側の砂地も以前はもっと広かったんですよ。それが浸食されてきているんです。いずれはフォガト墓所もこの森に呑み込まれていたんじゃないですかね。」
【ほう。生きているように成長を続け、広がり続けているから"生きる森"という事か。】
「その通りです。」
コデスはふむと感心したように頷く。
そして、先程の後悔など忘れて続けて疑問を口にした。
【"死の森"というのはどういう事だ?】
「さっき言いましたよね。周囲の環境なんてお構いなしにって。」
【ああ言ってたな。砂地だろうと呑み込むと。】
「人間の営みがあろうともお構いなしに広がるんですよ。あ、もう降ろしてくれていいですよ。」
フィリアがそう言うと、コデスは言われた通りに抱えたフィリアを地面に降ろす。
最初から演技だとは分かってはいたが、当然のように軽やかな足取りでフィリアは地面に降り立った。
「周囲にあった人間の集落も呑み込んでいるんです。」
【え……。】
「井戸や畑も駄目にされて、住居も木の根に押し潰されて……他にも色々ありますが。とにかく呑み込まれたら最後、もうその集落では暮らす事はできません。故に"死の森"と呼ばれ、この森は恐れられているのです。」
そこまで話を聞いたコデスはずずっと後ろに
【……此処に入るのか?】
「そうですけど。」
コデスはもう一歩後退る。
【大丈夫なのか? ほら。死体は養分になったりするだろ。我、骨じゃん。呑み込まれたりしない?】
「え? もしかしてビビってるんですか?」
【ビビってねーけど!?】
コデスの声が一際でかくなる。
実際コデスはビビっているのである。
アンデッドは耐性が多い一方で弱点も多い種族である。
多くのアンデッドは陽光を苦手とするし、炎や聖なる力といった浄化の力を持つものを弱点とする。
コデスは死の王を名乗るだけあって、本来弱点になりうるものへのある程度の耐性を持ち合わせてはいるものの、「苦手じゃない」だけで「得意でもない」。できれば避けたいものなのだ。
死体を糧として成長する植物というものは、アンデッドであるコデスからしたら本能的に恐ろしいものなのである。
フィリアはクククと噛み殺す様に笑う。
「大丈夫ですよ。呑み込むと言っても長い時間を掛けての事です。そんな一瞬で草木が生えてくる訳ないじゃないですか。」
【そ、そうなのか?】
「森を抜けてからしばらくしたら頭からキノコが生えてくる事はあるかもしれませんけど。」
【それ大丈夫なのか!?】
「嘘ですけど。」
【んなっ!?】
からかわれている事に気づき、コデスは顔がかっと熱くなるのを感じる。勿論、血肉のない白骨が紅潮する事などなく、気のせいである。
そんなコデスを見てぷっと噴きだし、フィリアは笑いを堪えるように肩を震わせながら歩き出した。
【別にビビってた訳ではないからな!】
「はいはい。コデスちゃんは強いですからね。……ぷぷ。」
【ちゃん付けはやめろ!】
後退りして尻込みしていたアンデッドはどこへやら、スタスタと"死の森"に踏み入っていくフィリアに続く様にコデスも森へと踏み入った。
とても冒険には似つかわしくない可愛らしいひらひらとした黒いドレスを纏ったままに、フィリアはお構いなしに入口とも道とも思えない草を掻き分けて進んでいく。
コデスも鬱陶しそうに草や枝を払いながらフィリアの後に続いた。
フィリアに煽られ踏み入ったのだが、ある程度歩いてフィリアが押し退けた枝が弾んでピシッと顔を叩いた時、コデスはようやく疑問に思う。
【なんでこんな所に入るんだ? しかもこんな通り道でもないところから。】
質問してからコデスは更におかしな事に気付く。
そもそも、このフィリアという
最初に出会った"フォガト墓所"は危険度最高のS級ダンジョンと評される危険地帯であり、ここ"死の森"もまたふらりと立ち寄るような観光地には見えない。
こんなフリフリとしたドレスを身につけた、良いところのお嬢さんのような娘がどうしてその身一つで旅をしているのか。
しかも、今更気付いたのもおかしな話だが、フィリアは本当にドレスのみでバックパックのような旅の支度をまるでしていない。
まるで近所にお散歩にでも出かけてきたかのような身軽な装いなのである。
規格外の
コデスの質問に、草木を掻き分けながら進み続けるフィリアは答えた。
「…………"死の森"。とっても素敵な響きじゃないですか? そうとなったら、入らないといけないでしょう?」
【そうはならんやろ。】
フィリアに対して質問をすると、真面目に答える事もあれば、どこか戯けた調子で返される事もある。今のはまさに後者のような声色だった。
しかし、不可思議さに気付いた今、そんなもので誤魔化されずにコデスは更に聞く。
【"死の森"に限った話じゃない。"フォガト墓所"にしてもそうだ。あそこはふらっと迷い込める場所じゃない。貴様は一体何を目的として旅をしている?】
「…………。」
フィリアは無言で進み続ける。
答えを催促しようとコデスが口を開こうとすると、そのタイミングで丁度ぴたりとフィリアは足を止めた。
そこは、草木に埋もれながら進んで来た道中から突如開けて、広々と視界を確保できる空間であった。
開けた空間に出たところで、フィリアはようやく振り返った。
「……だから、言っているじゃありませんか。素敵な場所は尋ねたくなるなるでしょう? いわば私の旅は死に満ち溢れた土地を廻る"死地巡り"なのです。」
【"死地巡り"……?】
"死地巡り"。妙な単語が飛び出して、コデスも流石に困惑する。
死を愛する
彼女の思考は高位アンデッド、死の王コデスにも分からない。
【どうしてそんな事を?】
「好きな事に理由なんていりますか?」
にこりと笑って答えるフィリア。
コデスはその笑顔を見ても納得していなかった。
感情の動き全てに理由がある訳ではない。
理由や理屈がなくとも何かが好きになる事はあるだろう。
しかし、果たしてたったそれだけの説明の付かない曖昧な"好き"の感情が、多大な労力を割いて危険な土地を巡る程の原動力になり得るのだろうか?
フィリアには、"死地巡り"などをしているのには大きな動機があるのではないか?
そこまで考えて、コデスは【ふん。】と腕を組んだ。
【分からんな。我には"好き"等という感情はないのだから。】
アンデッドにはそんな前向きな感情なんてない。
あるのは恨み辛み怨念といった負の感情のみだ。
そういう
フィリアは僅かにきょとんとしたものの、少し遅れてハッとした後に唇を尖らせた。
「私の事好きなんじゃないですか?」
【馬鹿言え好きになる要素が何処にある?】
「こんなに可愛い女の子が好きじゃないとか気が狂ってるんじゃないですか?」
【そりゃあアンデッドだからな。むしろどうして正気だと思った?】
珍しく言い返してくるコデスに少し怯み気味のフィリア。
ここぞとばかりにコデスは続けた。
【"お友達"なのだろう? 適当にはぐらかさず理由ぐらい話したらどうだ?】
その一言がどうやらフィリアには効いたらしい。
珍しくぐっとバツの悪そうな顔をして、視線を横に逸らす。
「…………。」
フィリアは何も言わずに逸らした視線の方向に歩き出した。
コデスはおいと呼び止めようとしたが、何かに惹き寄せられるようにふらふらと歩いて行く様子を見て、何も言わずに後に続く。
コデスは此処がただの開けた空間だと思っていた。
フィリアとのやり取りに気を取られていた事もある。
しかし、そんな要素がなくとも気付けていたか怪しい程に、そこは本来あるべき姿から掛け離れていた。
【…………人里、だったところか?】
踏み出すと、その地面は草木に覆い隠された石畳である事に気付く。
そして、周囲に立ち並ぶ樹木だと思っていたものは、よくよく目を凝らして見れば、苔に覆われ木々に呑み込まれた石造りの建造物だった。
先程フィリアは語った。
あらゆるものを呑み込んでいく。それがたとえ人の営みであったとしても。故に"死の森"。
ここは"死の森"に呑み込まれたかつての人里なのだ。
フィリアはふらふらと惹き寄せられるように木々の間……かつての街道であったと思われる道を歩いて行く。
道を進んでいくと、やがて一際巨大な大樹の前に辿り着く。
そこは此処までの道のりよりも更に草が生い茂り、苔の生えた小さな石が、崩れた状態であちこちに散らばっていた。
ふらふらと歩いて行ったフィリアは大樹の前でようやく立ち止まる。
ぼんやりと大樹を見上げるその目は、大樹というよりも別の何かを見つめているように見えた。
【……この木がどうした?】
フィリアは答えない。
むっとしたものの、どうにもその表情が悲しげに見えたので、コデスは文句を呑み込みフィリアを放置して大樹に歩み寄る。
大樹の根元に歩み寄り、苔の下に僅かに石が見えた。骨の指で僅かに苔をそぎ落として、コデスはようやくその大樹の下にあるものを知る。
【慰霊碑か。】
それは無数の名前と慰霊の文言が彫り込まれた石碑であった。
「慰霊碑であり共同墓地のようなものです。その下に眠っている人がいますよ。」
フィリアの言葉の信憑性はコデスはよく分かっている。
フォガト墓所でフィリアには死者の魂が見えている事は身をもって体験している。
【これが貴様の目的だったのか?】
「いいえ。死の香りに誘われて、辿り着いたのが此処だったというだけです。」
似たような事をフォガト墓所でも行っていた事をコデスは思い出す。
死者の魂に誘われて、ふらふらと旅をしているという事なのだろうか。
「"死の森"に呑み込まれて、街ごと放棄されてしまった哀れな人達。可哀想に。もう誰も慰める人がいないなんて。」
フィリアは両手を受け皿のようにして前に差し出す。
コデスの目には何も見えないが、受け皿の手は何かを液体を掬い上げているようで、零さないように時折手を動かしているように見えた。
しばらくすると、フィリアは目を閉じて、手に注がれた液体を飲むかのように、受け皿を口につけて傾ける。喉元が何かを呑み込むように波打つのが見えた。
手の受け皿を傾け終えると、フィリアは手を下ろしてふぅと一息つく。
そして、目を開けたタイミングで、その光景をぽかんと見つめていたコデスが口を開いた。
【何をした?】
「……嫉妬しません?」
【何で我が嫉妬するんだ。】
フィリアは森に入ってから見せていなかった、ようやく出会った頃から見せていた、からかうような笑みをくすくすと零した。
「此処の人達とお友達になりました。これでずーっと私と一緒です。」
【……さっき呑み込んだのは此処にいた幽霊なのか?】
「まぁ、そんな所です。どうです? 嫉妬しました?」
【するかバカ。】
「あ。バカは酷いです。」
フィリアはむっとしたフリをしてから、大樹に再び視線を向けた。
「埋めた死体が木になって、美しい花を咲かせたら、木として花として新しい生を得た死者は浮かばれる……なんて事はないんですね。」
慰霊碑の下に埋められた多くの死者を養分に育った大樹。
その大樹の周りには、死者達の幽霊だったという。
浮かばれない魂をフィリアは呑み込んだ。
【貴様は浮かばれない魂を救ったのか?】
「はてさて。私がそんな聖人に見えますか?」
【見えない。】
「ひどい。くすん。」
フィリアは目元に手を当て泣き真似をする。
いちいち突っ込むのも面倒なので、コデスが黙って見ていれば、手で隠した目をちらりと覗かせ、フィリアは様子を窺った。
何を言うでもなくじっと見ているコデスを見つめ返して、手を下ろしたフィリアはふぅと息を吐いて笑みを消す。
「私は生者が大嫌い。」
【貴様も生者なのにか?】
「生者は簡単に嘘を吐く。だから私は生者が嫌い。死者は伝えたい事は真っ直ぐ伝える。それが未練でも怨念でも。私はそっちの方が好き。」
【……?】
フィリアはハァと溜め息をつく。
あどけない子供の表情。悪戯っぽい少女の表情。今まで見せてきた表情とは別物の、大人びた女がそこにいた。
「嫌いなものと同じ事はしたくないよね。だから、包み隠さずお話する。」
【貴様が旅をする理由か?】
「それはどうかな。」
【話すというのは嘘なのか?】
「話すとは言ったけど。それは今とは言ってない。」
フィリアはくすくすと良く見せる笑みを顔に戻した。
「コデスさん。あなたは私に興味がないでしょ?」
【……それがどうした?】
「否定はしないんですね。まぁ、それでいいです。」
困った様にあははと笑って、フィリアは自らの胸に手を当てる。
「あなたが本心から私に興味を持つ度、私の秘密を教えてあげます。そして、いつかあなたが私に恋して結ばれるとき、私のすべてを教えてあげます。」
【……それじゃあ一生知れないだろう?】
「それなら一生付き合ってもらいます。」
フィリアの悪戯な笑みに、コデスは同じく悪意に満ちた笑みを浮かべる。
【儚い人の一生だ。その程度ならあっという間だ。】
「勿論、その時を待って下さって結構ですよ。」
フィリアは笑う。何処か物寂しげに。
「二人を死が別つ日を、迎えられるものならば、私は喜んで受け入れますよ。」
【……?】
「……さて、"死の森"は用事は済みました。それでは再び歩き出しましょう。」
フィリアはくるりと身を翻し、気の向くままに歩き出す。
コデスは離れられないその背中を、再び追い掛け歩き出す。
死を求めて少女は歩く。
死という終わりを求めて歩く。
それは終わりへと向かう旅路。
死の王と少女が結ばれて、幸せな最後を迎えるのか。
死の王と少女を死が別ち、幸せな最期を迎えるのか。
旅はまだまだ始まったばかり。
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