第4話 死の王は名前を持たない




 フォガト墓所から外に出る。

 長く墓所に住まう死の王は、墓所に仕掛けられた罠の位置も把握しており、更に墓所のアンデッド達に絡まれる事もない。

 特に苦労をすることもなく迷宮のような墓所を抜ければ、久方振りの陽光に当てられ目を暗ませた。


「日の光は大丈夫ですか?」


 少女フィリアが問い掛ける。

 アンデッドの中には陽光を弱点とするものもいる。


【好きではないが苦手ではない。】


 とはいえ最上位に位置するアンデッドである死の王。

 当然陽光に対する耐性を始めとして、アンデッドの弱点に対する多数の耐性を持ち合わせている。

 種族の気質として決して好きとは感じないのだが。


【むしろ貴様の方こそ大丈夫なのか?】

 

 フォガト墓所は広大な砂地の中に佇んでいる。

 砂地には侵入者を阻むように頻繁に砂嵐が吹き荒れており、雨が降ることのない大地は強烈な太陽が照りつけている。尋常ではない熱さの陽光には、たとえアンデッドでなくとも苦労させられるであろう。

 如何にも熱そうなひらひらとした黒いドレスを纏ったフィリアは、この暑さに参ってしまわないかと死の王が逆に問えば、うふふと頬に手を当てフィリアが笑った。


「心配して下さるんですね。嬉しい。」

【べ、別に心配してないが?】

「大丈夫ですよ。全く困らないです。」


 さらりと答えたフィリアの答えに死の王は大した疑問を抱かない。

 まぁ、フォガト墓所まで辿り着いたのなら、当然ここまでの道のりを踏破したという事だろう。

 こんな少女がどうしてそんな事をできるのか?

 そんな疑問は死の王でさえ支配下に置く死霊術師ネクロマンサーという時点で、そもそも高レベルな人間なのだろうと勝手に納得した。今更暑さに参っていない程度で驚く事もない。


 死の王は砂地を歩き出す。

 その時、フィリアが「あっ。」と声を漏らした。

 先に歩き出そうとした死の王が止まって振り返ると、口元に手を当てたフィリアが急に悩ましげな顔つきになった。


【どうした?】


 フィリアはその場でしゃがみ込む。

 

「急に疲れが出てきました……足が痛いなぁ……。」

【さっきまでピンピンしてたのにか?】

「これ歩けないかも知れません……誰かお姫様抱っことかしてくれないかなぁ~。」

【…………。】


 わざとらしい声色と目配せを見て、死の王は大方フィリアの言いたい事を察した。

 ふぅ、と溜め息をついてから死の王は言う。


【貴様は我が主人なのだから、命じれば良いだろう。】


 死霊術師ネクロマンサーの死霊魔術にて、現在の死の王はフィリアの支配下にある。命じられれば逆らえない立場にあるのだ。

 しかし、フィリアは頬を膨らませて、唇を尖らせた。


「主人じゃなくてお友達ですよぉ。お友達に命令なんてする訳ないじゃないですか。」

【じゃあどうしろと言うのだ。】


 死の王が面倒臭そうに尋ねる。


「お友達として、おのずから心遣いを見せて欲しいんですよぉ。」

【それは命令と何が違うんだ?】

「気持ちの問題です。」


 面倒臭いと思いつつ、これ以上問答を続けても余計に面倒臭いと理解した死の王は、やれやれと首を振ってフィリアに歩み寄る。

 そして、骨の腕をフィリアの体に伸ばすと軽々とひょいと持ち上げて見せた。


【これで満足か。】

「硬くてあんまり気持ちよくないですね……。」

【おい。】


 硬くて当然、死の王は全身白骨である。

 死の王はこのままフィリアを放り投げたくなったが、放り投げようとする手は動かない。


(隷属の印で縛られているのか。)


 死の王に刻まれた隷属の印。

 主従関係を示す印が、恐らくは死の王のフィリアへの反逆的な行動を抑制しているのだろう。

 隷属の印の効力を身をもって知った死の王は、墓所でフィリアに即死魔法が通じなかった理由も察する。

 恐らくは最初の告白の問答で、既にフィリアに隷属の印を刻まれていた事で、主人への安全装置が既に働いていたのだろう。あの時には既に主従関係が構築されていたがために、フィリアを害する即死魔法が無力化されていたのだろう。


(つまり、こいつも無敵ではないという事か。)


 死の王はフィリアが規格外の化け物だと思い仕方が無く隷属の印を受け入れたが、決して隷属に納得している訳ではない。

 即死魔法が通じない理由が分かり、フィリアが無敵の生物でないと分かれば永遠に付き従うつもりはない。

 何かしらの方法でフィリアを始末できれば、隷属の印は解除されるであろう。

 死の王は僅かな希望を見いだして、心の内で笑みを浮かべた。


【文句があるなら降ろすぞ。】

「んー。せっかくですのでこのまま運んで下さい。」

【……はいはい。承りましたご主人様。】

「そこは、『喜んで運ぶよハニー!』とでも言って欲しいです。甘い声で囁くように。」

【……我々は友人なのだよな?】

そうですね。」

【友人がそんな事を囁くのか?】


 フィリアは目を潤ませて死の王を見上げる。


「……駄目なんですか?」

【……。】


 死の王は溜め息をついた。

 拒絶の言葉を吐こうとしたら、存在しない筈の喉が焼ける様な感覚で声が遮られた。これは"お願い"ではなく"命令"なのだ。


【ヨロコンデハコブヨハニー。】

「なんか心がこもってませんねぇ。」

【ないものをこめられる訳がなかろうに。】

「ぶー。まぁ、今はそれでいいです。とりあえず北東の方角に向かって下さい。」

【はいはい。承りましたご主人様。】

「だーかーらー。」

【ヨロコンデハコブヨハニー。】


 死の王は渋々歩き出す。

 熱い日差しに照らされながら、静かな砂地を進んでいく。

 変わらない景色の中、変化のない旅路が退屈なのか暫くしたらフィリアが口を開いた。


「今後私の事はハニーと呼んで頂くとして。」

【え。】

「え。嫌そうですけど。」

【…………。】

「…………じゃあ、ゆくゆくでいいですけど。」


 隷属の印で言葉にできない分、死ぬほど(死んでるけど)嫌な顔をして猛アピールしたところ、フィリアは妥協してくれた。どうやら何もかも強制するつもりはないらしい。

 ハニー呼びは回避できてほっと一安心したところで、フィリアは不満そうに口を尖らせながら話を続ける。


「あなたの事はなんて呼びましょう? 名前はないんですよね?」

【"死の王"でいいだろう。】

「それじゃ味気ないじゃないですか。あなたは私を"人間の小娘"とでも呼ぶんですか?」

【そう呼んでも構わないが。】

「もう! ハニーはゆくゆくでいいですけど、せめてフィリアと呼んで下さい! そっちのが短くて呼びやすいでしょ!」

【……それなら別に構わないが。】


 色々と癪だが、確かに名前で呼ぶ分には短くて合理的である。

 死の王も断る理由もないのでそこは受け入れた。


「で、私も"死の王"じゃない呼び方をしたいです。」

【"死の王"も別に呼ぶの面倒臭くないだろう?】

「気持ちの問題です! ペットを飼ったら名前付けたくなるでしょう?」

【我はペットなのか……。】

「友達ですよ?」

【もうなんでもいい……。なんとでも好きに呼べ。】


 どこまでが本気なのか、理解し難い相手にいつまでも喋るのも疲れるので、死の王は言い返さずに丸投げした。


「じゃあ"ホネホネスケルトン男爵"とか。」

【それはやめて。】


 先の考えを訂正する。

 丸投げしたらろくな事にならない。

 死の王がフィリアを見下ろせば、悪戯っぽくくすくすと笑っていた。

 どうやら、遊んでいるつもりらしい。このままでは変な名前を付けられる。


 死の王は考える。


 死の王には名前がない。気付いた時から自身が"死の王"と呼称されるモンスターである事だけは覚えている。

 アンデッドモンスターは死亡した生物から転じて生まれる。

 生前の記憶はうっすらとだが残っているが、不思議と自身を識別する名前などの情報だけがすっぽりと抜け落ちている。あくまで知識や知恵といったものが残っているだけで、前世の思い出などもない。

 そんな頭の中にある語彙力から、死の王はひとつの単語を捻り出した。


【……"デス"とでも呼ぶといい。神話に残る死の神の名だ。】

「王様じゃなくて神様になりたいと?」


 フィリアはくすくすと笑うが、死の王は気にした様子もなく答える。


【そんな大層な野望があるわけじゃない。知識にある名前を引き出しただけだ。】


 言葉通り、死の王に神にまで登り詰めるような気概はない。

 本当に記憶にある名前から、自身から連想できる単語を引き出しただけである。

 からかったようにくすくすと笑ったフィリアだったが、真面目な口調で答えた死の王を見て、笑みを引っ込めた。

 前を向いている髑髏を見上げて、フィリアは今度はからかったような笑みではなく、何か思うところがあるように口元だけで微笑んだ。


「私のお友達なんですから、神様にくらいなってくださいよ。」

【神様くらいって……貴様はどれだけ大層な存在なのだ。】


 呆れた様に死の王が言えば、横向きに抱えられたフィリアはぐいと上半身を起こす。突然力を入れられ死の王は【おい。】と慌てて前のめりになると、フィリアの両腕が前に傾いた死の王の首に絡みついた。

 死の王の首を引っ張るように身体を起こし、髑髏の耳元にぐっと顔を寄せたフィリアは小さな声で囁く。




「……もしも死の神様になれたのなら、私に死を与えてくれますか?」


 突然の言葉に死の王は思わず視線を落としてフィリアの顔を見た。

 うっすらと笑みを浮かべた顔からは、今の言葉に込められ感情を察する事はできない。

 今の言葉に妙な引っ掛かりを覚えたものの、死の王はふんと顔を上げた。


【貴様が主従関係を破棄すればすぐにでも殺してやる。】

「え~? それは嫌です。」


 くすくすとフィリアが笑う。

 どうやら解放する気は無いらしい。

 先程一瞬見えた表情は緩み、窺い知れぬ感情は隠れてしまった。

 フィリアは死の王の首から手を離し、再び骨の腕に身を任せる。


「どうぞ、自力で私の支配を振り解いて下さい。私に頼らずに私に死をプレゼントしてください。」


 フィリアはククと小悪魔のように笑った。


「コデスさん♪」

【……コデス?】


 妙な響きに死の王は足を止める。

 そんな反応を楽しむようにクスクスと笑って、フィリアが死の王を指差した。


「死の神、デスを名乗るにはまだ早い……子供のデスでコデス……と呼ぶ事にします!」

【……なんか嫌だな。】

「嫌なら早くデスになってくださいね♪」

【……勝手にしろ。】


 主従契約が結ばれている死の王に拒否権はない。

 あれこれ名前で揉めるのも面倒だったので、死の王は仕方なしにその命名を受け入れる。


「それじゃあ改めて。これからよろしくお願いしますね、コデスさん。」

【ふん。】


 死の王、改めコデスは不満げに顔を背けながらもフィリアを抱えて歩を進める。

 

(まさか、名前をつけられるとはな。無縁なものだと思っていたが。)


 死の王には名前がなかった。

 そもそも名前を呼ぶ相手がいなかったからだ。

 人間とは常に対立し、取り巻くのも言葉を話さぬアンデッドのみ。

 そんな彼に、名前を与え、その名を呼ぶ者が現れた。


「コ~デ~ス~さん♪」

【……。】


 既になくなったはずの肌がぞわりとするような感覚と、空っぽの胸がきゅっと引き締められるような感覚を感じながら、コデスは北東に向かって歩いていく。

 触れ合いつつもまだまだ二人の距離は遠い。




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