第2話 死の王は愛を知らない
死の王。
フォガト墓所に住まう高位アンデッド。
煌びやかなローブを纏う、動き喋る骸骨。
いつ頃からか墓所にいて、気付いた頃には侵入者達を殺めていた。
高い知能と知恵を持ち、意志を持ったアンデッドでありながら、ただ墓所に侵入した者を裁き続けてきた墓所の番人。
そんなアンデッドに突然愛の告白をしてきた謎の少女。
(えぇ……どうしよ……困る……。)
死の王は困惑していた。
物心ついた頃からダンジョンのボスモンスターを勤めていた。
周囲の手下は意志を持たずただ命令に従い戦う、もしくは彷徨うアンデッド達。
侵入者は大概墓荒らしかモンスター狩りにきた敵対者。
墓所から出ることなど一度もなかった。
死の王は好意を向けられる事に慣れていないのである。
思わず返してしまった前向きな返事。
何を言っているんだと少し冷静になってから、死の王は考える。
(こんな骨だけのアンデッドに一目惚れするとかある……? いや、ないよね? どう考えたっておかしいよね?)
死の王は割と自身を客観的に見られるタイプである。
煌びやかなローブを纏って装飾品には凝っているものの、本体は殆ど白骨である。
低位アンデッドのスケルトンとは一線を画す上位アンデッドとはいえ、骨だけの見た目な事には変わりない。
そんな存在に一目惚れする人間は流石にいないんじゃないかと死の王は思う。というか、死の王からしてもそんな相手と恋仲に別になりたくない。
(……何か裏がある? 命乞いのつもり? それともご機嫌取りしとけば宝を譲って貰えるとでも思ってる?)
少女は打算で死の王のご機嫌取りをしているのではないか?
死の王はワンテンポ遅れてその可能性に行き着いた。
(やっべ。どうしよ。普通に良い感じの返事しちゃったよ。)
今更打算を指摘しても格好が付かない。
死の王は次の言葉をどうするかに困っていた。
はてさて、そんな死の王を前にした少女はというと。
死の王の少し前向きな返事を聞いて黙りこくっている。
その様子に死の王が気付いた。
少女はわなわなと震えている。
きらきらとしていた黒い瞳は更に輝きを増し、赤かった頬は更に赤みを帯びている。高くなっていた口角は更に釣り上がり、はち切れんばかりの笑みが浮かんでいる事に死の王は気付く。
少女は感激に打ち震えていた。
「やったーーーーー! ありがとうございますっ!」
両手を万歳しての大喜びである。更には楽しげにスキップまでし始める始末である。その喜びようを見て、死の王は困惑する。
(えぇ……。)
少女はどこまで本気なのか。とても演技には見えない喜びようである。
「ところでお名前は何と仰るのですか?」
【知らないで告白してきたのか!?】
「一目惚れでしたので!」
確かに一目惚れとは言っていたが。
どうやら少女は死の王が相手であるから好意を伝えてきた訳ではないらしい。
じゃあ、単純に恐ろしいアンデッドだから命乞いのつもりでそんな行動に出たのか……というと、そういう訳でもないようだ。
死の王は負の感情を感じ取る力に長けている。目の前の少女からは恐怖の感情はまるで感じられない。
【一目惚れ……えっ……ど、何処に?】
こんな骨の何処に見惚れるというのか?
流石に気になる死の王。
思わず普通に尋ねてしまえば、少女は赤く染まった頬に手を当てる。
「……白くてつややかで骨太なお身体が素敵です。」
(骨フェチ……!?)
聞いたことのない性癖に死の王が戦慄する。
「それと……。」
【それと……?】
ぺろりと少女の唇を舌が這い、たらりと涎が流れ落ちる。
恍惚とした瞳を輝かせ、少女はうっとりと死の王を見つめた。
「死んでいるのが何よりも素晴らしいです……!」
【……え?】
「死んでいるのが何よりも素晴らしいです……!」
少女は2回も言った。
死んでいるのが何よりも素晴らしい。
丁寧に言い直されたところで死の王には少女の言っている事が理解できない。
しかし、死の王には知識があった。
確か、人間には死体を愛する性癖があるらしい。骨フェチよりは聞き覚えのある性癖ではあったが、それが理解できるかできないかは別問題である。
何と言ったらいいのか悩む死の王そっちのけで少女は語り出す。
「素敵な死の香りに誘われて、ふらっと立ち寄ったお墓……。道中も素敵な死がたくさんあって、思わず深く潜り込んでしまったのです。そうしたらいつの間にか迷子になってしまい困っていたのですが……まさかそこであなたのような素敵な死体と出会えるなんて……! 私はきっと迷子になっていたのではなく、あなたという素敵な殿方に出会うという運命に導かれていたのでしょう……!」
情熱的に語る少女を見て、死の王は思った。
(何この子こわ……。)
死の王は見た目と大仰な評価とは裏腹に割と常識的な感性を持ち合わせているのである。
死体、骸骨に惚れるという感覚も分からないし、それを求めて墓を、それも危険度S級と呼ばれる最上位ダンジョンを訪れる気持ちも分からないし、そこで出会ったアンデッドに告白するのも意味が分からない。
ツッコミどころは探せばいくらでもあるのだが、死の王はふと気付く。
目的や経緯はこの際どうでもいい。聞いた所で理解できまい。
そもそも、少女はどうやってフォガト墓所を踏破したのか?
数多くの盗掘者用の罠が仕掛けられ、かつて犠牲になったものやかつての王家で生まれた古い歴史を持つ強力なアンデッドが蔓延るS級ダンジョン。
死の王を頂点としているが、死の王以外のアンデッドも危険度は劣るものの決して弱い訳ではない。お伽噺や神話で語られる様な伝説級のアンデッドも存在している。
一度入れば二度と生きては出られない。そんな触れ込み通りに、これまで数多くの名のある冒険者が踏み入ったが、殆どが死の王の前に立つことなく息絶えた。
そんな危険なダンジョンを、こんな幼い普通の(性癖は全く普通じゃないが)少女がどうやって潜り抜けたのか。
数多の不自然さに騙されていたが、死の王はそこで初めて少女の最も不自然なところに気がついた。
【貴様は一体何者だ?】
「私はフィリアと申します! あなたのお名前は?」
【我が輩は死の王である。名前などない。……いや、名前を聞きたかった訳ではなく。】
元気に名乗った少女、フィリアに流されて自己紹介をしたところで死の王は改めて問う。
【どうやってこの墓所を潜り抜けた?】
重々しく響く声を更に低くすれば、淀んだ墓所の空気は更に不穏な気に満ちる。
普通の人間が当てられれば正気ではいられないであろう瘴気を真正面からぶつけられた幼い少女は……。
「歩いてきました。」
【……いや、そうではなくて。】
幼い少女は何を聞かれているのだろうか?とでも言いたげに首を傾げた。
【どうやって、あちこちに仕掛けられた罠を回避してきた? どうやって、墓所を彷徨う死者達に襲われずに済んだ? どうしてお前は無事にここまで辿り着けたのだ?】
「……罠?」
少女はピンと来ない様子で逆方向に更に首を傾げる。
どうやら罠というものに心当たりがないらしい。
まさか、罠を奇跡的に全て回避して此処まで辿り着いたのだろうか?
(いや、有り得なくはないが……?)
墓所には罠が仕掛けられている。
とはいえ、それは盗掘者などの外敵を退ける為の罠であり、誰一人として通さない為の罠ではない。
墓所に関係するものが出入りする事はできるのだから、罠を回避する手立てはあるにはあるのだろう。死の王はこの墓所とは無関係なので真実は分からないが。
今まで数多の冒険者が罠で命を落とすのを見てきた死の王からすれば信じがたい奇跡なのだが、実際無傷でフィリアがここまで辿り着いているのだから事実として受け止めるしかないだろう。
それはそれとして、フィリアはまだ死の王の質問全てに答えていない。
【死者達はどうした?】
フィリアが不思議そうにしていたのは「罠」という言葉に対してだけである。
死の王が発した「彷徨う死者」という言葉には疑問を感じていない様子であった。
今度は「ああ!」と思い当たる節があるように、フィリアはぽんと手を打った。
「あの方達ですね! 快くここまで案内して下さいました!」
笑顔でフィリアは指をパチンと鳴らす。
その音を聞いた死の王は、とうの昔に忘れた筈の感覚を思い出す。
冷たい嫌なものが背中を撫でるような、背筋が凍り付くような感覚。
フィリアが鳴らした指の音に、死の王が悪寒を感じるのも無理はない。
それは死者にとって数える程しかない恐怖の対象なのだから。
カタカタと音がする。軽い何かが擦れるような、触れ合うような音である。
それは少女がやってきた通路から聞こえてきた。
王の眠る玉座の間と呼ばれる、死の王が住まう領域に、通路からぞろぞろと無数の影が踏み込んでくる。
それは白骨。それは透き通った身体の人間。それはゆらめく影。
フォガト墓所に住まう無数のアンデッド達が、普段は決して立ち入らない玉座の間に踏み入ってくる。
少女の鳴らした指の音に導かれたかのように。
ぎしりと歯をすりあわせ、死の王は忌々しげにフィリアを睨んだ。
【貴様……
死霊術と呼ばれる、死者や霊魂を介した魔術を操る黒魔術師。
死者や霊魂を従える事もできる、アンデッド達にとっての天敵のひとつである。
しかし、いくら
危険度S級と称されるフォガト墓所の高位アンデッド達を従える少女……その見た目に最早死の王は騙されなかった。
【我が力が狙いだったか……不届き者めが。】
フィリアが死霊術師であるのなら、死の王に求愛してきた理由も分かる。
死霊術師は強大なアンデッドを従えれば力を増す。
S級ダンジョンを統べる死の王であれば、得られる力は絶大なものとなるだろう。
突然の求愛にようやく合点がいった死の王は玉座から立ち上がり戦闘態勢に入る。
【我は死の王。死を統べる者。人間如きに従える事など叶わぬと知れ。】
死の王は静かに骨の指をフィリアに向ける。
高位アンデッドが操る死の魔法。ダメージ等により死に至らしめるのではなく、死そのものをもたらす通称"即死魔法"。
高位アンデッドでも呪文詠唱により準備を整えて初めて使える即死魔法を、死の王は詠唱もなく自在に放つことができる。
死の王の指先から黒い光が放たれた。
ぺしっ。
フィリアの額に光が当たる。
「従えるとかじゃないですよ~! 本当に一目惚れなんですってば~!」
【……あれ?】
もう1回指先から光を放つ。
ぺしっ、とフィリアの額に光が当たる。
「打算で愛なんて囁きません! だって、私は
【……。】
ぽぽぽぽぽぽと黒い光を連射する。
ぺしぺしぺしと黒い光がフィリアの額を叩く。
「もう一度言います! 私はあなたを愛しています!」
【何故死なない!?】
死の王はいよいよ声をあげた。
即死魔法を既に数十発はぶつけているが目の前の死霊術師は死ぬ気配がない。
死霊術師に即死耐性があるという事はない。そして、たとえ耐性を持っていようとも、最強のアンデッドである自負がある死の王の魔法を防げる存在が居る筈がない。
死の王よりも格上の存在でもなければ。
死の王の問い掛けに、恍惚とした顔で愛を囁いていたフィリアが演説を止め、ぱちくりと瞬きをする。
「……何故死ぬと思ったのですか?」
【な、何故って、お前……。】
即死魔法をかけたのに。
その一言を口にしかけて死の王は言葉を止めた。
もしも、即死魔法が効かないのが、目の前の死霊術師が自身よりも格上の存在だった場合。
死の王は既に勝ち目はない。自身の魔法が通用しない存在に勝つ術は持ち合わせていない。
まず間違いなく討ち滅ぼされるであろう。
しかし、フィリアは敵意を見せない。即死魔法を撃ったのに。何故なのか?
恐らくフィリアは気付いていない。今の今まで即死魔法をぶつけ続けていた事に。
敵意があると悟られていないからこそ、フィリアは意にも介さず愛を囁き続けていたのではないか。
もしも、即死魔法を撃ち続けていた事がバレたら……そこまで考えて死の王は口を止めたのだ。
【…………な、なんで死体が好きなのに生き続けているのかな~、って。ほら、死体が好きなら自分がなってしまえばいいのにな~、って思っただけで。あ、いや別に死んで欲しいとか思ってた訳じゃないんですけども。ただ純粋な疑問で。】
「………………。」
その時、死の王にはフィリアのキラキラとしていた瞳が僅かに曇ったように見えた。黒い瞳がより暗くなり、まるで深い穴になってしまったように感じた。
フィリアは目を細めて笑った。
「だって、一度死んでしまったら二度と死ねないじゃありませんか!」
【……え?】
死を統べるものである死の王にすらフィリアの言葉は理解できない。
そんな死の王の前で、フィリアは今までのあどけない表情とはまた違う、静かな大人びた笑みを浮かべる。
「人生にたった一度しか訪れないビッグイベント。それが"死"ですよね。それをそんなに雑に消化してしまっては勿体ないではありませんか。だから、私は然るべき時に死にたいんです。」
【然るべき時……?】
フィリアの瞳に輝きが戻る。そして、芝居がかった大きな動きで、両腕を大きく広げて酔いしれるように語る。
「私は
胸にぎゅっと手を当てて、フィリアは思いを馳せるように目を伏せる。
「私は私の大好きな死体に囲まれて最期の時を迎えたいのです。私はこの世界に存在する全ての死体と共に寄り添って眠りたいのです。だから私は私の出会った事のない死体が世界に存在する事が耐えられないのです。」
死の王でも理解できない、したくない少女の夢。
フィリアの口元がぐにゃりと歪み、彼女の最後の夢が紡がれる。
「だから私はこの世界のすべての生物が死に絶えるところを見届けて、すべての死体を愛したいのです。」
死の王に肉が残っていた頃ならば、今頃青ざめていた事だろう。
絶句して顎をカタカタと揺らす死の王を見て、フィリアはてへっと笑って見せた。
「あ、でも今のところ一番愛しているのはあなたですから嫉妬しないでくださいね!」
死の王は思った。
(ど、どうしよう……ヤバイ奴に見つかっちゃった……。)
死を統べる王であろうとも、全世界の生物を死に絶えさせたいとは流石に思った事はなかった。不届き者は容赦無く殺してきたが、世界の全てに殺意を抱いたことはなかった。
どこまで本気で言っているのかは分からない。本気でそんな事を考える人間がいるとは思いたくない。
そんな死の王に、死を愛する少女フィリアは手を差し伸べる。
「お友達から、でしたよね。どうぞ、よろしくお願い致します。」
死の王は後悔していた。
少女に友達からとはいえ、お付き合いする事を認めてしまった事を。
今からでもお断りしてしまいたい。
そんな事を考えている死の王の額に、久しく感じたことの無い"熱さ"という感覚がじゅっと蘇る。
【熱ッ!】
思わず額に手を当てた死の王は、額にいつの間にか浮かび上がった文様に気付く。
指でなぞったその文様は、玉座の間に雪崩れ込んできたアンデッド達の額に刻まれているものと同じように思われた。
アンデッド達に刻まれた文様であれば、死の王も知っている。
それは隷属の証。一度刻まれれば、所有者以外には消す事の叶わない永遠の呪い。
主人を示す文様は、差し出されたフィリアの手のひらに刻まれている。
そこで初めて、死の王は取り返しの付かないミスを犯した事に気付いた。
曖昧ながらも少女と付き合う事を決めたあの言葉で、主従の契約は結ばれていた。
もう、死の王は逃れられないのだ。
死をこよなく愛する少女の手から。
「どうされました? カタカタと震えて?」
【…………ちょっと肌寒くないですかね。】
「面白い冗談ですね。肌なんてないじゃないですか。」
死の王は愛を知らない。
これが愛だというのなら、自分は永遠に愛を理解する事はないのであろう、と死の王は思った。
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